コスモのフォトアルバム

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崇福寺(国宝・大雄宝殿)~長崎県長崎市鍛冶屋町

2023-06-24 06:13:07 | 神社・仏閣・教会

2023年5月10日 長崎県

崇福寺(国宝・大雄宝殿)

長崎県長崎市鍛冶屋町

福州地方の唐人たちの希望で、1629年に渡来した唐僧超然により創建された崇福寺は福州寺とも呼ばれ、竜宮門を思わせる三門や珍異奇巧を極めている第一峰門があります。

殿堂内の仏像仏具類は、いづれも中国人名匠の手によるもので、明朝末期文化の縮図といえるものです。
第一峰門と大雄宝殿は国宝に指定され、その他にも国指定重要文化財、県指定有形文化財、市指定有形文化財を多数もつ文化財の宝庫です。

長崎の唐寺の特色は媽祖堂(まそどう)をもつことで、唐船主たちが航海安全を祈願して祀ったものです。媽祖とは海の神様のことで、中国建築様式と和様が違和感無く調和しています。

▼三門(楼門)重要文化財 1849年再建

▼第一峰門(国宝)

唐門とも呼ばれる。入母屋造本瓦葺の四脚門で、各部材を中国で切組んで運んだと伝え、中国明代末期の建築様式を忠実に伝えた遺構として貴重。華麗な着色を施した組物が珍しい。

▼媽祖堂

寛政6年(1794)唐船主からの砂糖1万斤の代銀12貫目で再建された。基壇(きだん)上の勾欄(こうらん)・前廊の黄檗(おうばく)天井・半扉(はんとびら)その他の黄檗様式と和様の細部様式とが混在している。

▼媽祖門 重要文化財

▼護法堂

大梁(おおばり)下面の墨書(ぼくしょ)により享保16年(1731)の建立と知る。
柱上部の籐巻(とうまき)・挿肘木(さしひじき)・扇垂木(だるき)・半扉(はんとびら)・黄檗(おうばく)天井などに黄檗様式があり、柱礎石の彫刻模様も中国工匠の作と思われるが、妻飾(つまかざ)りは和様で日本人工匠の参加が看取される。

▼大釜

延宝8(1680)年に起きた不作を受け、長崎で大飢饉が起きた際に作られたとされている大釜。
その飢饉が長引いたため、当時の住職が天和2年(1682)この大釜を造らせ、住職が粥を炊き、多くの難民を救ったといわれています。

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興福寺2023~長崎県長崎市寺町

2023-06-21 05:56:58 | 神社・仏閣・教会

2023年5月10日 長崎県

興福寺2023

長崎県長崎市寺町

寺町通りに建つ朱色の山門が印象的な「興福寺」は、わが国最初の唐寺で日本黄檗宗(おうばくしゅう)発祥の地。1620年、中国の南京地方出身者が、真円(しんえん)を開基として媽姐堂・仏殿を建てたので、南京寺とも呼ばれます。

禁教令下の江戸時代初期は中国からの来航者が多く、自分たちがキリスト教徒ではないことの証明と、海の守護神「媽祖(まそ)」を祀ることを目的に唐寺を建立し、菩提寺としました。

1632年第2代住職・黙子如定(もくすにょじょう)は本堂である大雄宝殿(だいゆうほうでん)を建立。その後火災や暴風で大破し、1883年に再建されました。中国工匠による中国南方建築の代表作で、緻密な彫刻やアーチ型の天井等があり、圧倒的な美しさを誇ります。黙子如定は眼鏡橋を架けたことでも有名です。

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長崎孔子廟~長崎県長崎市大浦町

2023-06-10 05:54:35 | 神社・仏閣・教会

2023年5月9日 長崎県

長崎孔子廟

長崎県長崎市大浦町

長崎孔子廟は、1893年(明治26)中国清朝政府と華僑によって建造されたものです。原爆投下によって一時は崩壊寸前となりましたが、再び華僑たちの手によって修理され1967年より一般公開されています。その後中華人民共和国政府や山東省曲阜の孔子本廟の協力のもとに七十二賢人石像などがもたらされて、荘厳な雰囲気をかもし出しています。

 

長崎市南山手(重要伝統的建造物群保存地区)⇒長崎孔子廟⇒出島

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大浦天主堂(国宝)2023~ 長崎県長崎市南山手町

2023-05-29 05:59:53 | 神社・仏閣・教会

2023年5月9日 長崎県

大浦天主堂(国宝)

長崎県長崎市南山手町

長崎市南山手(重要伝統的建造物群保存地区)

大浦天主堂は、幕末の開国にともなって造成された長崎居留地に、在留外国人のために建設された中世ヨーロッパ建築を代表するゴシック調の教会で、現存するものでは国内最古となります。

聖堂内を飾るステンドグラスの中には、約100年前のものもあります。また、建立直前の1862年に聖人に列せられた日本二十六聖人に捧げられた教会であり、天主堂の正面は殉教の地である西坂に向けて建てられています。
設計指導者はフランス人宣教師のフューレとプティジャンの両神父で、施工は天草の小山秀之進(のちに、「秀(ひいで)と改名」)です。1864年末に竣工し、翌年2月に祝別されました。この直後の3月に、浦上の潜伏キリシタンが訪れ、信仰を告白したことにより、世界の宗教史上にも類を見ない「信徒発見」の舞台となりました。1875年と1879年の増改築により、平面形式と外観デザインも変容し、外壁も木造からレンガ造に変更されましたが、内部空間の主要部には創建当初の姿が保存されています。

1933年に国宝となりましたが、原爆による損傷の修復が完了した後、現存する日本最古の教会建築として1953年に再度国宝に指定されました。

敷地内には旧羅典神学校、旧長崎大司教館が建てられている。

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福済寺(万国霊廟長崎観音)2023~長崎県長崎市筑後町

2023-05-21 05:53:22 | 神社・仏閣・教会

2023年5月8日 長崎県

福済寺(万国霊廟長崎観音)2023

長崎県長崎市筑後町

福済寺は、長崎の唐寺のなかでも大きな寺院で国宝にも指定されていましたが、昭和20年(1945年)の原爆投下により焼失してしまいました。 現在は、かつての本堂が建っていた跡に『万国霊廟長崎観音』という観音像が建てられています。 山あいに突如現れる、亀の上に立つ巨大な観音様の像は強烈なインパクトがあります。

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聖福寺(重要文化財4棟)~長崎県長崎市玉園町

2023-05-19 05:57:00 | 神社・仏閣・教会

2023年5月8日 長崎県

聖福寺(重要文化財4棟)

長崎県長崎市玉園町

長崎県長崎市玉園町にある黄檗宗(おうばくしゅう)の寺、聖福寺。日本に黄檗宗を伝えた隠元の孫弟子・鉄心道胖(てつしんどうはん)が、長崎奉行、長崎の華僑たちの支援を受け、延宝5年(1677年)に開山しています。江戸時代中期築の大雄宝殿(本堂)、天王殿、鐘楼、三門は国の重要文化財に指定。

▼惜字亭(市指定有形文化財)

経文その他、 寺内の不要文書類を焼却するための炉で惜字亭という名称はたいへん奥ゆかしい。 煉瓦造り漆喰塗りの六角形で、 築造は慶応2年(1866)7月とされている。

▼天王殿(重要文化財)

中央に弥勒菩薩(布袋)と韋駄天を背中合わせに祀り、左右を通り抜けにした。仏殿と門を兼用する独特の形式を持つ。中門・弥勒門・護法堂などの別名がある。

▼布袋様

▼鐘楼(重要文化財)

この鐘楼は、堺と長崎の棟梁の合作で、享保元年(1716年)に竣工。長崎県下で鐘楼建築では現存する最古のものである。

▼石門

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▼境内の高台から見た長崎市内

※大雄宝殿(重要文化財)は改修工事中。山門(重要文化財)は見逃してしまいました。

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中町カトリック教会~長崎県長崎市中町

2023-05-16 05:54:39 | 神社・仏閣・教会

2023年5月8日 長崎県

中町カトリック教会

長崎県長崎市中町

正式名称は「日本十六聖人教会」。大浦天主堂に次ぐ約120年の歴史をもつ古教会。キリシタン大名大村純忠ゆかりの大村藩蔵屋敷跡に、明治29年(1896)、「西中町教会堂」として建立。当初は大きな尖塔をシンボルとしたロマネスク様式の聖堂だったが、昭和20年(1945)の原爆投下で尖塔と側壁だけに。現聖堂は世界中からの献金をもって礎石、レンガの外壁はそのままに、鉄筋コンクリートの白亜の教会として昭和26年(1951)に再建されたもの。中央尖塔の両脇には2本の小塔が加えられ、天井は筒形ヴォールトになっている。

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住吉神社(重要文化財)~福岡県福岡市博多区住吉

2023-05-06 05:59:01 | 神社・仏閣・教会

2017年12月27日 【一人でゆく九州2017】  福岡県

住吉神社 重要文化財

福岡県福岡市博多区住吉

祭神は底筒男神・中筒男神・表筒男神の住吉三神。式内社。筑前国一宮。昔の地形は博多湾に臨む那珂川河口の岬だった。全国に約2000社ある住吉神社の始源と考えられ、開運除災・航海安全・船舶守護の神として崇拝されてきた。和歌神としても崇敬され、連歌師の宗祇も訪れている。直線的な屋根などに、仏教建築と対照的な古来の神社建築の名残をとどめている。本殿は国指定重要文化財

  

  

2018-07-12 06:12:10

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横浜媽祖廟(横浜大天后宮)2023~神奈川県横浜市(横浜中華街)

2023-04-08 06:13:22 | 神社・仏閣・教会

2023年4月3日

横浜媽祖廟(横浜大天后宮)2023

神奈川県横浜市(横浜中華街)

横浜媽祖廟は道教の神様を祀る廟で、正式な名称は「横浜大天后宮」です。2006年3月17日に落慶開廟しました。道教では歴史の中で実在した人物が亡くなったあと天に昇って神になります。媽祖は道教の神々の中で位の高い女神であり、最も人気のある崇拝神の一人です。

横浜媽祖廟は、みなと横浜にふさわしい海の安全を守る媽祖を祀る文化施設です。

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関帝廟2023~神奈川県横浜市(横浜中華街)

2023-04-07 05:48:07 | 神社・仏閣・教会

2023年4月3日

関帝廟2023

神奈川県横浜市(横浜中華街)

横浜中華街にある関帝廟には、多くの人々から尊敬される武将、関聖帝君が祀られています。三国志で有名なこの将軍は後世、神格化され、関帝廟における崇拝の中心像となっています。

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柴又帝釈天彫刻ギャラリー~東京都葛飾区柴又

2023-03-29 05:53:39 | 神社・仏閣・教会

2023年3月17日

柴又帝釈天彫刻ギャラリー

東京都葛飾区柴又

帝釈堂内殿の外部は東・北・西の全面が装飾彫刻で覆われており、中でも胴羽目板の法華経説話の浮き彫り10面が著名である。これは法華経に説かれる代表的な説話10話を選び視覚化したもので、大正11年(1922年)から昭和9年(1934年)にかけて、加藤寅之助ら10人の彫刻師が1面ずつ分担制作した。この羽目板の上方には十二支と天人、下方には千羽鶴が表され、高欄(縁)より下の部分には花鳥および亀を浮き彫りで表す。これらの彫刻を保護するため、内殿は建物ごとガラスの壁で覆われ、見学者用の通路を設け、「彫刻ギャラリー」と称して一般公開している。

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柴又帝釈天(経栄山題経寺)~東京都葛飾区柴又

2023-03-28 05:58:41 | 神社・仏閣・教会

2023年3月17日

柴又帝釈天(経栄山題経寺)

東京都葛飾区柴又

寛永6年(1629年)の創建で、正式名は経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)。宗祖・日蓮自らが彫ったという帝釈天を祀っていることから、「柴又帝釈天」の名で親しまれています。

▼二天門

明治29年(1896年)の建立。入母屋造瓦葺の楼門(2階建て門)で、屋根には唐破風と千鳥破風を付す。柱上の貫などには浮き彫りの装飾彫刻を施す。初層左右には四天王のうちの増長天および広目天の二天を安置し、門の名はこれに由来する。柴又帝釈天の二天像は平安時代の作と思われ、門の建立時に同じ日蓮宗の妙国寺(大阪府堺市)から柴又帝釈天へ寄贈されたものである。

▼二天門と大鐘楼堂

▼大鐘楼堂

▼帝釈堂(開山堂)

柴又帝釈天の中では、江戸末期に建立された最古の建築であり、文化文政の建築様式が見られる貴重な建物です。奈良時代作という釈迦如来立像と、開山日栄、中興の祖日敬の木像を安置する。

瑞龍松

高さ約12メートル・樹齢およそ500年の古木。10メートル以上ある枝を帝釈堂の前に大きく広げる姿が、まるで一匹の龍がそこに横たわっているように見えることから、その名が付いた。

▼祖師堂

帝釈堂の向かって右に建つ。帝釈堂と同様、入母屋造の拝殿と内殿が前後に並んで建つ。元はこちらが日蓮宗寺院として柴又帝釈天 題経寺の本来の本堂でした。

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横浜開港教会~神奈川県横浜市

2023-03-21 05:48:51 | 神社・仏閣・教会

2023年2月28日 神奈川県

横浜開港教会

神奈川県横浜市

慶応3年(1868年)11月に、横浜外国人居留地167番にJ.H.バラの依頼によって横浜在住の外国人のための礼拝所・日本人のための英語教場として、石造りの小会堂が建設されたのが始まりという歴史ある教会が、横浜海岸教会。明治5年2月2日(1872年3月10日)、横浜公会として設立した日本で最初のプロテスタント教会です。

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天授院(重要文化財)~神奈川県横浜市中区(三渓園内)

2023-03-05 05:57:06 | 神社・仏閣・教会

2023年2月28日 神奈川県

聴秋閣(重要文化財)

神奈川県横浜市中区(三渓園内)

鎌倉の建長寺近くにあった心平寺の地蔵堂の建物と考えられています。禅宗様を主体とし、全体に室町時代の様式が見られますが、修理の際に慶安4年・1651年の墨書銘が確認され、江戸時代の初めごろに建てられたことが明らかになりました。

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