広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

手形山の )❘(

2023-11-16 23:18:25 | 秋田の地理
横山金足線こと秋田県道41号の、手形山と旭川・添川地区の間の区間。前回は手形山大橋と手形トンネルについて。今回はこの区間の沿道に唯一存在する施設について。
※2020年3月訪問・撮影。ツキノワグマが出没し得る(というかクマの生息域に道路を造ったと言うべきか)場所なので、通行時は要注意。

トンネル側から行くと、大橋の直前にそれはある。
所在地は「手形字大松沢」。手形山の下の、秋田高校グラウンド一帯(バス停名にもなっている)と同じ。※前回、山の上は手形山であって手形ではないとしたが、地名としては手形山(の一部)も手形なのであった。
標高はバス停付近が14メートル、ここの道路付近は50メートル。

ここまでは草木が茂っていた道路際の斜面が、金属製のカゴに砕石をいれた「蛇籠/蛇篭(じゃかご)」を積み上げたものに変わった。
以前、秋田駅前のビルで装飾的に蛇籠を置いているのを取り上げたが、本来の用途で使っているのを間近で見たのは初めて。

蛇籠が途切れた先には、もう手形山大橋が見えているが、その間は、芝生というか草が生えた斜面になっていて、頑丈なフェンスで仕切られている。

その斜面には、低木を刈り込んで、何やら記されている。大館市早口駅の「田代」みたいに。
この時は早春で冬枯れの色。夏場は繁茂してごちゃごちゃになる時もあるようだが、基本的には定期的に除草・剪定はされているようだ。

低木で記されているのは、秋田市章と「 )❘( 」のような「水」。
斜面てっぺんに看板も出ているが、ここは「手形山配水場」。秋田市上下水道局(旧・水道局)の施設。

蛇籠の手前には、県道から配水場に入る道もあり、案内の看板(道路管理者管轄ではなく、市が設置したと思われる)も立っている。


再掲
手形山配水場は1967(昭和42)年にできており、県道ができる前からここにあった。古い地形図(後述)を見ると、以前は秋田高校グラウンドの坂の下(明日葉作業所入口バス停)で分岐する道に入って、今、手形山大橋が架かる真下辺りで山を登って、敷地に到達していたようだ。大橋や県道の建設工事時に、そのルートの一部は失われ、新たに県道から出入りする道を造ったのではないだろうか。

そんなわけで、手形山のこと、あるいはその中で手形山配水場がある付近のことを「水道山(すいどうやま)」と呼ぶ秋田市民もいる。
前の記事でも触れたように、かつては手形山が公園や行楽地としても機能していた。その場所は、手形山配水場の隣接地だったようだ。手形山配水場自体も、昔は敷地内(斜面の上など)に自由に立ち入ることができたという。今回の写真を見ると、斜面上の看板の左側には、擬木の柵で囲われた展望台っぽい場所もあるが、今は入れなそう。
コメントいただいたように、1990年代中頃までは学校の遠足先にもなっていたそうだ。思ったよりも遅く、その頃には県道や大橋の建設工事が始まるかどうかの頃のはずで、そうなれば手形山にはアクセスしづらくなる。手形山の行楽地機能の衰退は、レジャーの多様化と維持管理やクマ出没もあると思われるが、県道建設が本格化したことも一因のようだ。

なお、秋田市にはもう1つ「水道山」が存在したとのこと。
千秋公園の北側、明徳小学校の北、千秋北の丸の一角。明治時代から「大木屋浄水場(おごや~)/大木屋浄水場濾過池」が存在したため。
おそらく手形山配水場完成と入れ違いで廃止され、跡地は1980年代以降は私立秋田和洋女子高校の体育施設として使われていた。和洋が秋田令和高校になって新校舎ができた現在は、どうしているのか不明。


手形山配水場の「 )❘( 」を見た時、懐かしい気持ちになった。
子どもの頃、自宅周辺の少し高い建物(あるいは千秋公園のどこかや、もしかしたら平地でも見られるポイントがあったかも)から、遠くの山肌に「 )❘( 」が見えて、「あそこが水道山」と教えられた思い出。ここ何十年も見ておらず、ずいぶん久しぶりの再会。
なのだけど…
昔は秋田市章はなかったし、「 )❘( 」は白かった。もしかしたら、今より少し大きかったかもしれない。

「今昔マップ on the web」より。
今昔マップを運営していた、埼玉大学教授の谷 謙二氏が、2022年8月に病気で50歳で亡くなっていたのを知った。ネットならではの地図の楽しみかたを提供してくださったことに感謝。さらなる充実に期待するところだが、今後のサイト運営はどうなっていくのだろうか。
左は1971年、右は現在。地形図には手形山配水場の名称はなし
上画像右の、赤い線を引いたところが蛇籠と「 )❘( 」がある斜面。その直下が手形山大橋。この向きでは、市街地からは見えづらそう。

ズームして、1970年代の航空写真に切り替えると、
これこそ白い「)❘(」。現在は右図の「◯」の位置
かつての「)❘(」は、今より数十メートル南側に、若干南向きに角度を付けて記されていたようだ。現在の手形山大橋の北端付近に当たり、仮に現在あったとしてもその橋桁で隠れて、遠方からは見えないと思う。
ほかの航空写真も確認すると、1994年5月撮影では存在するが、道路建設中らしき1999年5月には見えなくなっている。
ということで、橋や県道の工事に伴い、遠くから見えることは犠牲にして、県道を通る車の目に留まるように、「 )❘( 」の位置と材質を新しくしたのだろう。


ところで、手形山配水場の役割どころか、“水道山”に何があって何が行われているかを知る秋田市民はどのくらいいるだろうか。
秋田市の主要な浄水場は、雄物川下流にある仁井田浄水場と豊岩浄水場の2つ(他にも小規模浄水場があるが割愛)。秋田市街地には、エリアによって2浄水場どちらかで作られた水が供給される(秋田市サイト ページ番号1008407参照)。しかし、平坦な秋田市全域にはそのままでは送れないのだろう。いったん高い位置にある配水場へ水を上げてから、遠方へ送っている。その1つであり、いちばん歴史があって大規模なのが手形山配水場で、仁井田浄水場の水が配水されている。
秋田市の北部、東部、新国道より東側かつ竿燈大通りより北側の中央地域が、手形山配水場からの供給エリア。

僕は、小学校3年生の社会科の授業(副読本「わたしたちの秋田市」)や社会科見学“市内めぐり”で習ったのを覚えているけれど、大きくなってから引っ越して来た人などは知らなくても当然。でも、自分が飲む水がどこからどのようにして届けられるのか(+使用後どこへ行くのか)は、知っておくべきことだと思う。
2023年10月11日には、そんな思いを強くさせる事態が発生した。
仁井田浄水場にある、手形山配水場へ送水するためのポンプが、配管の水漏れ(?)に起因する水没によりすべて故障。故障は朝に発生し、公表は昼。同日夜には、北部全域と東部の高台、計2万世戸で断水のおそれが生じた。
結局、ギリギリで復旧して、大規模断水は免れた。しかし、突然の断水予告にあわてて帰宅した市民や、予告を受けて翌日の休校を決めてしまった小中学校や秋田高専は、混乱を避けるため無駄な休校を余儀なくされるなど、影響はあった。市の発表の手際が良くはないと感じたし、設備更新が進行中とはいえ、仁井田浄水場もほんとに老朽化していると実感させられた。

さらに10月には、東京大学大学院の研究グループが、秋田市の水道水から高濃度のネオニコチノイド系農薬が検出されたことを発表した。
日本の基準値内に収まっているとして【25日補足・水道法で義務付けがないから検査しない、という理由も示しているようだ】、秋田県も秋田市も問題視していないようだが、ユーザーとしてはうれしい話ではない。浄水場での活性炭処理で除去でき、そうしている自治体もあるそうなので、考えてくれてもいいと思うのだが。【2024年6月22日補足・2024年度に水質検査を開始。】

秋田市は大河川の下流に位置し、雪解け水も豊富なので、水不足になることはない。そんな好条件もあって、何も思わずに水道水を使っていたけれど、もう少し思いを巡らせるべきかもしれない。
コメント (5)
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