セーレン:キェルケゴールやジャン:ポール:サルトルやカール:ライムンド:ポパーを読んで気分が良くなったり 「自分の頭が良くなった」ような錯覚に陥ることはない
むしろ 自分の頭の悪さを嫌というほど知らされることになる
それが哲学の本当の姿である
「哲学者」達の多くは「哲学には好き嫌いがあります」などと称して あたかも主観的好き嫌いこそが真理への近道であるかのように促すが これこそが大きな間違いの素である
多くのヒトがマイケル:サンデルの講義を聴いて「自分は頭が良くなった」かのような錯覚に陥り「サンデル先生は素晴らしい」などという主観的感覚(好き嫌い)によって論理検証的批判精神を失い洗脳状態に陥る
フリードリヒ:ニーチェやマルティン:ハイデガーやプラトンには こうした思考停止の中毒症状による洗脳性があるため 多くの大衆から人気を得られるのである
「先天本能習性によって人間としての社会性が立証できるはずだ」などという非科学的オカルト観念を用いて京都大学学長山極寿一や霊長類研究所の松沢哲郎は大衆人気を得たのも 大衆の多くが「自分は先天的に人間性が組み込まれた優秀な生物」だという観念が正常性バイアスにとって都合が良いためである
心理学的には これを「合理化」と呼ぶが 別に科学的な合理的根拠に基づいたものではなく あくまで「主観的気分にとって都合が良いような勝手な解釈」に過ぎない
テロリストがなぜテロリスト集団に同調するのかと言えば テロリストの観念に同調することで主観的気分が良くなるからである
それは ニーチェを読んで気分が良くなり 疑うことを忘れているのと同じである
「ニーチェがナチズムを思想的に支えた」と言われる所以は 主観的感覚を絶対的なものであるかのように錯覚させ 思考停止に陥れるからである
ニーチェなんぞ鵜呑みにしている時点で哲学者としてはポンコツ極まりないデクノボウである
そんな指摘をする「哲学者」なんぞ 今の哲学界にはいないだろ
だから組織腐敗だって言ってんだよ
現状の哲学界からすれば こうした内部告発的批判は「裏切り行為」であり 少数異端でもあるため 差別排除の対象にしかならんだろう
私を差別排除するのは勝手だが その結果真理を見失い 間違った観念や信念に基づいた不毛で有害な因習や体制が温存されていれば 本来回避可能なはずの危険性も放置されることになるのである
だが その責任は私にはない 私には 私に出来ること以上のことをするつもりはない
その結果 誰も理解出来ずに危険性が放置されることで生ずる「人災」の全ては 私の関知する所ではない
Ende;
むしろ 自分の頭の悪さを嫌というほど知らされることになる
それが哲学の本当の姿である
「哲学者」達の多くは「哲学には好き嫌いがあります」などと称して あたかも主観的好き嫌いこそが真理への近道であるかのように促すが これこそが大きな間違いの素である
多くのヒトがマイケル:サンデルの講義を聴いて「自分は頭が良くなった」かのような錯覚に陥り「サンデル先生は素晴らしい」などという主観的感覚(好き嫌い)によって論理検証的批判精神を失い洗脳状態に陥る
フリードリヒ:ニーチェやマルティン:ハイデガーやプラトンには こうした思考停止の中毒症状による洗脳性があるため 多くの大衆から人気を得られるのである
「先天本能習性によって人間としての社会性が立証できるはずだ」などという非科学的オカルト観念を用いて京都大学学長山極寿一や霊長類研究所の松沢哲郎は大衆人気を得たのも 大衆の多くが「自分は先天的に人間性が組み込まれた優秀な生物」だという観念が正常性バイアスにとって都合が良いためである
心理学的には これを「合理化」と呼ぶが 別に科学的な合理的根拠に基づいたものではなく あくまで「主観的気分にとって都合が良いような勝手な解釈」に過ぎない
テロリストがなぜテロリスト集団に同調するのかと言えば テロリストの観念に同調することで主観的気分が良くなるからである
それは ニーチェを読んで気分が良くなり 疑うことを忘れているのと同じである
「ニーチェがナチズムを思想的に支えた」と言われる所以は 主観的感覚を絶対的なものであるかのように錯覚させ 思考停止に陥れるからである
ニーチェなんぞ鵜呑みにしている時点で哲学者としてはポンコツ極まりないデクノボウである
そんな指摘をする「哲学者」なんぞ 今の哲学界にはいないだろ
だから組織腐敗だって言ってんだよ
現状の哲学界からすれば こうした内部告発的批判は「裏切り行為」であり 少数異端でもあるため 差別排除の対象にしかならんだろう
私を差別排除するのは勝手だが その結果真理を見失い 間違った観念や信念に基づいた不毛で有害な因習や体制が温存されていれば 本来回避可能なはずの危険性も放置されることになるのである
だが その責任は私にはない 私には 私に出来ること以上のことをするつもりはない
その結果 誰も理解出来ずに危険性が放置されることで生ずる「人災」の全ては 私の関知する所ではない
Ende;