
☆ドイツで発見された謎の青年はナボレオンの子孫
☆チンギス・ハーンの墓はどこにあるのか
☆カール大帝の分けられた遺骨の行方

☆ドイツ南部にあらわした、カスパルと名乗る青年
*生誕から死まで一貫して謎に包まれている
*持っていたのは、手紙二通だけで言葉が理解できず
*自分の名を「カスパル・ハウザー」と名乗る以外は話すことができなかった
☆ナポレオン一族でないかと推測された
☆保護された施設で言葉を教えられ、少しずつ彼は過去を語り出した
*内容は、手紙そのままで、幽閉に近い暮らしぶりだった
*謎めいた境遇だったために、彼の出自を調査する
☆身元追求も思わぬ展開を見せる
*有力な説とされたのが、カスパルが王家の血をいているというもの
*前バーデン大公の王子ではないかと推測された
*死んだとされていた王子、権力争いのために幽閉されていた
☆彼は、正体不明の人物に呼び出されて刺殺されてしまう
*カスパルと王族の関係をほのめかし暗殺を思わせる、短いメモが残された

☆チンギス・ハーンは広大なモンゴル帝国を築き上げた人物
☆チンギス・ハーンの死因が不明で、不可解なのが、墓の所在
☆チンギス・ハーンは自分が誕生した生地に葬られた説
*民族の聖地ブルハン・ハルドウン山に葬られた
*チンギス・ハーンの生誕地が確定しない
☆多くの調査隊がハーンの墓を求めて調査に人っている
*有力な手がかりは見つかっていない
*モンゴル西部で、ハーンの霊を祀る廟が発見された
*さらなる調査により、今後墓が発見される可能性も期待できる

☆9世紀のフランク王国カロリング朝、ビピン3世を継いだカール大帝
*王国の領土を、ビザンツ帝国を意識し拡大した
☆栄光の帝国ローマの正統な後継者カール大帝
*フランク王国であることを示すための工夫が随所に凝らされている
*カール大帝の死後、遺骨を分けたとされている
*遺骨の移動は、カール大帝を後世の皇帝たちが敬愛していたため行われた
☆13世紀半ば帝位にあつたフリードリヒ1世の思いがもっとも熱かった
*ローマ法王に、カール大帝を神聖ローマ帝国の守護聖人の列に加えるよう願い出る
*願いは聞き入れられ、以後アーヘンはヨーロッパにおける聖地となる
☆遺骨がどこにあるのかは関係なくアーヘンそのものが、カール大帝の遺物となる


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英雄の知られざる最期5(ナボレオンの子孫・チンギス・ハーン・カール大帝)
(ネットより画像引用)