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心意気
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「陶晴賢」「厳島の戦い」「毛利元就」

2024年02月02日 | 歴史
🌸陶晴賢(戦国時代)主君を殺してのしあがった

⛳陶晴賢(すえ はるかた) 主君殺しのむくい
 ☆「厳島の戦い」は、戦国一の壮絶な戦い

 *安芸の智将として名高い毛利元就
 *奇襲をしかけて、勝利を収めた
 ☆陶氏は、山口県の大名大内氏の家臣の家柄
 *晴賢はその陶氏を若くして継ぎ、勇敢な働きによって武勲を立てた
 *主君の大内義隆の右腕だったが、敵対することになる
 ☆陶晴賢は、主君の命を奪い、のちに下剋上を果たした

陶晴賢、主君を自害に追い込む
 ☆晴賢、中国地方の覇者、出雲の尼子氏を攻めることを主張する
 *主君の義隆を強引に説き伏せて出雲への遠征を実行した
 *長期戦となったこの戦で大内軍は惨敗する
 *この戦で後継者の晴持を亡くした義隆
 *交戦派の筆頭だった晴賢を煙たがる
 ☆陶晴賢は、軟弱な主君では、隣国から攻め込まれると考える
 *陶晴賢は、大内氏の家臣を味方につけ義隆の屋敷に攻め入った
 ☆家臣に見捨てられた義隆
 *追い詰められて自害するしかなかった
 ☆晴賛は義隆の嫡男も殺害した
 *みずからの息のかかった者に大内家を継がせる

陶晴賢、かっての盟友毛利元就に滅ばされる
 ☆毛利元就、晴賢の傘下にある城までも攻め始めた
 *下剋上を果たしてからわずか数年後に
 *今度は自分が攻められる市場になった
 ☆元就軍を前にして、晴賢には慢心もあったのか
 *晴賢軍は、厳島の戦いでは、袋鼠となり、壊減状態になる
 *晴賢は、逃げ場を失うと自害した
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『日本史の黒幕』



「陶晴賢」「厳島の戦い」「毛利元就」
(『日本史の黒幕』記事より画像引用)

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