繰り返し書いているので少々うんざりするかもしれないけれど、
誤解があってはもったいないと思うので、しつこく説明したい。
私は生まれながらの性別は女性だが、恋愛対象は女性で、
性別の自認は女性ではなく、かといって男性になりたいわけでもない。
生まれながらの性別と、自分の性別の認識に食い違いがあるのを、
性同一性障害と言う。
と思うかもしれないが、実はちょっと違う。
たしかに、性別のアイデンティティが、すんなりと行っていない。
だから、私のことを性同一性障害と呼べそうなもんだ。
性同一性障害とは、診断名だ。
お医者さんが、患者さんに貼るレッテルだ。
日本には現在、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」
というものがある。
急いで作られたため、様々な問題や課題を抱えた法律であり、
今後、議論を重ねていく必要がある。
その法律の中での「性同一性障害者」の定義は、以下のようだ。
長ったらしいが、引用する。
生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、
心理的にはそれとは別の性別(以下「他の性別」という。)
であるとの持続的な確信を持ち、
かつ、自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする
意思を有する者であって、そのことについてその診断を的確に行うために
必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている
医学的知見に基づき行う診断が一致しているものをいう。
私は、最初のたった一つの要件にしか合致しないのだ。
つまり、「生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、」
のところだけ。
その文の後半の「心理的にはそれとは別の性別
(以下「他の性別」という。)であるとの持続的な確信を持ち、」
のところが、既に違う。
男性になりたいわけではないからだ。
続く表現は当てはまる。
ちょっと前に書いたように、第二次性徴の頃、
体つきが変わり、胸がふくらみ、初潮を迎え、
多くの女性が戸惑いを経験する。
こんなふうになりたくない、と感じる女性も多い。
けれども多くは次第に自分が女性らしくあることを受け入れていく。
が、私が自分の性徴を受け入れないのは、そういった
一時的なものとはまったく異なる。
そこは「心理的にはそれとは別の性別(以下「他の性別」という。)
であるとの持続的な確信を持ち、」
という表現と合致する。
しかし私は、あくまで、
生物学的には明らかに女性だけれど、男性になりたいわけではない。
私はどこにいるかと言うと、女性でもなく、男性でもないところにいる。
実は、性別は女性と男性にはっきり分けられるものではなく、
その境界には様々な人たちがいる。
性別は男女の二元論では語れないのだ。
境界にいる人たちのことを、トランスジェンダーと言う。
性別の境界を超えたり、辺境地帯でうろうろしている人たちのことだ。
医学的な治療対象である「性同一性障害」の定義を
ここでもう一度見ていただきたい。
他の性別に身体的に適合させたい、と定義の中で言っているのは
女性は男性に、男性は女性に、という意味だということが分かる。
「他の性別」と言ったときに、辺境地帯の存在は考えられていない。
性別と言ったら男か女、という二元論に基づいているのだ。
性同一性障害という問題の中で、そもそも
トランスジェンダーは扱われていないのだ。
たいへん多様性に富む性別の問題の中には、
似て非なる概念がごろごろしている。
wikipediaを見ても、性同一性障害と類似の概念について
「他の概念との別」という項目を設けて丁寧に解説している。
だがそこにあるのは、
同性愛、異性装、ニューハーフ、おかま、性差の撤廃、
精神病、性嗜好である。
残念ながらトランスジェンダーは書かれていない。
それくらい、曖昧な存在なのだろう。
こういう人たち、というふうに括りにくい存在。
言わば、「その他」。
そんなふうに思う。
誤解があってはもったいないと思うので、しつこく説明したい。
私は生まれながらの性別は女性だが、恋愛対象は女性で、
性別の自認は女性ではなく、かといって男性になりたいわけでもない。
生まれながらの性別と、自分の性別の認識に食い違いがあるのを、
性同一性障害と言う。
と思うかもしれないが、実はちょっと違う。
たしかに、性別のアイデンティティが、すんなりと行っていない。
だから、私のことを性同一性障害と呼べそうなもんだ。
性同一性障害とは、診断名だ。
お医者さんが、患者さんに貼るレッテルだ。
日本には現在、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」
というものがある。
急いで作られたため、様々な問題や課題を抱えた法律であり、
今後、議論を重ねていく必要がある。
その法律の中での「性同一性障害者」の定義は、以下のようだ。
長ったらしいが、引用する。
生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、
心理的にはそれとは別の性別(以下「他の性別」という。)
であるとの持続的な確信を持ち、
かつ、自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする
意思を有する者であって、そのことについてその診断を的確に行うために
必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている
医学的知見に基づき行う診断が一致しているものをいう。
私は、最初のたった一つの要件にしか合致しないのだ。
つまり、「生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、」
のところだけ。
その文の後半の「心理的にはそれとは別の性別
(以下「他の性別」という。)であるとの持続的な確信を持ち、」
のところが、既に違う。
男性になりたいわけではないからだ。
続く表現は当てはまる。
ちょっと前に書いたように、第二次性徴の頃、
体つきが変わり、胸がふくらみ、初潮を迎え、
多くの女性が戸惑いを経験する。
こんなふうになりたくない、と感じる女性も多い。
けれども多くは次第に自分が女性らしくあることを受け入れていく。
が、私が自分の性徴を受け入れないのは、そういった
一時的なものとはまったく異なる。
そこは「心理的にはそれとは別の性別(以下「他の性別」という。)
であるとの持続的な確信を持ち、」
という表現と合致する。
しかし私は、あくまで、
生物学的には明らかに女性だけれど、男性になりたいわけではない。
私はどこにいるかと言うと、女性でもなく、男性でもないところにいる。
実は、性別は女性と男性にはっきり分けられるものではなく、
その境界には様々な人たちがいる。
性別は男女の二元論では語れないのだ。
境界にいる人たちのことを、トランスジェンダーと言う。
性別の境界を超えたり、辺境地帯でうろうろしている人たちのことだ。
医学的な治療対象である「性同一性障害」の定義を
ここでもう一度見ていただきたい。
他の性別に身体的に適合させたい、と定義の中で言っているのは
女性は男性に、男性は女性に、という意味だということが分かる。
「他の性別」と言ったときに、辺境地帯の存在は考えられていない。
性別と言ったら男か女、という二元論に基づいているのだ。
性同一性障害という問題の中で、そもそも
トランスジェンダーは扱われていないのだ。
たいへん多様性に富む性別の問題の中には、
似て非なる概念がごろごろしている。
wikipediaを見ても、性同一性障害と類似の概念について
「他の概念との別」という項目を設けて丁寧に解説している。
だがそこにあるのは、
同性愛、異性装、ニューハーフ、おかま、性差の撤廃、
精神病、性嗜好である。
残念ながらトランスジェンダーは書かれていない。
それくらい、曖昧な存在なのだろう。
こういう人たち、というふうに括りにくい存在。
言わば、「その他」。
そんなふうに思う。
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