[あおもり] 6月24日に青森レインボーパレードを飼い犬ジーロくんと歩いた。
青森市の繁華街はけっこう広い。
駅のほうからずーっと東に歩いて、善知鳥神社も過ぎた一角の
ビルの一室のクラブを借りて、アフターパーティーが行われた。
弘前や札幌からのDJが回してくれた。
ああ二次会でもっとブラックミュージックについて語り合いたかったな。
さてそんな「DJのいるクラブイベント」と知りながら、
「歌わせてもらえる時間有るかいな」と申し出てみた。ヒー
軽やかに承諾いただき、オープニングの10分間をいただいた。
クラブイベントでウクレレ抱えて歌う違和感たら。
1曲目は、スリードッグナイトの「Joy to the world」。
元の歌詞に忠実?に自作した日本語詞で、「酔~どれは」と歌う。
政治に切り込んで世界に虹をかけるぞ乾杯!という内容なので、
この場にぴったりなのではないかと選んだ。
2曲目は言わずと知れた中島みゆき様の「糸」。
私は、ひとの結婚を素直に祝えない。
結婚とは何か、なぜ結婚するのか、なぜ結婚という形をとるのか、
結婚という制度パッケージにはどんなサービスがまとめられているのか。
そういったことを考えもせず、ましてや疑問にも思わず、
人生のコースとしてごく当たり前に結婚していく、
多くのシスジェンダー、ヘテロセクシュアルに対して、信頼ができない。
なんでそんな結婚を私が祝わなきゃならんのか分からない。
私がパートナーを見つけても、誰も「おめでとう」なんて言うことは無いのに。
という感覚だ。
近年、同性婚という動きが出てきたので、私も結婚ということをする日が来るかもしれない。
そういうふうに多少は状況が変わってきたが、それは自分の側の話で、
結婚制度にそのような変化が有ったところで、
多くのシスジェンダー、ヘテロセクシュアル自身が結婚についてもっと考えるようになるかというと、
それは疑問だ。
こういった人たちが結婚について深く考えるのは、離婚に際して初めて、ということになりがちに思う。
もとい、歌の話だった。
パレードというのは、日頃は抑えたり隠したりしている自分を
自分はちゃんと存在するものとして歩く。
いなかったものがいることになる、再生の意味がある。
参加者は、活力が湧く。
そのアフターパーティーで、この歌を歌うために、
「どうしてもこういうひがみの気持ちが有るんだ」という話をするのは、
みんなの晴れ晴れとした気持ちにシミを作るようで、気が引けた。
どう話そうか、話そうか話すまいか、歌うか歌わないか、
ずいぶん迷った。
けれど、歌う前にそんな話をしてみると、たくさんの参加者が
うなづきながら聞いてくれた。
あれは励まされたな。
私は、2番の歌詞から歌った。
「なぜ生きてゆくのかを 迷った日の跡のささくれ」
私たちはみんな、死にぞこないのささくれ持ちだ。
歌い始めるとほどなく、他の誰かの歌声が重なってきた。
そしてすぐに声は増えた。
誰かの婚礼でなく、パレードを歩いた自分たちの歌として「糸」を歌う。
アカペラで2番を歌い、ウクレレを添えて1番に戻る。
「なぜめぐりあうのかを」
声を少し、和らげる。
安心せえ、私たちはいつも何も知らないけれど、きっと出逢うらしいぜ、
みゆきさんが言ってんだから、ちげえねえ。
青森市の繁華街はけっこう広い。
駅のほうからずーっと東に歩いて、善知鳥神社も過ぎた一角の
ビルの一室のクラブを借りて、アフターパーティーが行われた。
弘前や札幌からのDJが回してくれた。
ああ二次会でもっとブラックミュージックについて語り合いたかったな。
さてそんな「DJのいるクラブイベント」と知りながら、
「歌わせてもらえる時間有るかいな」と申し出てみた。ヒー
軽やかに承諾いただき、オープニングの10分間をいただいた。
クラブイベントでウクレレ抱えて歌う違和感たら。
1曲目は、スリードッグナイトの「Joy to the world」。
元の歌詞に忠実?に自作した日本語詞で、「酔~どれは」と歌う。
政治に切り込んで世界に虹をかけるぞ乾杯!という内容なので、
この場にぴったりなのではないかと選んだ。
2曲目は言わずと知れた中島みゆき様の「糸」。
私は、ひとの結婚を素直に祝えない。
結婚とは何か、なぜ結婚するのか、なぜ結婚という形をとるのか、
結婚という制度パッケージにはどんなサービスがまとめられているのか。
そういったことを考えもせず、ましてや疑問にも思わず、
人生のコースとしてごく当たり前に結婚していく、
多くのシスジェンダー、ヘテロセクシュアルに対して、信頼ができない。
なんでそんな結婚を私が祝わなきゃならんのか分からない。
私がパートナーを見つけても、誰も「おめでとう」なんて言うことは無いのに。
という感覚だ。
近年、同性婚という動きが出てきたので、私も結婚ということをする日が来るかもしれない。
そういうふうに多少は状況が変わってきたが、それは自分の側の話で、
結婚制度にそのような変化が有ったところで、
多くのシスジェンダー、ヘテロセクシュアル自身が結婚についてもっと考えるようになるかというと、
それは疑問だ。
こういった人たちが結婚について深く考えるのは、離婚に際して初めて、ということになりがちに思う。
もとい、歌の話だった。
パレードというのは、日頃は抑えたり隠したりしている自分を
自分はちゃんと存在するものとして歩く。
いなかったものがいることになる、再生の意味がある。
参加者は、活力が湧く。
そのアフターパーティーで、この歌を歌うために、
「どうしてもこういうひがみの気持ちが有るんだ」という話をするのは、
みんなの晴れ晴れとした気持ちにシミを作るようで、気が引けた。
どう話そうか、話そうか話すまいか、歌うか歌わないか、
ずいぶん迷った。
けれど、歌う前にそんな話をしてみると、たくさんの参加者が
うなづきながら聞いてくれた。
あれは励まされたな。
私は、2番の歌詞から歌った。
「なぜ生きてゆくのかを 迷った日の跡のささくれ」
私たちはみんな、死にぞこないのささくれ持ちだ。
歌い始めるとほどなく、他の誰かの歌声が重なってきた。
そしてすぐに声は増えた。
誰かの婚礼でなく、パレードを歩いた自分たちの歌として「糸」を歌う。
アカペラで2番を歌い、ウクレレを添えて1番に戻る。
「なぜめぐりあうのかを」
声を少し、和らげる。
安心せえ、私たちはいつも何も知らないけれど、きっと出逢うらしいぜ、
みゆきさんが言ってんだから、ちげえねえ。
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