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旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

守山宿(説明板)と稲妻型屋敷割りの道(説明板)~旧中山道を歩く(22回目)

2013-08-17 10:34:32 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<武佐宿(駅)~草津宿(駅)
2013年7月20日 22回目

守山宿(説明板)と稲妻型屋敷割りの道(説明板)

これらの説明板は天満宮の左右に設けられている。 

▲中山道守山宿
 守山は古来、東山道の宿駅として栄えました。江戸時代に入り、東山道から中山道に改められた。寛永十九年(一六四二)守山宿は、徳川幕府より、中山道の正式宿場としての制札が下され認可されました。中山道は板橋(東京都)から守山までの六十七次で守山は最終宿場でした。以下省略 平成二十五年五月 中山道守山宿歴史文化保存会 守山市教育委員会

 

稲妻型屋敷割りの道

 

中山道守山宿は街道筋の距離が、文化十四年の記録では1053間、内民家のある町並が569間という長い街村であった。宿場の西端には市神社があり、その向かいには高札場があった。この高札場から東に約40mには宿場の防火、生活用水となった井戸跡がある。 街道筋の特色は、このあたりの道が最も幅広く、高所にあることと道路に沿った民家の敷地が、一戸毎に段違いとなっていることである。段違いの長さは一定ではないが、およそ二~三尺で、間ロの幅には規定されていないことがわかる。この屋敷の並び方がいつごろから行われたかを知る史料はないが、守山宿が守山市と関連して商業的機能と宿場を兼ねたことで、問屋、庄屋、本陣、市屋敷などを管理するため、あるいは怪しい人物が隠れても反対側から容易に発見できるなど、治安維持のための町づくりであった。守山市教育委員会

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