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松蔭神社周辺2016~山口県萩市椿東

2016-10-10 05:51:07 | 神社・仏閣・教会

2016年8月26日 山口県

松蔭神社周辺2016

山口県萩市椿東

▼松下村塾

幕末,長門萩の松本村にあった私塾。安政2 (1855) 年萩の野山獄出獄後の吉田松陰が叔父玉木文之進の跡を継ぎ同4年杉家邸内に開き,約2年半にわたり子弟の訓育にあたった家塾。長州藩尊攘討幕派の中心として,藩校明倫館に対し独自の位置を占め,高杉晋作,久坂玄瑞,佐世八十郎 (前原一誠) ,品川弥二郎,山県小輔 (有朋) ,伊藤俊輔 (博文) ら,幕末維新期に活躍する多くの人々を輩出した。

    

▼ 吉田松陰幽囚の旧宅

松下村塾の東隣に立つ、松陰の実家・杉家の一室。安政元年(1854)、密航に失敗した松陰は、野山獄に投獄され、翌年ここに移されて謹慎の身となった。 

  

▼松蔭神社

明治23年(1890)に吉田松陰を祀って建てられた神社。
  

▼松門神社

 

 ▼玉木文之進旧宅(松下村塾発祥之所)

 松下村塾の創立者であり、吉田松陰の叔父である玉木文之進は、文化7年(1810)萩藩士杉七兵衛の三男として生まれ、11歳のときに玉木十右衛門の後を継ぐ。天保13年(1842)松下村塾を開き多くの子弟を教育した。松陰先生が10歳で藩校明倫館の助教授となったときの後見人でもある。性格は謹厳、剛直、明治9年(1876)の秋、前原一誠の起こした萩の乱を阻止出来ず、養嗣子(乃木大将の実弟)正誼をはじめ門弟が多く参加したことから「自己の教育責任を、一死以ってこれを償ふ」と言い、自刃した。享年66歳。

 

 ▼吉田松陰誕生地
  

▼郡司鋳造所遺構広場

司鋳造所は在来技術である「こしき炉」によって西洋式大砲を鋳造しており、近代技術へと移行する過渡期を物語る産業遺構として貴重なものです。なかでも、西洋式の青銅大砲を鋳造し、一番深いところで4.5mある巨大な石組み大砲鋳造遺構は日本でも唯一です。
  

     

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