2016年7月25日 京都府
立岩
京都府京丹後市丹後町間人(たいざ)
竹野川河口から竹野港付近の海岸では、柱状の割れ目をもつ巨大な黒い岩石が多く見られます。特に「立岩」は、周囲1kmにも及び、その巨大さからも地域のシンボルとして親しまれています。 「立岩」に見られる柱状の割れ目は「柱状節理」と呼ばれ、地層中に貫入したマグマが冷えて固まる際にできたものです。 竹野港の南西には「大成古墳」があり、その石室には立岩と同じ岩石が使われています。当時の人々が、柱状節理によって適度な大きさとなるこの岩石を石材としてうまく利用してきたことがうかがえます。 説明板より
▼撮影場所で見かけた柱状節理
間人(たいざ)
聖徳太子の生母・間人(はしうど)皇后が蘇我氏と物部氏との争乱を避けて丹後の当地に身を寄せ、のちに当地を去るに当たって自らの名をこの地に贈ったものの、住民は「はしうど」と呼び捨てにすることを畏れ多く思い、皇后が退座(たいざ)したのに因み間人を「たいざ」と読み替えた、との伝承が残る。但し間人皇后が丹後に避難したとする記述は記紀に無く、由来には他にも諸説がある。
cosmophantom
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