台鐵縦貫線高雄車站(高雄市)
民國94年7月16日撮影
TRA Songshan Station
Kaohsiung, Taiwan, Saturday, 16th July 2005
15時35分、彰化を発車した莒光號(キョ光號、草冠に呂)35次松山発屏東行は員林、田中、二水に停車。二水は集集線の起点である。構内には冷氣柴客(冷房付き気動車)の姿も見える。斗六、斗南、民雄、次は森林鐡路阿里山線の起点、嘉義である。阿里山線は木材運搬のため建設された路線で、軌間は縦貫線の1067mm(狭軌)よりも狭い、762mmの狭々軌の軽便で、途中には3重ループ線もある山岳鉄道だ。旧東京帝大教授琴山河合氏の設計で明治44年(1911)の完成、大正元年(1912)の開業。台湾最高峰玉山(3952m)は、日本統治時代は新高山(ニイタカヤマ)とも(富士山より高いから)。玉山から連なる山岳が阿里山で、御来光を拝むのが阿里山観光のポイントとガイドブックにはある。御来光はともかく、乗ってみたい鉄道ではあるが、民國69年(1980)に宮脇俊三先生が阿里山線に乗った時には4往復が運転されていたそうだが、今の時刻表を見ると1往復だけである。実に心許ない。近いうちに乗りに来なければいけない。左の車窓にナローゲージが近づいてきて、阿里山線のホームがあった。今日の列車は出発した後で、何の車両もいない。今日はそれだけ見て、嘉義16時54分発。
嘉義の南には北回帰線 the Tropic of Cancer が走っている。北緯23度26分22秒。北回歸線標塔が建てられているという。南北の回帰線の間を熱帯というそうだ。そういえば椰子の木が多くなったような気もするし、もともと多かったような気がする。田んぼは既に刈り取りを済ませたものや、まだ田植えを済ませたばかりのものもある。昔、社会で習った二期作、三期作を目の当たりにする。車窓にこういった田園が見られるものの、都市化が進んでいて建物が多い。常に大きな街、小さな街が現れ、人の営みが見られないような所は無かったのではないか。台湾の特に西側は人口密度が高いのだ。
平日の昼間の列車なのに車内は混んだままだ。いや、夕方になって更に混み合ってきた。近距離利用しやすい料金体系なので、通勤・通学の客で通路まで一杯である。右側の車窓は見えない。立っている人の切符が見える。列車名や区間の他に何やら書いてある。全席指定だが満席の場合に発行される「自願無座」の切符だろう。日本では立席券に相当するが、宮脇先生も「無座とは正しい表現である」と書かれている。窓側の席どころか、「自ら願いて座は無し」とならなくてよかった。それにしても無座の客が多い。新幹線を建設しなければならない訳である。台北から乗った隣の席のニイチャンもまだ乗っている。
新營、隆田、善化、新市、永康。私の席のすぐ側の通路に立つアベックが話しているが、もちろん中国語なので何を話しているか判らない。台南で大分客の乗降りがあるが、更に混み合って18時00分発車。大湖、路竹、岡山。松山から岡山まで6時間21分もかかっている。楠梓を出ると新幹線が左側に現れ、高鐡左營の月台(プラットフォーム)が見えた。在来線の台鐡縦貫線にも月台が新設され営業開始を待っている。もとからある左營を発車。愛河を渡って18時48分高雄に到着した。乗車時間は6時間44分に及んだ。台北から乗った隣の席のニイチャンは、まだ先へ行くようだ。私が席を離れると、すぐに自願無座の客が座った。
高雄のホームに降り立つ。月台が日本のように嵩上げされていないから、文字通り降り立った。ずっと冷房の効いた車内にいたから、ホームは蒸し暑く感じられる。いや本当に蒸し暑いんだろう。既に薄暗くなっている。誇線橋で南口へ向かう。蒸し暑さと雑踏で初めての街に来た新鮮さを味わう余裕はない。改札で切符を渡し、駅舎に入ると明るくて涼しくて、やっと人心地ついた。 (つづく)