2014年3月4日 東京都
池上本門寺多宝塔 重要文化財
大田区池上1-1-1 池上本門寺
宗祖日蓮大聖人の御尊骸を荼毘に付した霊蹟に建つ供養塔。その建立は宗祖550遠忌を期して行われ、江戸芝口講中の本願により、文政11年(1828)に上棟、同13年(天保元年)に開堂供養を修している。石造の方形基壇に築いた円形蓮華座の上に建つ木造宝塔形式の建物で内外ともに漆や彩色によって華やかな装飾が施されている。塔内中央には金箔や彩色で華やかに装飾された木造宝塔を安置し、日蓮大聖人御所持の水晶念珠を奉安している。宝塔形式の木造塔婆は極めて現存例が少なく、当山多宝塔はその中でも最大規模を誇る本格的な宝塔として、極めて重要な建物である。 なお、「多宝塔」の名称は建立当初から呼称されているものであり、文化財としての名称は「池上本門寺宝塔」である。説明板
※ 本門寺は小学生の時に遊び場でした。今も年に何回かは訪れていますが、重文の多宝塔には全く気づきませんでした。木々の中にひっそりと・・・
おまけ
経蔵 大田区文化財
最初の経蔵がいつ建てられたか未詳だが、『新編武蔵風土記稿』によると、宝永7年(1710)焼失、享保2年(1717)第24世日等聖人が徳川御三家水戸綱條公を大檀那に再建したと伝えられている。 現存堂は、前掲本により、第34世日謙聖人が日蓮聖人第五百遠忌の天明元年(1781)に再建を発願し、3年後の同4年(1784)、松平周防守室浄心院智光妙受日成禅尼と松平播磨守室遠紹院妙道日養大姉を本願主として再々建したという。当初の棟札は伝わらないが、堂内の柱には、江戸後期に広範囲な周辺地域の寄進者の名が刻まれ、また、銘札によって、第74世酒井日慎聖人代の昭和7年に棟梁小木新七薫雄が営繕したことがわかる。 独立した堂宇のため、幸いにも昭和20年4月15日の空襲の際も、五重塔・大宝塔・総門などと炎上を免れた。江戸中期の本格的かつ大型の経蔵で、全国的にも注目される。 なお、堂内の輪蔵には、天海版一切経が架蔵されていた(別所に保管・大田区文化財)。本門寺ホームページより
この写真のみ平成26年3月16日撮影
☆cosmophantom
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