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中東一神教の近親憎悪(2)

2022年02月10日 | 宗教
🌸中東一神教の近親憎悪(2)

メディナヘの聖遷の意味(ユダヤ教との決別)
 ☆メッカでの布教を始めて約10年
 *「絶対神の下での平等」を訴えるムハンマドの活動
 *多神教徒をイスラムに改宗させ、貧者、奴隷にも訴え始めた
 *結果、メッカの支配層との対立を引き起こした
 ☆イスラム教は、多神教を掲げる守旧派とり
 *秩序を破壊する危険な勢力
 *イスラム教徒を迫害する圧力が高まった
 ☆ハンマド、ムスリム勢力を引き連れてメディナに移住
 *イスラム共同体を形成し始めた
 *ムハンマドは「メディナ憲章」を発表
 *メデイナ住民との共存を意図する契約で
 *ユダヤ教徒の宗教と財産を保障し、義務と権利を明確にした
 *ユダヤ教徒との関係は微妙であった
 ☆ユダヤ教は、アブラハムを大祖先
 *旧約聖書とモーゼを尊崇する同祖宗教
 *新たな預言者とは認めなかった
 ☆ユダヤ教の教典トーラー、タルムード
 *ユダヤ人は強烈な選民意識に立ち
 *ユダヤ人以外を預言者としては認めない

ムハンマドは「神の啓示」により
 ☆礼拝の方角をメツカとするように指示
 *イスラム教徒はメッカに向けての礼拝を始めた
 *ユダヤ教とイスラム教の決別であった
 ☆中東一神教の不幸な対立の淵源はここにある
 *イスラムとは「服従」を意味し
 *全身全霊でアツラーに服従することに徹する
 ☆平伏礼は傲慢・思い上がりを制する象徴的ない義礼である
 *富の公平な分配や相互の思いやりを重視する
 *ウンマを全ての基礎とした
 ☆ムハマドは、メディナで体制を整え軍事力でメッカを征服した
 *カアバ神殿の偶像を破壊し尽くした
 *権力と権威を掌握するムハンマド自身が実践した史実
 *「聖俗一体の共同体を目指す」イスラムの原動力となっていく

「片手にコーラン、片手に剣」の意味
 ☆イスラムの教義
 *神の意思の下での平和と公正、ウンマの平穏を求める
 *敵対する者に「片手にコーラン、片手に剣」で妥協しない
 *「ジハード(聖戦)」を掲げた対峙する事も意味する
 ☆メッカ征服の2年後にムハンマドは死を迎える
 ☆初代カリフから四代までのカリフ
 *ムハンマドを直接取り巻いた指導者「正統カリフ」と呼ばれる
 *それ以後の対立が今日のスンニ派とシーア派の対立の淵源となる
 ☆ムハンマドの従兄弟で娘婿四代目カリフのアリーが暗殺された
 ☆ウマイヤ家出身のムアーウイヤがウマイヤ朝を開く
 *その後14代、ウマイヤ家がカリフの座を独占する
 ☆シーア派イスラムの原点は、アリーの系統の正統性を支持する
 *ウマイヤ朝に反発する勢力

世界のイスラム人口は約16億人(約80%がスンニ派)
 ☆シーア派はイランを中心に15%程度である
 ☆ウマイヤ朝は、勢力を拡大して北アフリカを席巻
 *イベリア半島を制圧しフランク王国と激突する
 *フランク王国は「ラテン化したゲルマン」
 *ローマ教皇によってキリスト教化された存在
 ☆フランク王国がウマイヤ朝と戦うことが
 *「キリスト教共同体としての欧州」を束ねた
 *中核としての自らの役割を自覚する契機となった
 ☆ダマスカスのウマイヤ朝は革命によってアッバース朝に減ぼされる
 ☆ウマイヤ朝は後ウマイヤ朝として生き延びた
 *イベリア半島最後のイスラム政権が崩壊するのは15世紀末
 ☆欧州には、トラウマとしてのイスラムが詰め込まれた
                      (敬称略)                                     
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『人間と宗教』











中東一神教の近親憎悪(2)
(ネットより画像引用)

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