
☆発見されてなかった南極大陸が地図上に記載されていた
☆片田舎のヴェルサイユに豪華な宮殿が建てられたのはなぜ
☆ペルーのナスカの地上絵のミステリー

☆地球は球形なので、平面の地図を作る場合、実際の型に比べ歪みが生じる
*現在では、地図上の歪みは常識となっている
☆飛行機や人工衛星もなく、地球は平面だと信じられていた時代
☆オスマン帝国海軍提督のピリ・イブン・ハジ・ムハーンメドが作成した二枚の地図
☆16世紀に作成されたが、正距方位図法のようなゆがみがある
*一枚目に描かれている地図
(イベリア半島とアフリカ大陸、南北アメリカの東海岸)
(南極大陸の一部らしい海岸線)
*二枚目は、グリーンランドと北米大陸東海岸が描かれていた
*二枚の地図には、同じようなゆがみがあった
*第二次世界大戦中に、アメリカ空軍が作成した地図とよく似ていた
☆飛行機のなかった16世紀、上空から見たような地図が描かれていた
☆コロンブスの新大陸発見からわずか20年ほどの時代
*アメリカ大陸の正確な海岸線がわかるはずはない
*南極大陸に至っては、発見されたのが19世紀になってからである
(地図に描かれたその海岸線は、南極が水に覆われる以前の海岸線)
☆この地図には、20枚の地図を参考にしたという凡例が記されている
*紀元前四世紀のアレクサンドロス大王の時代から伝わる地図
☆地図のゆがみや南極大陸などがそれらの古地図に由来しているなら
*紀元前4世紀には、正距方位図法のような知識を持っていた
*結氷前の南極大陸が描かれた地図が存在した

☆パリから20キロほど離れたヴエルサイユは、小さな村にすぎなかった
*片田舎のヴェルサイユに、ルイ14世は壮麗な官殿を建設をはじめた
*ルイ14世はまだ建設途中のヴェルサイユに引っ越している
☆国王がふだん住む宮殿を、首都から離れたところに建設した理由
☆ひとつの理由
*ルイ14世がパリを嫌い、ヴェルサイユを愛していたという説
*ルイ14世は、五歳で王に即位したが、「フロンドの乱」パリを追われた
*全国各地を転々とし、パリを終生好きになれなかったといわれる
*ヴェルサイユは、幼いころから親しんでいた土地だった
☆もうひとつの理由
*財務総賄だったニコラ・フーケへの対抗意識からという説
*フーケは、居館、ヴォー・ル・ヴイコント城にすばらしい庭園を築いた
*ルイ14世は、この城と庭園のあまりの見事さに嫉妬した
*フーケは「公金横領」の罪で牢に入れられた
(フーケを妬んだ王が無実の罪を着せた)
*ルイ14世は、ヴオー・ル・ヴイコント城よりすばらしい城を建てたいと考えた
(ヴエルサイユ宮殿を建設した)
*ヴェルサイユ官殿の豪華さは
(ルイ14世の嫉妬の強さをあらわしている)

☆ペルーのナスカ台地に描かれた地上絵
☆巨大さゆえに、上空から見下ろさなければ、その形がわからない
☆そのため、宇宙人が描いたのではないかとささやかれたこともあった
☆地上絵は、放射状に数キロメートルも延びる直線
*天文観測用だったと言われる
*夏至と冬至、春分・秋分の日の出の方向をあらわしている
*オリオン座やおおぐま座などの入没方向と一致する直線もある
☆地上絵の鳥や魚、サルなどの動物のモチーフ
*動物を神聖視していたため、偉大な自然神への祈りの象徴として描かれた
*動物の絵は星座をあらわしていると主張する人もいる
*星座とは、私たちの星座の認識と異なり、ナスカ人特有のもの
☆地上絵の三角形などの幾何学模様
*天体の動きをあらわしているといわれている
☆巨大な地上絵、当時の人たちが描けたのだろうかという疑問もあった
*最近、原始的な方法でも描くことが可能だとわかり、宇宙人説は否定されつつある


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遺跡に込められたメッセージの謎2(ネットより画像引用)