原発の死命を制する権力者の「本性」
☆原子力規制委員会が高速増殖炉「もんじゅ」を運営する日本原子力研究開発機構(JAEA)
*監督官庁の文部科学省に対し勧告を行った
☆不祥事が相次ぐJAEA
*もんじゅの事業主体としての「能力・資質を有していない」と断じる
*半年をめどに新たな事業主体の特定を求めた
☆経産省は、もんじゅを自らと電力業界に押し付けられることを怖れた
*高速増殖炉推進論者の自民党重鎮へ「廃炉やむなし」の説得を続けている
(重鎮とは、細田博之、額賀福志郎、森英介の三人)
もんじゅは、核燃料サイクルのプルトニウムの商業利用である
☆もんじゅは、漏洩事故を起こして以来、約20年動いていない
*動かなくても、維持費は年200億円かかる
*更に再稼働には、耐震補強工事だけで3000億円必要
*多額の国費を追加投入しても運転する期間はせいぜい3~4年
*その後、さらに3000億円かかる廃炉が待っている
☆ある原子力関係者がポツリとつぶやいた
*もんじゅが廃炉に追い込まれつつある本当の理由
(金食い虫の原子炉とは別なところにある)
"原子力村″の住民の深い確執
☆戦後の原子力黎明期、燃料サイクルの研究開発を担っていたのは原研
☆茨城県東海村には東大・京大卒の精鋭が集まっていた
*冷戦構造の中で、日本共産党系の労組が強く、経営陣と対立した
*研究用原子炉の製造元米GEが、ストの頻発を理由に運転停止を命じた
☆原研から核燃料サイクルの事業化を取り上げる形でスタートしたのが動燃
☆動燃発足では、原研の中で、思想信条に偏向がない人材が転籍していった
*残された原研の”赤い研究者”にとっては、屈辱な出来事だった
☆高速増殖炉の設計図・研究成果を動燃へ移管した「謹呈式」
*儀式では、恨みを育んだ象徴がもんじゅ
田中が増幅させた動燃への敵憮心
☆規制委委員長の田中は、動燃が発足した年に原研へ入所している
☆田中氏
*福島県の旧国鉄労組職員の家庭に生まれた
*国鉄の寮から通っており、左翼的色彩の濃い環境で育ったという
*田中は、原研労組では70年代に中央執行委員を務めている
*この頃、動燃への敵憮心を増幅させたに違いない
☆核燃料サイクルの主導権を奪われてから約十年
*原研は新卒者採用もできないほど予算を削減された
*動燃は潤沢な事業資金を背景に羽振りが良かった
☆動燃のJCO臨界事故で田中に転機が訪れる
*東海村の加工燃料メーカーが起こしたこの事故
*ウラン臨界状態が20時間続き、二人の死者を出す深刻なものだった
*原研の田中は、その収束に一定の活躍をしたとされる
*これを、当時の原子力安全委員会委員長の松浦が高く評価した
田中は、JCO臨界事故の手柄を独り占め
☆事故の対策本部は、原研の東海研究所に置かれていた
*たまたま、副所長だった田中が手柄を独り占めにする結果になった
☆動燃は、相次ぐ不祥事で世間の怨嵯の的になっていた
☆田中はこれを弾みに2012年規制委委員長に上り詰めた
☆田中を原発の死命を制する絶大な権力者に推した人物
*田中は、福島第一原発事故後、天皇陛下へ原子力安全対策について進講している
*田中は、原子力研究者16人が「安全神話」の崩壊を懺悔した自己批判会見にも参加
*こうした行動が、当時の民主党・菅直人政権に好感されたことは事実だ
☆田中を規制委委員長に推薦したフィクサーは東海村にたと原子力関係者は述べる
☆その人物は、東海村の当時の村長村上達也氏
*村上は田中推薦案を、民主党参議院議員で、市民運動出身の藤田幸久に託す
*民主党議員が、田中推薦案を菅につないだ
*一部の元動燃幹部は、原子力行政担当相の細野豪志に「田中は駄目だ」と訴えた
*菅は、”原子力村”の主流派への敵意を募らせた
☆民主党政権は、田中規制委の誕生を押し切った
再処理工場廃止で″復仇′完成
☆田中は規制委委員長に就くと、もんじゅに冷淡な態度を取り始める
☆東大原子力出身のJAEA理事長鈴木氏を辞任に追い込んだ
☆文科省が、後任の理事長、副理事長にそれぞれ推したのは田中の先輩
*松浦と齋藤先輩を推したのは、”田中対策”の意味合いを込めた登板だった
*動燃に一線を画してきた二人が本気で改革を進めるわけがない
*結局、二人は何もしないまま二年で投げ出し、JAEAはもんじゅを失うことになった
*田中は五十年越しの″宿怨”を晴らし、満悦しているだろうか
*田中の仕事は、まだ終わっていない
☆田中の仕事は、改定が迫った日米原子力協定の形骸化
*もんじゅが廃炉になり、MOX燃料を燃やすプルサーマル計画進まない
*米国はわが国に再処理の権利放棄を迫りかねない
*2兆円超の建設費を投じた日本原燃の六ヶ所再処理工場は膨大な不良資産と化す
*田中の”復仇”は見事完成するのだ
☆左翼崩れ学者の一念が民意を穿ちつつある
原子力規制員会の二代目委員長に更田氏が就任
☆再任を期していた初代委員長田中の核燃料サイクルに対する”宿怨”
*復仇は未完に終わったかにみえる
*高速増殖炉「もんじゆ」は廃炉に追い込んだ
*もうひとつのサイクル施設である六ヶ所再処理工場は廃上できなかった
(廃止に着手したことが、政治の虎の尾を踏んだと言っていい)
☆原子力関係者は田中退任に歓喜した
*しかし事態はそれほど単純ではない
*更田は田中の日本原子力研究所(現JAEA)の後輩で、いわば”手駒″
*田中の呪縛は強く、原研の反核燃料サイクルの”宿怨”を受け継いでいれば
*再処理工場は更田の委員長在任5年間竣工できない
☆規制庁を自らの独立王国にしようと目論む原子力技官
*委員長は電力会社に厳しく振り付けられる軽い神興がいい
*核燃料サイクルヘの逆風はなお続く
(敬称略)
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☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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出典、『日本の聖域クライシス』
不徳と欺瞞が罷り通る6(原子力規制委員長)
(ネットより画像引用)
☆原子力規制委員会が高速増殖炉「もんじゅ」を運営する日本原子力研究開発機構(JAEA)
*監督官庁の文部科学省に対し勧告を行った
☆不祥事が相次ぐJAEA
*もんじゅの事業主体としての「能力・資質を有していない」と断じる
*半年をめどに新たな事業主体の特定を求めた
☆経産省は、もんじゅを自らと電力業界に押し付けられることを怖れた
*高速増殖炉推進論者の自民党重鎮へ「廃炉やむなし」の説得を続けている
(重鎮とは、細田博之、額賀福志郎、森英介の三人)
もんじゅは、核燃料サイクルのプルトニウムの商業利用である
☆もんじゅは、漏洩事故を起こして以来、約20年動いていない
*動かなくても、維持費は年200億円かかる
*更に再稼働には、耐震補強工事だけで3000億円必要
*多額の国費を追加投入しても運転する期間はせいぜい3~4年
*その後、さらに3000億円かかる廃炉が待っている
☆ある原子力関係者がポツリとつぶやいた
*もんじゅが廃炉に追い込まれつつある本当の理由
(金食い虫の原子炉とは別なところにある)
"原子力村″の住民の深い確執
☆戦後の原子力黎明期、燃料サイクルの研究開発を担っていたのは原研
☆茨城県東海村には東大・京大卒の精鋭が集まっていた
*冷戦構造の中で、日本共産党系の労組が強く、経営陣と対立した
*研究用原子炉の製造元米GEが、ストの頻発を理由に運転停止を命じた
☆原研から核燃料サイクルの事業化を取り上げる形でスタートしたのが動燃
☆動燃発足では、原研の中で、思想信条に偏向がない人材が転籍していった
*残された原研の”赤い研究者”にとっては、屈辱な出来事だった
☆高速増殖炉の設計図・研究成果を動燃へ移管した「謹呈式」
*儀式では、恨みを育んだ象徴がもんじゅ
田中が増幅させた動燃への敵憮心
☆規制委委員長の田中は、動燃が発足した年に原研へ入所している
☆田中氏
*福島県の旧国鉄労組職員の家庭に生まれた
*国鉄の寮から通っており、左翼的色彩の濃い環境で育ったという
*田中は、原研労組では70年代に中央執行委員を務めている
*この頃、動燃への敵憮心を増幅させたに違いない
☆核燃料サイクルの主導権を奪われてから約十年
*原研は新卒者採用もできないほど予算を削減された
*動燃は潤沢な事業資金を背景に羽振りが良かった
☆動燃のJCO臨界事故で田中に転機が訪れる
*東海村の加工燃料メーカーが起こしたこの事故
*ウラン臨界状態が20時間続き、二人の死者を出す深刻なものだった
*原研の田中は、その収束に一定の活躍をしたとされる
*これを、当時の原子力安全委員会委員長の松浦が高く評価した
田中は、JCO臨界事故の手柄を独り占め
☆事故の対策本部は、原研の東海研究所に置かれていた
*たまたま、副所長だった田中が手柄を独り占めにする結果になった
☆動燃は、相次ぐ不祥事で世間の怨嵯の的になっていた
☆田中はこれを弾みに2012年規制委委員長に上り詰めた
☆田中を原発の死命を制する絶大な権力者に推した人物
*田中は、福島第一原発事故後、天皇陛下へ原子力安全対策について進講している
*田中は、原子力研究者16人が「安全神話」の崩壊を懺悔した自己批判会見にも参加
*こうした行動が、当時の民主党・菅直人政権に好感されたことは事実だ
☆田中を規制委委員長に推薦したフィクサーは東海村にたと原子力関係者は述べる
☆その人物は、東海村の当時の村長村上達也氏
*村上は田中推薦案を、民主党参議院議員で、市民運動出身の藤田幸久に託す
*民主党議員が、田中推薦案を菅につないだ
*一部の元動燃幹部は、原子力行政担当相の細野豪志に「田中は駄目だ」と訴えた
*菅は、”原子力村”の主流派への敵意を募らせた
☆民主党政権は、田中規制委の誕生を押し切った
再処理工場廃止で″復仇′完成
☆田中は規制委委員長に就くと、もんじゅに冷淡な態度を取り始める
☆東大原子力出身のJAEA理事長鈴木氏を辞任に追い込んだ
☆文科省が、後任の理事長、副理事長にそれぞれ推したのは田中の先輩
*松浦と齋藤先輩を推したのは、”田中対策”の意味合いを込めた登板だった
*動燃に一線を画してきた二人が本気で改革を進めるわけがない
*結局、二人は何もしないまま二年で投げ出し、JAEAはもんじゅを失うことになった
*田中は五十年越しの″宿怨”を晴らし、満悦しているだろうか
*田中の仕事は、まだ終わっていない
☆田中の仕事は、改定が迫った日米原子力協定の形骸化
*もんじゅが廃炉になり、MOX燃料を燃やすプルサーマル計画進まない
*米国はわが国に再処理の権利放棄を迫りかねない
*2兆円超の建設費を投じた日本原燃の六ヶ所再処理工場は膨大な不良資産と化す
*田中の”復仇”は見事完成するのだ
☆左翼崩れ学者の一念が民意を穿ちつつある
原子力規制員会の二代目委員長に更田氏が就任
☆再任を期していた初代委員長田中の核燃料サイクルに対する”宿怨”
*復仇は未完に終わったかにみえる
*高速増殖炉「もんじゆ」は廃炉に追い込んだ
*もうひとつのサイクル施設である六ヶ所再処理工場は廃上できなかった
(廃止に着手したことが、政治の虎の尾を踏んだと言っていい)
☆原子力関係者は田中退任に歓喜した
*しかし事態はそれほど単純ではない
*更田は田中の日本原子力研究所(現JAEA)の後輩で、いわば”手駒″
*田中の呪縛は強く、原研の反核燃料サイクルの”宿怨”を受け継いでいれば
*再処理工場は更田の委員長在任5年間竣工できない
☆規制庁を自らの独立王国にしようと目論む原子力技官
*委員長は電力会社に厳しく振り付けられる軽い神興がいい
*核燃料サイクルヘの逆風はなお続く
(敬称略)
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
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☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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出典、『日本の聖域クライシス』
不徳と欺瞞が罷り通る6(原子力規制委員長)
(ネットより画像引用)