街道ウォーク<旧中山道<武佐宿(駅)~草津宿(駅)
2013年7月20日 22回目
大宝村大字綣元標
大宝村大字綣元標について
元標(げんぴょう)は道路元標ともいい、道路路線の起点や終点などを表示する標識であります。各市町村に一つづつ置かれるもので、石材その他の耐久性材料を用いて、里程や市町村名が記載されているものです。この元標は「大宝村大字綣元標」と刻まれることから、道路元標と云えますが、同時に大津市元標や栗太郡役所などからの里程をも示しており、里程標を兼ねたものだといえます。官公庁として大正15年(1926)に廃止された栗太郡役所、及ぴ昭和29年(1954)に移転した草津警察署からの里程を示すのはもちろん、京都伏見の第十六師団指令部や、大津駐屯の歩兵第九連隊(大正14=1925年に伏見へ移転)といった陸軍官庁からの里程も明らかにしており、建立時の時代背景をよく示しています。
<読み方と意昧>
(正面)
大津市元標を距てること、四里十八町三十間五尺。(約17,730m)
栗太郡役所を距てること、二十四町三十一間四尺。(約2,700m)
草津警察署を距てること、二十九町二十五間。(約3,200m)
大宝村大字綣元標。
(向って右側面)
第十六師団司令部最迫より、九里八丁(町)十二間五尺(36,200m)
大津第九連隊最迫より、四里三十町十三間五尺(約19,000m)
(向って左側面)
東は大宝村大字野尻より、十一町六間三尺、(約1,200m)
南は大宝村大字苅原より、八町四十間一尺、(約950m)
西は大宝村大字北中小路より、五町二十一間三尺、(約590m)
北は物部村大字二町より、四町五十八間三尺、(約540m)
(裏面)
大正六年二月十五日建設、奇附・西田哲太郎
元標の復元
旧元標は設置されて80年余りの年月を経ているため、風化がひどく文字の判読が困難な状況であることと、交通事故により中程から半分に折れるなど破損が著しいので、平成12年(2000年)に創意と工夫の郷づくり事業により復元したものです。尚、旧元標は栗東歴史民俗博物館に保存されています。 綣行政区
cosmophantom
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます