「陛下参拝」は譲位後もない
☆就任半年余りで更迭された前官司の暴言が核心を言い当てている
*今上陛下(現上皇)は靖国神社をつぶそうとしてる
*今の皇太子(現天皇)さんが新帝に就かれて参拝されるか
*新しく皇后になる彼女(雅子さま)は神社神道大嫌いだ
☆天皇の命で戦い、天皇陛下万歳と叫んで死んだ国民を神として祭る神社
*天皇が参拝しない、これに勝る靖国否定はない
☆明治、大正、昭和三代の天皇は参拝したが、平成はないまま終わった
☆宮司退任の報道発表文
*「不穏当な言葉遣いの録音内容が漏洩した件に関し陳謝」とあるだけ
*発言内容を取り消すとは一言も言っていない
☆靖国は筋を通している
☆悪いのは頑に参拝しない天皇の方だ、それが暗黙の本音
戦没者慰霊を否定し天皇を「逆恨み」
☆靖国は大皇参拝復活への地ならしとして、首相公式参拝の恒例化を目指してきた
*平成の前半は、日本遺族会元会長の橋本龍太郎首相が一度参拝した
*小泉純一郎首相が毎年「ゲリラ参拝」を繰り返すパフォーマンスを始めた
(小泉氏の狙いは、遺族会の票を切り崩すため)
*小泉旋風の後は、安倍首相が一度参拝しただけ
☆小泉参拝は、靖国問題を再燃させた
☆A級戦犯合祀で、昭和天皇の不快感を示す宮内庁長官のメモが発掘された
☆天皇(現上皇)は、靖国参拝の代わりに、沖縄や海外で戦没者慰霊で世論の共感を得てきた
☆靖国神社は、肝心の天皇を結果的に遠ざけ展望を失った
☆靖国神社は、身から出たサビというべきだが、あろうことか天皇を逆恨みしている
徳川氏の靖国改革に内部の抵抗
☆戦後の靖国宮司人事
*A級戦犯問題を巡る天皇との距離感が一貫して投影されてきた
☆平成の宮司は専門の神職が二代続き、小泉参拝の終盤、南部利昭に代わった
*戊辰戦争で旧幕府軍に加わった南部藩主の直系
*天皇から直々に「靖国神社をお願いします」と声を掛けられ就任した
*東郷神社宮司(当時)が、A級戦犯の御霊を分祀して引き受けたいと名乗り出た
*天皇の意を汲んだ問題解決の一手だった
☆宗教法人・神社本庁の総長(当時)から「余計なことをするな」と止められてしまった
☆南部は急死し、徳川康久氏(慶喜のひ孫)が就任した
☆徳川氏は、靖国神社の「靖国独善」論の修正を図り、天皇参拝への地ならしを進めた
*徳川氏は、任期途中で突然退任、事実上の解任された
*真相は、徳川氏が進めた靖国改革に対する内部の抵抗だった
*三十万人が訪れる「みたままつり」の露店を締め出したことでもめた
*徳川氏は近年の祭りが「慰霊の本旨からかけ離れすぎている」と批判
*首都圏一円から若者が集まり、未成年者飲酒、ナンパの横行等
*「みたままつり」靖国の歴史に無関心な若者であふれ荒廃が進んだ
☆徳川氏は露店を廃止し落ち着きを取り戻そうとし、祭りを中止した訳ではない
*関係者は「テキ屋や暴力団との慣行もあったはずだ」と勘繰る
☆徳川氏は「皇室の藩屏」たる霞会館の代表で、間接的な天皇の「指名」とも言える存在
☆任期中に追われた理不尽さに憤慨した霞会館は、完全に靖国からそつぽを向いた
「宮司人事」に神政連会長の影
☆後任に旧華族の候補を望めない
☆窮余の策で白羽の矢を立てたのが小堀氏
*小堀氏が天皇参拝実現へ「自分に秘策がある」と言うの言葉に期待した
☆小堀氏の暴露された失言の中で
*陛下がどこを慰霊の旅で訪れようが、そこに御霊はないだろう?退骨はあっても
*違う? それを真剣に議論し、結論を持ち、発表することが重要
☆天皇が、象徴としてのお務めのお言葉しと自負する営みを否定した
*無駄毎はやめて、大人しく靖国に参拝しなさいと決めつける見解を表明
☆傲岸不遜でも、それが靖国と神社の論理理・感覚なのか
*結果的に小堀氏は、半年で自爆
天皇家をないがしろにする神社界
☆徳川、小堀両宮司の相次ぐ異様な退任に靖国内部は動揺している
☆神社本庁・総長も自らの辞任問題で足元が大揺れ
*職員宿舎の不明朗な売却でクビにした職員と裁判で争う
*東京・富岡八幡宮で起きた宮司殺人事件
*大分・宇佐神宮の訴訟問題など
☆昭和天皇の外孫で本庁トップの鷹司尚武統理
*役員会・評議員会で辞表を出すよう促したが、田中氏は公然と無視
*理事たちの驚きと嘆き「統理様の権威が丸つぶれ。統理様が辞めればと開き直った」
☆天皇家をないがしろにする風潮が神社界中枢を席巻している
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本の聖域シークレット』
嘆きの声が渦を巻く5(靖国神社と天皇)
(ネットより画像引用)
☆就任半年余りで更迭された前官司の暴言が核心を言い当てている
*今上陛下(現上皇)は靖国神社をつぶそうとしてる
*今の皇太子(現天皇)さんが新帝に就かれて参拝されるか
*新しく皇后になる彼女(雅子さま)は神社神道大嫌いだ
☆天皇の命で戦い、天皇陛下万歳と叫んで死んだ国民を神として祭る神社
*天皇が参拝しない、これに勝る靖国否定はない
☆明治、大正、昭和三代の天皇は参拝したが、平成はないまま終わった
☆宮司退任の報道発表文
*「不穏当な言葉遣いの録音内容が漏洩した件に関し陳謝」とあるだけ
*発言内容を取り消すとは一言も言っていない
☆靖国は筋を通している
☆悪いのは頑に参拝しない天皇の方だ、それが暗黙の本音
戦没者慰霊を否定し天皇を「逆恨み」
☆靖国は大皇参拝復活への地ならしとして、首相公式参拝の恒例化を目指してきた
*平成の前半は、日本遺族会元会長の橋本龍太郎首相が一度参拝した
*小泉純一郎首相が毎年「ゲリラ参拝」を繰り返すパフォーマンスを始めた
(小泉氏の狙いは、遺族会の票を切り崩すため)
*小泉旋風の後は、安倍首相が一度参拝しただけ
☆小泉参拝は、靖国問題を再燃させた
☆A級戦犯合祀で、昭和天皇の不快感を示す宮内庁長官のメモが発掘された
☆天皇(現上皇)は、靖国参拝の代わりに、沖縄や海外で戦没者慰霊で世論の共感を得てきた
☆靖国神社は、肝心の天皇を結果的に遠ざけ展望を失った
☆靖国神社は、身から出たサビというべきだが、あろうことか天皇を逆恨みしている
徳川氏の靖国改革に内部の抵抗
☆戦後の靖国宮司人事
*A級戦犯問題を巡る天皇との距離感が一貫して投影されてきた
☆平成の宮司は専門の神職が二代続き、小泉参拝の終盤、南部利昭に代わった
*戊辰戦争で旧幕府軍に加わった南部藩主の直系
*天皇から直々に「靖国神社をお願いします」と声を掛けられ就任した
*東郷神社宮司(当時)が、A級戦犯の御霊を分祀して引き受けたいと名乗り出た
*天皇の意を汲んだ問題解決の一手だった
☆宗教法人・神社本庁の総長(当時)から「余計なことをするな」と止められてしまった
☆南部は急死し、徳川康久氏(慶喜のひ孫)が就任した
☆徳川氏は、靖国神社の「靖国独善」論の修正を図り、天皇参拝への地ならしを進めた
*徳川氏は、任期途中で突然退任、事実上の解任された
*真相は、徳川氏が進めた靖国改革に対する内部の抵抗だった
*三十万人が訪れる「みたままつり」の露店を締め出したことでもめた
*徳川氏は近年の祭りが「慰霊の本旨からかけ離れすぎている」と批判
*首都圏一円から若者が集まり、未成年者飲酒、ナンパの横行等
*「みたままつり」靖国の歴史に無関心な若者であふれ荒廃が進んだ
☆徳川氏は露店を廃止し落ち着きを取り戻そうとし、祭りを中止した訳ではない
*関係者は「テキ屋や暴力団との慣行もあったはずだ」と勘繰る
☆徳川氏は「皇室の藩屏」たる霞会館の代表で、間接的な天皇の「指名」とも言える存在
☆任期中に追われた理不尽さに憤慨した霞会館は、完全に靖国からそつぽを向いた
「宮司人事」に神政連会長の影
☆後任に旧華族の候補を望めない
☆窮余の策で白羽の矢を立てたのが小堀氏
*小堀氏が天皇参拝実現へ「自分に秘策がある」と言うの言葉に期待した
☆小堀氏の暴露された失言の中で
*陛下がどこを慰霊の旅で訪れようが、そこに御霊はないだろう?退骨はあっても
*違う? それを真剣に議論し、結論を持ち、発表することが重要
☆天皇が、象徴としてのお務めのお言葉しと自負する営みを否定した
*無駄毎はやめて、大人しく靖国に参拝しなさいと決めつける見解を表明
☆傲岸不遜でも、それが靖国と神社の論理理・感覚なのか
*結果的に小堀氏は、半年で自爆
天皇家をないがしろにする神社界
☆徳川、小堀両宮司の相次ぐ異様な退任に靖国内部は動揺している
☆神社本庁・総長も自らの辞任問題で足元が大揺れ
*職員宿舎の不明朗な売却でクビにした職員と裁判で争う
*東京・富岡八幡宮で起きた宮司殺人事件
*大分・宇佐神宮の訴訟問題など
☆昭和天皇の外孫で本庁トップの鷹司尚武統理
*役員会・評議員会で辞表を出すよう促したが、田中氏は公然と無視
*理事たちの驚きと嘆き「統理様の権威が丸つぶれ。統理様が辞めればと開き直った」
☆天皇家をないがしろにする風潮が神社界中枢を席巻している
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私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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出典、『日本の聖域シークレット』
嘆きの声が渦を巻く5(靖国神社と天皇)
(ネットより画像引用)