2016年8月29日 鳥取県
鳥取城 100名城
鳥取県鳥取市東町
織田信長が豊臣秀吉に命じた中国地方への進攻時に、「鳥取の渇え殺し」ともいわれる兵糧攻めが行われたことで知られる鳥取城。戦国史上において最も残虐だったといわれるこの策は、秀吉の軍師・黒田官兵衛によるものといわれる。当時を偲ばせるものとしては天守台、石垣が残っている。
▼天球丸の石垣
石垣のたわみを防ぐために球面を持つ巻石垣によって石垣下部が補強された。
▼三階櫓跡
▲「お左近(さご)」の手水鉢
近世城郭としての鳥取城の基礎は、池田長吉の時代に築かれました。この時の工事にあたって、池田長幸(長吉の子)夫人の侍女・「お左近」の活躍はめざましいものだったようで、このお左近の手水鉢を石垣に築きこんだところ、難工事であった三階櫓も、無事完成したという伝説が残されています。昭和三八年、この「手水鉢」と思われる石材が発見され、三階櫓石垣の修理に際して、もとの位置に復元されました。 説明板
▼天球丸跡
▼天球丸の石垣
表御門跡
2016-11-25 06:12:45
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