広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

千秋公園の桜2023

2023-04-12 22:16:01 | 秋田の季節・風景
2023年の秋田市のソメイヨシノは、4月4日に開花(平年-13日、前年-8日)し、4月7日に満開(平年-15日、前年-9日)となった。どちらも2021年と同日で、観測史上いちばんの早さ。
気象台の標本木よりは遅れて咲く千秋公園でも、11日に満開になったとのこと。恒例の千秋公園の風景。※昨2022年

千秋公園桜まつりは、2020年から2022年は、新型コロナウイルス感染症により、中止や縮小開催。今年は4年ぶりの通常開催で、二の丸広場のステージイベントも復活。
ただ、期間は13日から24日。そのため、「プレ開催」として、10日から前倒しでライトアップと提灯点灯を行っている。露店(出店)の営業は13日から。

正面側を通らないルートで出入りしてしまったので、いきなり、
本丸
昨年は、屋外に野ざらしでアルコール消毒液が置いてあったが、今年はなし。看板では手指消毒への協力を呼びかけてはいる。

二の丸広場。左にステージ、左上が本丸
(出店がないし、平日だし)純粋に花を見に訪れる人が多数来ていたが、思ったより少ない(理由については最後に)。二の丸広場の芝生内や、本丸の奥のほうには、ほとんどいない。
咲き具合は、たしかに満開だが、老木らしい控えめな満開。【13日補足・街なかでは散り始めたソメイヨシノも見られたが、公園内ではそこまで進んではいなかった。】


二の丸・胡月池越しに本丸
胡月池の水が、今まで見たことがないほど濁っていた。水の入れ替えでもしているのか??

毎年恒例の本丸から二の丸広場方向
もう1つ恒例、本丸の桜のトンネル。
北側から

南側から
トンネルがなくなってしまった。東=本丸外側のトンネルを構成していたソメイヨシノが消えた。
千秋公園では、桜の老朽化対策として、段階的に更新(植え替え)が進められていて、この1年間でここが対象となったのだった。
植え替えられた桜
新しい桜は、ソメイヨシノではない。報道を見たものの忘れてしまったけれど、おそらく「ジンダイアケボノ」か。ソメイヨシノに近い品種で開花時期が重なり、てんぐ巣病に強いため、ソメイヨシノの後継として植えられることが増えているらしい。
新しい桜の花

ソメイヨシノの花。芯が赤いのは終わりかけだから
花の色合いや雰囲気は、ソメイヨシノと同一ではない。

斜面際には切り株もあった

本丸から胡月池を見下ろす
晴天であれば、上の写真奥には太平山の山並みがそびえている。雨上がりのはずなのに、今日は見えない。中国大陸から大量の黄砂が飛来していて、隠してしまった。
体への影響から外出を控えるよう勧める報道もあったので、千秋公園の人出がさほど多くなかったのは、黄砂の影響かも。

秋田市の街なかを歩いていると、視程が極端に悪いようなことはなった【13日補足・気象台では「視程5キロ」を観測】が、遠くのほうは霞んでいた。霧や吹雪によるものとはまた違い、影はくっきり出ているのに、空が白く、遠くの景色も少し白いような、独特の霞みかた。上の写真では、空の上のほうは若干青空になっている。

桜まつりが本格化する週末はまた雨が続きそう。※千秋公園以外の秋田市内の桜
翌2024年の千秋公園の桜(散りかけ)

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2 コメント

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Unknown (タロー犬)
2023-04-13 06:42:30
2017年に、千秋公園のすぐ近くに仕事のため2か月半滞在していましたが、何故かその期間中(秋~冬でした)、この公園を一度も訪れませんでした。朝晩散歩にでも行けば良かったのに…と、今、ちょっと残念に思っています。
ところで、私は千秋公園のことを、「かつての秋田城の城址公園」と誤認していました。姫路城が「白鷺城」と呼ばれるように、秋田城も「千秋城」と呼ばれたのだろう、と思っていました。ところが、ある日秋田市内をレンタカーで走っていると、千秋公園から離れた場所に「秋田城跡」の標識が…そこで調べて、初めて千秋公園にあったお城は「久保田城」で、それとは別に秋田城があった、ということを知りました。もしかすると秋田県外の人には、私と同じような勘違いをしている人も少なくないのではないでしょうか(それとも、やっぱり私だけ?)。
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城址の名 (taic02)
2023-04-13 21:07:20
ちょっとした山ですが、散策にはいい場所ですよ。
「千秋城」と認識される方は初めてでした。千秋の名は、明治になって公園化された時に初めて命名されたそうです。
一方、秋田城が千秋公園にあったと誤解される方は、たくさんいらっしゃいます(市民、県民でもいそう…)。秋田城のほうの認知度、「久保田」の認知度、双方とも低いのが原因でしょう。
TBS系「水戸黄門」で秋田が舞台になる回は、その時によって町や藩の名は「秋田」だったり「久保田」だったりまちまちでした。
秋田は城下町であるということからして、印象が薄いと思います。弘前と比べるまでもありませんが。
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