書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

インダストリアルクレイ

2021年02月10日 00時57分19秒 | 日記

インダストリアルクレイをネットで注文しようとカートに入れて住所などを入力したら

1,540円の商品に送料が700円かかって2,240円

う〜ん 何か送料たけぇな

サイト上をよくみたら御茶ノ水に実店舗があるという

電車使っても往復700円もかからないし

御茶ノ水なら自転車でも行ける距離

お店に在庫あんのかと電話で聞いてみたら「5パックある」という

店舗2階にあるとのこと

御茶ノ水橋のすぐ近くだった

御茶ノ水駅周辺はほぼ全面自転車駐輪禁止なんだけど

店員さんに聞いたら「当店でのお買い物であればお店の前に置いても構いませんよ」とのこと

店舗がガラス張りなので 倒れてもガラスに当たらないように置けば大丈夫だと思う

で とりあえずはお試しに1パックだけ買ってみた

そしたらパッケージに

◯クレイの加温には必ず専用のクレイオーブン、クレイウォーマーをご使用ください。電子レンジやドライヤー等での加温はしないでください。

とある

ドライヤーが何でダメなのか 理由は書いてない

なんでなん?

電子レンジはたぶん加熱ムラがヒドいのが理由だと思うけど

ドライヤーなら加熱しすぎなきゃ大丈夫っぽいんだけど

ううむ… 

クレイヒーターってどういうものなのかと思ってググってみたら

ゴリゴリのビジネス業務用機器で値段すら書いてない

クレイ自体の価格は安いんだけど

加温器の価格が恐怖でしかない

見た感じ軽く10万以上はしそうである

さすがに値段も書いてない機械を購入する気力も体力も財力も魔力もないので

とりあえずはパッケージごとガスファンヒーターの吹き出し口から30センチくらいのところに置いて加温してみたら

いい感じにうにゃうにゃしてきた

でもちょっとでも温度が下がるとすぐに硬くなってしまう

これ おもろいかもw

オイラ夜寝る時にPETボトルに水入れて電子レンジとかガスファンヒーターで60℃くらいに温めて湯たんぽにしてるんだけど

これに押し付けたらいい感じに柔らかくなる

スーパーとかで無料配布している発泡スチロールの保冷ケースに 温めたPETボトル入れておけば簡易的にクレイヒーターとして使えるんじゃなかろうかと思ってやってみたら

30分ほどでスカルピーくらいに適度に柔らかくなって整形することができた

いいぞこれ

ちなみに使っているPETボトルは伊藤園の「旬野菜」900mlで

電子レンジで加温する場合は2本で600W10分(冷水からの場合)

入手できる保冷ケースのサイズによって適切なPETボトルの容量や本数は違うと思うが

ちなみにガスファンヒーターの熱風を当てると表面をなめらかにすることができたので 表面を整形するだけならドライヤーでも使えると思う

塊全体を加温する場合にドライヤーだと無理だってことらしい

 ◇

パッケージに「アンケートキャンペーン実施中!」とのラベルが貼ってあるので 表記されているサイトにアクセスしてみた

https://questant.jp/q/TIPC

どうも販売元のサイトではなくて アンケート専門のサイトに委託しているらしい

抽選でクオカード3,000円分か クレイ3パックのどちらかを選べる

クレイ3パックっつうと4,620円分になるので ちょっと悩ましい

でもまて そんなに使うかな

再利用できるだけに そんなに要らんような気もする…

「当たれば」の話なんだけど

 ◇

御茶ノ水橋にマンホールの蓋みたいのがあって

管縮伸?

は! 右から書いてあるんだ

どうやら橋自体から戦前のものらしい

あと 橋の下に踏切的なものがあった

何に使うんだろう?

 

 

Ende;

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管轄外

2021年02月08日 22時40分45秒 | 意識論関連

偶発的に生存にとって有利な性質を持っていた個体だけが生き残ったのが遺伝的進化であって

結果的に「生存にとって有利な性質を持っている」のは必然的結果に過ぎず 誰の目的も合理性も介在する余地はない

チンパンジーやゴリラに白目がないのは 他者を騙すためという合理性に基づいて意図的主体的合理的に自らの遺伝子を選んだわけではなく あくまで白目がない個体の方がチンパンジーやゴリラ社会の中では生存にとって有利だったという結果でしかない

ヒトは仲間内に対しては騙すことは少ないが 「少ない」だけで仲間以外に暴力的差別をする習性がある

ヒドい場合には子供を虐待することもある

従って先天的本能習性から人間としての社会性を立証することは構造原理的に不可能である

人間としての社会性(人間性)や倫理を発揮するためには 個人が自律的な社会的責任判断に基づいて 自己の感情や行動バイアスに流されることなく行動を選択しなければならない

そのためには場合によっては先天的本能習性に抗う必要性があり 先天的本能習性というものは人間性や倫理にとって害をもたらすことがある以上 先天的本能習性自体で人間性や倫理を立証することは構造原理的に不可能である

何回説明したら理解すんだろうね

理解できずに社会が破綻しても私の責任じゃないからね

 

 

Ende;

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差別用語

2021年02月08日 22時24分08秒 | 意識論関連

結果に過ぎない遺伝的進化に対して あたかも合理的に選択したかのような「戦略」を後からこじつける論法がそもそも科学的に支離滅裂なのであって

進化の過程の説明における論理的合理性と 進化の結果に対する必然性の区別がついていないバカが多すぎるのである

ある進化が生じた原因について合理的な説明ができたとしても その進化(結果)そのものが合理的な選択によってもたらされたものであることの論証には一切ならない

遺伝的進化というものは あくまで偶発的突然変異と環境による淘汰圧力の「結果」であって

環境要因の説明に合理性があったとしても それが合理的に選択された「目的」であることの論証には一切ならない

2000メートル先の10センチの的をライフルで狙撃して命中したとしても 二十億発の弾を撃てばまぐれで当たることもある

遺伝的進化というものは そういう無駄な変異のメクラ撃ち(差別用語になるのかな?)の結果に過ぎず 必ずしも命中(進化)する保証はない

地球上の生物の全ては 一つのルーツ(根)からなる系統樹によって形成されており 全ての生物は元々同じ単細胞生物から進化したものである

しかし 現在の生物相というのは中間種が全て淘汰され 特定環境に適応できた種だけが生き残っている状態であり 膨大な「失敗」の上に成り立つ「結果」以上の意味はない

遺伝子の変異には方向性はなく あらゆる生物への変異を起こしたはずなのに その大部分が現存しないのは それが全て死滅したからであり 過酷な自然環境下における苛烈な淘汰圧力(殺し合い生存競争)の結果が生物というものの実相である

それに対して文学的に「生きていることは素晴らしい」などと称して形容しても ヒト同士が殺し合い 騙し合い 喰い合っている現実から目をそらした「お花畑」妄想でしかない

自分の子供を焼き殺された母親や 女房子供を轢き殺された父親からすれば 生き続けることは地獄でしかなく 文学的形容詞という「個人の感想」なんぞに何の普遍性も倫理も伴うことはないのである

「ヒトがヒトを殺してはいけない理由はない」のと同時に 「ヒトが生き続けなければならない理由」も「ヒトがヒトを殺し合う社会で生き続けなければならない理由」もないのである

そもそもヒトはいつか必ず死ぬのであって かりそめにも生き続ける理由として「世の中が少しでも安全で持続可能な社会に近づくこと」という希望や理想以外に人間存在としての「意味」などない

個人が主観的にどんなに「生きていたい」と願おうが呪おうが それは全て「個人の感想」の範疇でしかなく その程度強度をどんなに多数抽出してきても 「ヒトは生きることが目的」であることの論証にはならない

あらゆる生物の生存というのは「結果」であって その先に何らかの「目的」をこじつけても 論理的には証明不可能である

結果に過ぎない遺伝的進化に対し その方向性をどんなに大量に抽出してきても 永久不変の絶対的「目的」が導き出せるわけではない

カール:ライムンド:ポパーの述べた「白いスワン」の喩えとは 「どんなに白いスワンを抽出してきても 全てのスワンは白いことの科学的論証にはならない」というものである

結果的に「生きて」いる生物をどんなに集めてきても 淘汰された大量の屍を無視して「生物の目的は生存」であることの論証は不可能である

「ヒト」という種の生物にも目的はない

だが 「人間」としての理想や希望には存在する

従って 遺伝的進化という「ヒトの結果」に人間性や合理性が伴うことはなく

あくまで個人が自律的に社会的責任判断選択に基づいて検証する理想や希望にのみ 人間としての合理的「目的」が存在するのである

 

フリードリヒ:ニーチェの超人幻想に大衆が酔いしれたのは それが主観的安心満足を与えたからであって

リチャード:ドーキンスのお伽話に基づいた松沢哲郎や山極寿一の非科学的妄想に酔いしれたのも同じ構造である

科学的に立証不可能な予測に5億もの研究費を非合法に注ぎ込んでおいて 何が「文化功労賞」なのか 茶番にも程がある

あくまで非合法に5億であって 脱法的にはそれ以上浪費しているのである しかも優生学に対する論理反証を無視したことは障害者虐殺の一因ともなったのであり A級戦犯としか言いようがない

ヒトという種の生物は 論理客観的根拠に基づいた真実よりも 主観的な安心満足の方が優先するという先天的で決定的な人間としての欠陥が存在しているのである

平たく言えば 「ヒトは先天的にバカになる習性がある」ということである

主観的感覚に錯覚などによる誤謬が混入する可能性を自覚していれば バカに陥ることを回避する「教訓」としてバカにならないようにもなることが可能である

そのためには 何が間違いで 何が真実なのかを区別認識していなければならない

「知識の量が多い=頭が良い」などという大衆観念に基づいた知能論を鵜呑みにしておいて バカにならないようにはできないのである

 

 


Ende;

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嫌な話

2021年02月08日 20時51分41秒 | 意識論関連

中野信子は

何か自分で決めたことを最後まで貫くことができないと、自分を情けない、醜い存在だとみなすようになってしまう。もしかしたらある程度の年齢以上の人なら周りにそういう人がいるかもしれないが、特定の思想の持ち主だった人が「転向」すると、必要以上に反動が起きたり過剰に自虐的になったりする。

 

なぜ人間にそんな性質があるのだろう?

 

一貫性がないと困る、という一見不必要な制約が、脳に備え付けられているのだとしたら、それはどんな目的のためなのだろう?

 

この答えは、残念ながら脳科学的にもまだクリアにはなっていない。

 ◇出典:ダイアモンドオンライン


と述べているが

一度信じ込んだものを否定することは 自らの頭の悪さを自覚することでもあるため それが主観(気分)的に嫌なため ヒトは不必要な一貫性を持ち続けようとするのである

現状の認知科学においては「本質的知能など存在しないかも知れない」などと言い出すバカの集団であり 自分達が何も「気づくこと」のできないバカであることを認識したくないからこそ 一貫して「本質的知能は存在しないかも知れない」ことにし続けているのである

どんなに大量の知識を「知って」いても 「知って」いる内容の論理整合性の齟齬に気づくことができなければバカに過ぎない

現状の認知科学者共は自分達の頭の悪さを認めたくないため ヘイトスピーチ中毒者などにおける認知的不協和というものを生物学進化学的に「生存にとって有利な性質」としての説明以外を意図的に無視しているのである

ヒトという種の生物は先天的にバカに陥る習性が存在しており それは大局的には個体種の生存価にとっては不利だとは言えるが これはあくまで過去の環境下における偶発的且つ必然的な「結果」として遺されたものに過ぎない

そもそも生物の遺伝的進化というものには 合理的な「目的」など存在せず あくまで「死なずに生き残った」ことに対する必然的な「結果」しか存在しないのである

ヒトが簡単に権威や多数派の意見に流され 自律的な論理検証をしようとはしないのは その方がかつての環境における生存にとって有利に働いた「結果」に過ぎない

東電社内において 原発の津波に対する脆弱性を放置することが社会的な大損害につながる可能性を論理的には認識していながら これを放置することで 組織におけるかりそめの収益性や組織内部における自分の地位権益を追求することに加担しておいた方が 東電社内においては「楽」だったからである

ヒトは基本的に動物であるから 主観的には「楽」な方を選ぶ傾向があり

つまり バカの方が集団組織の内部にとっては生存に有利だった「結果」として ヒトはバカになる習性が先天的に組み込まれているのである

集団組織に対する忠誠忠実さを美徳として「感じる」ことによって 特攻隊や自爆テロなどという非合理的な行動であっても鵜呑みにできるようになるのであって オウム真理教でも東京電力社内でも 東芝やオリンパスなどの企業における粉飾決算などが可能なのも 組織に対して忠誠忠実に行動し 決して自律的な社会的責任判断選択などしないバカになるよう ヒトは先天的にできているのである

もちろん こうした特定組織の利益ばかりを追求する「集団的利己」とも言える行動は 社会全体 地球環境全体からみれば損害になることは ちょっと「自分で考えればわかる」ことなのだが

ヒトの多くは自分で物事を判断することをしたがらない先天的習性があるため 内部告発などの「真実」の方を「裏切り者」扱いして抹殺するのである

バカの集団環境の中では バカではないことは生存にとって不利に働くことになる

組織の利益を優先し 自律的な社会的責任判断などせず 組織に迎合して統率的協調性を発揮して「集団的利己」を発揮しておいた方が その集団の内部では生存にとって有利に働くのである

「その集団」 特定の集団組織の内部においては有利であれば 社会全体や地球環境全体における安全性や持続可能性においては自滅の一途であるとしても ヒトは先天的には目先の集団組織の価値観こそが「美しい」と感じるようにできているのである

だから 「主観には意味がない」のである

野依良治はこれを理解しておらず 「哲学者」共の口車に乗せられてイマヌエル:カントの「純粋理性批判」に基づいた論理不明な話に基づいたこじつけを鵜呑みにし 「主観が大事」などという支離滅裂な主張をしだしたのである

これはもう 「振り込め詐欺師に騙されている老害の主張」である

認知科学というのは生物学に分類されるものであり 遺伝的進化には合理的目的など存在していないことも指摘できないバカの端くれ集団なのである

遺伝的進化というものは ある特定の環境下に適応する形で必然的シーケンシャルに生ずるものであって 「特定環境下における生存にとって有利」に進化することはあっても 人類全体にとって有益な安全性や持続可能性という 論理客観的検証性に基づいた自律的判断にとって適するようには進化することはない

マイクロソフト社のツイッターAIがヘイトスピーチを始めたのも ツイッター上における大量のヘイトスピーチを「正解データ」として認識したことが原因であり いわば「ヒトという種の行動習性における生物的正解」はヘイトスピーチなのである

だからこそ 論理客観的証拠に基づいた論証よりも 「知識のエコシステムを生態系のピラミッドになぞらえる」などという どうにも訳のわからぬオカルト話の方に「人気」が集まってしまうのである

何でも読書猿の著作は3万部も売れたというから 3万人はバカが確定しているのである

こういったバカげた話に人気が集まるというのはよくあることで 養老孟司やマルクス:ガブリエルの「人気」も同じメカニズムである

「客観的事実などない」だとか 「世界は存在しない」だのといった荒唐無稽なオカルト話を どんなに多数の大衆から人気を集めても 論理客観的根拠に基づいた「真実」であることを立証することは不可能である

だが 多くの大衆やマスコミは自分達が一度信じた内容を否定することによって 自らの頭の悪さを自覚認識することが気分的に「嫌」なため あたかも「何もなかった」かのようにスルーしようとしているのである

自分達の頭の悪さを自覚せずに 「社会の諸問題が解決しない」のは当たり前の話である

その結果社会が崩壊しようとも それは私の責任の範疇ではない

温室効果ガス削減においても 感染症拡大防止においても それらは「個人」の行動責任の範疇であって 「どこかの優秀な誰かが自分達の頭の悪さを治してくれるはずだ」とでも期待しているとしたら それはバカ特有の身勝手な期待である

フリードリヒ:ニーチェのゾロアスター教における超人幻想も 遺伝的進化さえしておけば自動的自然に人間を超越した「何者か」になれるという根拠のない身勝手な大衆の妄想であり その主観的安心満足によって130年以上もの間フランシス:ゴルトンの優生学を誰も論理反証してこなかったのである

ニーチェを哲学として教えている方も 教えられて鵜呑みにしているバカ学生も バカである点において同罪である

それはつまり 世の中の99%以上はバカ確定である

言っておくが私は「天才」ではない

ちょっと考えれば誰でもわかることすら考えないからバカなのであって

「少しは考えろよ」と言っているに過ぎない

 

 

Ende;

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よし丸ツアー(妄想)

2021年02月07日 13時29分42秒 | 日記

新河岸川の都内流域における浚渫工事は足立区にある高林産業っていう建設会社が受託しているらしいんだけど

土砂運搬用のバージ船的なものを曳航している「ふく丸」っていう曳舟は高林産業ではなくて個人営業の船なのかも知れない

第二大同丸の隣に停泊していた「㐧一よし丸」ってのも曳舟っぽい

意外と「㐧」の字はAndroid8.1は知らなかった

どちらもググっても何も出てこない

多分個人経営というか 登記していても有限会社なので 所有経営している人がサイト作らないとネット上には何の情報も載らないことになるのかも知れない

「かも知れない」ばっかで申し訳ないけど 予想の範疇なのでご勘弁

チャーターしたら乗せてもらえるものなのかなと

乗りたい人他にいるのかな

乗せてもらえるとしたら ライフジャケットは自前で揃えないといけない

転落防止用にナイロンベルト的なものも欲しい

遊覧船じゃないから 事故が起きても自己責任っていう書類も必要だろうな

京浜工業地帯の運河とか行きたいなぁ…

 

Ende;

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鼻が出る

2021年02月07日 12時50分52秒 | 日記

顎を動かすとマスクが下がって鼻が出ちゃうのよね

いいかげん 何か工夫しろよって思うんだが…

 

 

Ende;

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そんだけの話

2021年02月06日 14時22分09秒 | 意識論関連

ネトウヨといったSNS上でのイジメやヘイトスピーチ 店舗などでの店員や 駅員に対する暴言などは 「実証不能の観念の振り回し」に分類される行動です

社会というものは完全ではありません

そもそもヒトという種の生物自体が完全でもなんでもない以上 ヒトが作った社会が完全無欠なものであるはずがないのは当たり前の話です

この前提を理解していないヒトがいるんですね

「遺伝的進化によって先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などといったリチャード:ドーキンスのお伽話に基づいた生物学上のデマ誤謬を鵜呑みにし 主観的に満足安心してしまう

何せ 「自分には先天的に人間性が組み込まれた優秀で完全無欠の存在だ」とでも信じ込んでいるわけですから そりゃ主観的感情が促す行動の全ては「正しい」「正義」になってしまうことになります

ヒトという種の生物は 暴力的に「正義」を振り回すと主観的に満足する習性があるため 主観的に気に入らない相手に暴力を振るうことで何かが解決したかのような感覚を得られる先天的習性があるわけです

ヒーローものの映画やドラマというのは 基本的に正義を振り回して鉄槌を下し 「悪者」を退治することで「解決」となり これに消費者は主観的満足という感覚的快楽を得ることで「人気」を得るわけです

もちろんこれは錯覚(感覚)であり ヒトの先天的欠陥でもあるのですが 自分の主観的感覚を疑う自己客観性が全く働かないために 錯覚を錯覚だと自覚認識「できない」 若しくは「しようともしない」ために 先天的に組み込まれた動物的な行動バイアスのままに非合理な暴言暴力に邁進しようとすることになります

「こいつ 死ねば良いのに」と思うことは誰しもがあります

私なんかしょっちゅう「思って」ますが バカが死んだら何かの解決になるのかと言えば ならないんですね

ヒトというのは世代交代していきますから 今いるバカが全員淘汰されても 次世代にバカが混入する構造をなくさない限り バカは次々と量産されてくることになってしまいます

構造原理という原因を究明し 再発防止策を徹底してはじめてあらゆる諸問題というのは「解決」に近づくことができるわけであって 目先の気に入らない相手を殴ったり誹謗中傷しても何の問題解決にもならないのです

たとえば 通り魔を死刑にしたら通り魔事件がなくなるかと言えば なくなりません

「通り魔が 通り魔などという非合理な行動をなぜするようになったのか」についての論理客観的な原因究明が一切されていませんから 原因が放置されたままになるため 何度でも通り魔事件というのは起きることになるわけです

それでも通り魔犯に対して大半のヒトは「死刑にしちまえ!」と怒鳴り散らし 再発防止対策を全て無視放棄している無責任さについては自覚することなく 何の疑いも持たず ただ「多数と同調できる」ことの安心感に酔いしれ 死刑制度が温存されることになるわけです

刑法罰というのは 自律的に社会的責任判断をしようとしない無責任な犯罪者に対して国家権力による罰(暴力)を用いた「抑止」にはなりますが これはあくまで対処的なものであって 根源的な原因究明や再発防止にはなりません

自律的に社会的責任判断をしようとしないヒトが存在する限り 犯罪というものはなくなることはありません

こういう話をすると 「全てのヒトが自律的な社会的責任判断をする社会など実現不可能な夢物語だ」と言い出すヒトが大半ですが

本当にそうでしょうか?

「絶対に実現不可能であることの論理的証明」ができるヒトがいるでしょうか?

困難であることは確かでしょう

ですが「絶対に不可能」であることの論理的証明や根拠は何もないのです

少なくとも 自律的な社会的責任判断をしないヒトを「減らすこと」ができれば 社会安全性は確実に高まることになります

他人に対して「がんばれ がんばれ」と努力を煽っておきながら そう言っている当人が「人間としての目的」としての社会安全性への努力を放棄していたのでは これは「身勝手な傍観者」としか言いようがありません

傍観は共犯と一緒です

しかし ヒトの多くは多数派である傍観者に甘んじていた方が主観的に安心であるため 大多数のヒトは多数派や権威に同調迎合し 傍観者であろうとするのです

無責任な選択であっても 多数であれば責任が薄まる感覚(錯覚)によって ヒトの大半は自律的には何も判断しないようになるのです

論理客観的真理 すなはち「本当のこと」が何なのかを区別する上においても 所詮は主観的感覚器によって外界環境からの刺激の範囲内においてしか働くことはできませんが 単なる主観的な感覚に過ぎない感情バイアスと 論理客観的検証に基づく判断は「一緒」ではありません

にも関わらず「どうせ全部主観から導き出されたものじゃねぇか」と言われると 大半のヒトは何の検証もせずに「ああそうか」と主観的に「納得」して鵜呑みにしてしまうのです

主観が促す「納得」感に対しては疑わないからです

それは 自分の主観的感覚を絶対的なものだと盲目的に信じ込んでいるのと同じことなのですが その傲慢さについては自覚がない

だから間違った話でも簡単に信じてしまうことに陥る

それは短期的には「幸福」でしょう

目先の安心感が得られますからね

でも その代わりに安全性という長期的利益は損なうことになるのです

あるバカがこう述べたことがありました

「知性を感じられない」と

このバカは自分の主観的感覚が絶対的なものだと信じて疑っていないから こういう言葉が出てくることになる

逆にいえば このバカが「知性を感じられる」話に論理客観的根拠や証拠があるかと言えば ないんですね

「感じ」という主観的感覚でしか論じていませんから 論理客観的説明や根拠はでてこない

これはもう ヘイトスピーチ中毒になっている中年ネトウヨヲヤヂが言う「だって悔しいじゃないですか!」という主張と構造的には一緒です

にも関わらず 「何でヘイトスピーチをやる奴が出てくるんだろう?」などと疑問を持っても 客観的には「一緒だろが」って話にしかなりません

結論としては バカは何も考えないからバカなのであって キチンと筋道を辿って考えればバカから脱することができるという話です

「自己の主観的感覚には錯覚が伴う可能性(先天的欠陥)がある」ことを自覚していれば 感情が行動に直結するようなバカげた行動には陥らない

そんだけの話です

 

 

Ende;

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曳舟

2021年02月05日 21時51分04秒 | 写真

荒川河川敷を自転車で走ってたら タグボートの太いエンジン音が響いてきたので

鹿浜橋で待ち伏せ


船名は「取手丸」 ググってみたけど やっぱ出てこない

あ 昨日見た「ふく丸」じゃんか

浚渫用の土砂運搬船を二隻も曳航している

多分新河岸川に入るんだろうと予測して岩渕水門で待ち伏せ

結構サビだらけ いつ頃造られた船なんだろう?

更に先回りしたら新河岸大橋のそばに「第二大同丸」が待機中だった

推力を止めて惰性でゆっくり近付いて

後は人力で引き寄せる

体重の軽いオイラにゃ絶対ムリゲー

後ろの運搬船を切り離し 再度出発 エンジン音が響く

長後桜橋まで追いかけたんだけど 軽くなったのか結構速くて追いつけず

やっぱり遠い

 

 ◇オマケ◇

岩渕水門で偶然以前搬出していた水門のローラーがレストアされて戻ってきてた

以前の記事

蓮根橋のところの建築現場にヒシタンク

物流センターを作っているっぽい

 

 

Ende;

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江口文陽

2021年02月05日 20時27分40秒 | 意識論関連
東京農大の江口文陽(えぐちふみお)は 「キノコの傘は上昇気流を作るため」などという生存戦略に基づいた目的選択であるかのように述べているが キノコも含めて生物やその遺伝的進化というものは突然変異と淘汰圧力による結果的必然性のみであり あらゆる「◯◯のために進化した」という理屈は成立しない

これ 一体いつまで説明し続けたら理解するの?

バカの無限ループ?




Ende;
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ふく丸

2021年02月05日 00時05分35秒 | 写真

「ふく丸」という たぶん曳舟だとは思うんだけど

カメラの操作に手間取って ちょっと遠い…

ググってみたけど 情報はみつからなかった

 

Ende;

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教養産業

2021年02月04日 11時14分06秒 | 意識論関連
プロレスラーの木村花さんが自殺した原因となったSNS上の誹謗中傷の中で

「いつ死ぬの」的なことを書き込んだ子が書類送検されたことがあって その子のコメントに対して加藤浩次が攻撃しておったことがある

そもそもSNS上などで特定個人を攻撃して追い詰めたことが自殺の原因になっているのに テレビ番組で芸人が個人攻撃して追い詰めるってどうなんだって思うんだよな

それ 個人攻撃のスパイラルじゃねぇのかと ハゲジジイは思うんだよな

何らかの集団において統率協調的に誰かを攻撃して追い詰めるという偏った「正義」を感覚的に感じ 個人攻撃に便乗することに快楽を感じるからこそ 個人攻撃が暴走状態になってしまう

集団攻撃に対する中毒的快楽がヒトという種の生物にはあって 誰かが特定個人や団体を攻撃している状態に便乗して一緒に攻撃することへの行動バイアスが先天的に組み込まれている

だからイジメというのは自然発生するのであって イジメはヒトの本能習性に因るものである

ヒトは統率協調的に行動することに対して安心満足感(快楽)を得られる先天的構造 いわゆる「集団心理」が働くことによって 暴力的な行動や言動も赦されてしまうような錯覚に陥り 集団組織的に攻撃しておけば何かが解決したかのような感覚(快楽であり また錯覚でもある)によって歯止めが効かなくなることになる

主観的感情が行動に直結しているからこそ 脳が幼稚な奴ほど集団組織的協調攻撃に便乗して満足しようとする

これがイジメやISILに見られる集団暴力における共通の心理構造である

「死ねば良いのに」とは 私も思うことはある

むしろ 年中そう「思う」ことばっかりである

養老孟司だのマルクス:ガブリエルだのといった論理的根拠のないデマやオカルトを散々垂れ流していたマスコミにも殺意しかわかないし

デマやオカルトに誰も気づかない大多数の大衆の頭の悪さや無責任さにもウンザリさせられる

とはいえ テロや通り魔的に無差別攻撃でもすれば何かの解決になるわけでもない

殺意は主観であって 何の役にも立たない

ただの先天的行動バイアスに過ぎず 動物的行動習性でしかないからだ

従って 個人的殺意に同調していただくつもりもないし 同調したからといっても所詮は「そいつの個人的主観」以上の意味もない

重要なのはバカげたスパイラルや連鎖を断ち切るための論理客観的な合理性ある対策である

教育系ユーチューバーに対して「教育を汚すな」などと言い出すバカにとっては 主観的には「教育系ユーチューバーは死ね」とでも思っているのであろう

「教育が汚された」と思っているのであろう

どんなに強く「思って」も それはただの主観であって 論理客観的な根拠が伴わなければ 「個人の感想」の域を出ることはない

それなら「教育系ユーチューバーが教育を汚している」ことの論理的根拠があるかと言えば

ない

むしろ 教養産業や受験産業による学歴偏重主義が「学問を汚している」と言えるのであって 金儲けのために学力成績という基準を利用しているデマに他ならない

何度も述べているが 学力成績というものは人間としての本質的知能の論証には全くならない

現状の認知科学的には「本質的知能は存在しないかも知れない」などというバカみたいな見解も出ているが それは自分では何も気づくことのできない頭の悪さを正当化するための屁理屈に過ぎない

どんなに大量の知識を「知って」いても 「知って」いる内容の間違いに気づくことができなければバカとしか言いようがないのだが

大衆の多くは知識の「量」さえひけらかし 気分的安心満足さえ提供してやれば「この人は頭が良い人だ」という主観的感覚によって盲目的に信用するようになるのである

読書猿は「知識のエコシステムを生態系のピラミッドになぞらえれば」などという意味不明な話を持ち出し 古典を知っていればデマや嘘には「騙されなくなるかも知れません」などという これまた根拠のないデマの上塗りをしているのである

恐ろしいことに大衆の大半もマスコミも これが根拠のないデマに過ぎないことにも気づくことができないのである

古典漢文に精通している人がデマや嘘を見抜ける能力が高いという統計的根拠はない

そもそも「知識のエコシステム」って何だよ

だいたい「生態系のピラミッド」ってのは進化の過程における弱肉強食の「喰い合い」による結果的な環境調和に過ぎず こんな過酷な理屈を人間社会に持ち込んでしまえば 「障害者は殺そう」という発想にしか陥ることはない

生態系のピラミッドっていうのは あくまで結果的に環境調和できた生態系への淘汰の結果であって そこに目的や合理性が存在する理屈は存在しないのである

遺伝的な進化というものの結果だけを見ていれば ヒトの多くはあたかも遺伝的進化というものには合理的な目的のようなものが存在するかのような錯覚を感じるのかも知れないが どんなに多数の錯覚を集めてきても 錯覚が錯覚ではないことの論理的証明になるわけではない

遺伝的進化というものは あくまで「死なずに生き残った」という結果による必然的な結果であって そこに何らかの合理的目的のようなものが介在する理屈はどこにもないのである

人間社会において必要なのは 遺伝的進化を促すような淘汰や「生態系のピラミッド」のような順位序列や「身分」による「生存優位性」の競争ではなく 変異による多様性をどう活用するかといった合理性にこそ人間性が伴うのである

ヒトという種の生物は 結果に過ぎない淘汰圧力による遺伝的進化から逃れ 弱者であっても取り残さない平等で公平な社会を求めてこその「人間性」である

養老孟司だの読書猿だの それを鵜呑みにしているバカな大衆という「知的弱者」を大量虐殺すれば 知的進化が促されるわけではない

何が本当の知能であるのかを識別することができるようになれば 騙されることもなくなる 脳の構造自体は誰もさしたる違いなどないのである

教養や知識というものは 他人と比べて「俺の方が優位に立った」かのような身勝手な自己満足を得るためのものではなく

あくまで人間としての倫理 社会安全性や持続可能性を高めるためにはどうしたら良いのかを追求するための知性や教養である

それができずに「俺は頭が良いんじゃぁ!」などと怒鳴り散らしても到底人間性とは言えないのである

「誰も俺をリスペクトしてくれねぇ」などと称して多数評価ばかりを求めても 逆にどんなに多数からの評価人気を得たとしても それは所詮大衆迎合と承認欲求の幻に過ぎない

真理は多数決で決まるわけではなく 論理客観的根拠に基づき見極められる必要性がある

「何が本当に社会安全性に必要なのか」という「真理」が見極められなければ 社会の暴走や崩壊を食い止めることはできない

むしろ暴走破綻に加担してしまうことになるのである



Ende;
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暗雲

2021年02月02日 16時06分46秒 | 写真

ついでに夕焼けも載せとく GANREFへのリンクなので容量注意

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黒目川と幸魂大橋

2021年02月02日 14時19分36秒 | 写真

黒目川

 

幸魂大橋

何か凄い名前

 

Ende;

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