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大垣城址2016~岐阜県大垣市郭町

2016-07-24 05:29:25 | その他の城

2016年5月27日 岐阜県

大垣城址2016

岐阜県大垣市郭町

大垣城は美濃守護・土岐一族の宮川吉左衛門尉安定により、天文4年(1535)に創建されたと伝えられています。関ケ原の戦いでは、西軍・石田三成の本拠地となりました。その後、戸田氏が十万石の城主となり明治まで太平の世が続きました。昭和11年(1936)に国宝に指定されましたが、昭和20年(1945)7月戦災で焼失。昭和34年(1959)4月、4層4階の天守を再建し、名実ともに城下町大垣のシンボルとなりました。観光用に造られたもの。(外見復元)

▲水之手門跡

▲艮隅櫓(うしとらすみやぐら)

全盛期にはこういった櫓が10を数えたと言われています。
 

東門:七口之門の 1つである柳口門がここに移築されました

▲鉄門跡

  

戌亥櫓

西門と天守閣


-----大垣公園-----

濃飛護國神社

戸田氏鉄

戸田氏は古くから仁連木周辺に勢力を持っていた一族で、戦国時代は駿河の今川氏や三河の松平氏、牧野氏らと戦ったり、従属したりして戦乱の世を渡りますが、氏鉄は家康の近習として仕え、家康と共に各地を転戦。関ヶ原の戦いにも従軍し、慶長八年(1603)父・一西(かずあき)の死により家督を継いで、ぎ近江国膳所(おうみこくぜぜ:現在の滋賀県大津市)藩主となります。大坂の陣後、元和2年(1616)摂津尼崎五万石へ移封後、寛永十二年(1635)美濃大垣10万石へ移封されました。その後、代々戸田氏が大垣藩主となり、明治時代まで続いたので、氏鉄は大垣藩の藩祖としても有名な人物です。

  

 水門川を渡る船と住吉灯台とさつき

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