
☆シルクロードの都市・楼蘭と「さまよえる湖」の謎
☆「空中都市」マチュ・ピチュの建設と崩壊の謎
☆インカ帝国のクスコの石壁は「神」が造った

☆中国西北部に、かつてロプ・ノール(「泥の湖」の意)という湖があった
☆ロプ・ノールの近くで栄えたのがシルクロードの都市国家・楼蘭王国
☆都市国家・楼蘭王国は、独立国として繁栄した
*シルクロードを行き来する隊商達の補給基地として、2~4世紀に最盛期を迎えた
☆楼蘭はいつしか歴史上から姿を消した
*1900年にスウェーデンの探検家発見するまで、砂のなかに眠り続けていた
☆楼蘭はなぜ滅亡してしまったのだろうか
*湖が、南に移動し川の流れが変わり、楼蘭は滅びた
*楼蘭が滅びたのは、水源となった川の水量が減ったのが原因
☆現代に残る遺跡を見ると
*現在そこに川はなく、突如として姿を消したような印象を受ける
☆楼蘭の人々は、どこへ去っていったのか詳細不明

☆インカ帝国の遺跡マチュ・ピチュは、「空中都市」の異名で呼ばれている
*急斜面を登らなければたどり着けない高所に位置する
*存在は、インカ減亡から約400年たってから発見された
☆マチュ・ピチュは、どんな都市だったのか
*太陽を祀る神殿に仕える「太陽の処女(アクリャ)」の聖域だった
*マチュ・ピチュが衰亡したのは、スペイン人が侵攻する以前のこと
☆マチュ・ピチュ一帯の人口が激減した原因
*部族間の抗争にあったのではないかと指摘されている
☆アクリャの禁じられた恋が、マチュ・ピチュ滅亡の原因
*アクリャたちは、 一般の人々との交流を断って「処女の館」に住む
*恋愛や結婚を禁じられ、純潔を重視されいた
*禁を破れば、密通したアクリャは生き埋めにされ、相手の男性は処刑された
*男性の属する村や町は、住民も家畜も皆殺しだった
☆厳重な禁忌により、近隣の村が次々に滅んでいった
*聖地マチュ・ピチュも生活を支えきれなくなった
☆それが、マチュ・ピチュは、「神からの制裁」で滅んだともいわれる要因である

☆インカ帝国の首都だったクスコ(現在のペルー南部)
*いまでもインカ時代の石壁が多数残されている
☆石壁には、大きなミステリーが隠されている
*インカの石組みに用いられているのは、安山岩や花尚岩などの硬い岩石が多い
*これらの岩石を切り出すのも、積み上げて石壁にするのも難しかったはず
☆切り出した岩を、どのようにして現場まで運んだのかも定かではない
*多数の人々が、人海戦術で作業したといわれてるが、詳細ははっきりしない
☆大きな謎は、石と石との接合部分である
*セメントのような接着剤を用いずにうまく積み上げるのは至難のわざだ
*クスコの石組みは、石と石とが隙間なくぴったりと組み合わされている
*周囲の石とうまく噛み合うように、複雑な多面体に切り出された石もある
☆石の切り方を工夫して、接合面が一直線になるようにされている
*神がかり的ともいうべき技術だ
☆現代人でも難しい方法
*インカ帝国の人たちは用いることができたのだろうか
☆高度な文明を持ったインカ帝国の人たち
*なぜスペイン人によつて滅ぼされてしまつたのだろうか
☆インカ帝国への謎は尽きない。


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遺跡に込められたメッセージの謎1
(ネットより画像引用)