[あらすじ] 自宅から100mほどのところを、高速道路が走っている。
常に騒音がするということは、他の必要な音の大きさも、
その分は少しずつ大きくしないと聞こえない。
我が家の場合、さほどの騒音ではないから、大きくする分量もさほどではなくて良い。
しかし、全体が底上げされることにはなる。
とは言え、走行音の轟という音は、誰かがしゃべり続けているよりは、邪魔ではない。
※
テレビをつけっぱなしにしていると、気になってしかたない。
言葉がいちいち耳に入ってくる。
無視できない。
にぎやかな店の中だと、目の前の相手の言葉が聞き取りにくい。
相手の向こう側や周囲の会話まで耳に入ってきてしまう。
カクテルパーティ効果という述語がある。
大勢の人ががやがやと話している中でも、自分の相手の言葉だけ聞き取ることができる、
という、聴覚の現象を指す言葉だ。
どうも、私の場合、これが弱いようだ。
人間の耳は、頭の両の側面に横に向かって付いている。
ここに到達する時差や音量の差によって、音の聞こえる方向を判断できる仕組みになっている。
私は、左の耳のある音域に、少しだけ聴力の低い部分がある。
それによって、音の聞こえる方向の判断が狂っているなんてことが起きているだろうか。
それがカクテルパーティ効果と関係あるだろうか。
ねちねちと調べてみたいポイントだ。
※
それとも、集中力の問題かもしれない。
作業していても、周囲の音や人や言葉が気になりがちだ。
たとえば陶芸教室で電動轆轤に向かって粘土を挽いていても、
周りの人の会話の内容が聞こえてくる。
しっかり集中して、周りの声も聞こえない、
というふうには、なかなかならない。
脳みそに何か癖があるのだろうか。
※
喫茶店やレストランなどでBGMが流れているのも、苦手だ。
考え事をしたくても、聞こえてくる音楽に気が行ってしまう。
メロディーを追い、リズムを取り、ベースを把握し、副旋律や合いの手を聞く。
つまりは、スコア(すべての楽器を書いた総譜)を書き取ろうとしてしまうのだ。
さほどの能力も無いのに、曲が聞こえてくると脳内で譜面に取ろうとするため、
とても疲れる。
聞かなきゃいいのに。
※
作曲家、たしかマーラーだったろうか、
田園風景を描いたと言われる作品もあるのだが、
自然界の音が聞こえることなどは嫌っていた、というエピソードがある。
窓の外から小鳥の声が聞こえる、なんてステキな環境だと
うるさくて集中できず作曲に差し障りがある、というのだ。
私の場合、鳥の声は音楽的でもなければ、言葉として理解できるわけでもないので、
無視できる。
マーラーは、鳥の声にリズムや音律を感じたりしていたのかもしれない。
常に騒音がするということは、他の必要な音の大きさも、
その分は少しずつ大きくしないと聞こえない。
我が家の場合、さほどの騒音ではないから、大きくする分量もさほどではなくて良い。
しかし、全体が底上げされることにはなる。
とは言え、走行音の轟という音は、誰かがしゃべり続けているよりは、邪魔ではない。
※
テレビをつけっぱなしにしていると、気になってしかたない。
言葉がいちいち耳に入ってくる。
無視できない。
にぎやかな店の中だと、目の前の相手の言葉が聞き取りにくい。
相手の向こう側や周囲の会話まで耳に入ってきてしまう。
カクテルパーティ効果という述語がある。
大勢の人ががやがやと話している中でも、自分の相手の言葉だけ聞き取ることができる、
という、聴覚の現象を指す言葉だ。
どうも、私の場合、これが弱いようだ。
人間の耳は、頭の両の側面に横に向かって付いている。
ここに到達する時差や音量の差によって、音の聞こえる方向を判断できる仕組みになっている。
私は、左の耳のある音域に、少しだけ聴力の低い部分がある。
それによって、音の聞こえる方向の判断が狂っているなんてことが起きているだろうか。
それがカクテルパーティ効果と関係あるだろうか。
ねちねちと調べてみたいポイントだ。
※
それとも、集中力の問題かもしれない。
作業していても、周囲の音や人や言葉が気になりがちだ。
たとえば陶芸教室で電動轆轤に向かって粘土を挽いていても、
周りの人の会話の内容が聞こえてくる。
しっかり集中して、周りの声も聞こえない、
というふうには、なかなかならない。
脳みそに何か癖があるのだろうか。
※
喫茶店やレストランなどでBGMが流れているのも、苦手だ。
考え事をしたくても、聞こえてくる音楽に気が行ってしまう。
メロディーを追い、リズムを取り、ベースを把握し、副旋律や合いの手を聞く。
つまりは、スコア(すべての楽器を書いた総譜)を書き取ろうとしてしまうのだ。
さほどの能力も無いのに、曲が聞こえてくると脳内で譜面に取ろうとするため、
とても疲れる。
聞かなきゃいいのに。
※
作曲家、たしかマーラーだったろうか、
田園風景を描いたと言われる作品もあるのだが、
自然界の音が聞こえることなどは嫌っていた、というエピソードがある。
窓の外から小鳥の声が聞こえる、なんてステキな環境だと
うるさくて集中できず作曲に差し障りがある、というのだ。
私の場合、鳥の声は音楽的でもなければ、言葉として理解できるわけでもないので、
無視できる。
マーラーは、鳥の声にリズムや音律を感じたりしていたのかもしれない。
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