🌸荒川区三ノ輪地区散策
⛳泪橋(東京都にあった橋の名称)
☆荒川区と品川区に一ヶ所ずつの計二ヶ所あった
*いずれも近隣の刑場に深い関連がある
*荒川区南千住にある小塚原刑場跡の近くの思川にかかっていた橋
*現在では思川は全て暗渠化されているため橋の面影はない
*名前は交差点やバスの停留所に付けられる事で残っている
☆泪橋は、罪人にとってはこの世の見納めの場
*家族や身内の者にとっては処刑される者との今生の別れの場
*互いがこの橋の上で泪を流した
⛳大関横丁の名前の由来
☆江戸時代の下野国黒羽藩(栃木県那須)の大関氏下屋敷が有った
☆幕府から下屋敷として拝領したことによるのが始まる
⛳「千住」の名前の由来
☆北千住駅近くの勝専寺にある「千手観音」に由来する
☆戦国武将の千葉氏が住んでいたことに由来するという説もある
⛳三ノ輪(「三(み)」水)の名前の由来
☆「水で周囲を囲まれた」という意味
*「三ノ輪」は「箕輪」で、箕の形をした谷戸のへこんだ所
*三ノ輪という地名は、江戸時代以前からあった
☆東京湾に突き出た台地の先端部
*水の鼻といわれ、これが三ノ輪になった
*江戸時代は江戸市中の最果てに位置した
*川を渡れば日光街道の最初となる宿場の千住宿
⛳三ノ輪の歴史
☆明治時代に畜場ができ、副産業として皮革産業が盛んになる
*隣町の三河島が都内屈指のコリアンタウンに変貌した
*このと畜場の恩恵によるもの
☆大正の頃は「新開地」と呼ばれ、歓楽街として栄えました
*今からは想像もつかないが、400軒もの酒場があった
*普通の酒場ではなく、「銘酒屋(めいしや)」とよばれた
*私娼が相手をする呑み屋で、戦後で言えば青線
☆三ノ輪橋の駅前にある「梅沢写真会館」
*アール・デコ様式が散りばめられた昭和2年築のモダン建築
☆元々、荒川線の前身だった王子電気軌道が入居していた
⛳ジョイフル三ノ輪(元気な商店街)
☆「極楽荘」は、1泊1200円から泊まれる木賃宿
*国内でも最安値の部類に入る宿
*玄関の奥には観音様が鎮座している
☆ジョイフル三ノ輪は、今年で100歳を迎える古参の商店街
*全長約500メートルの標準的な規模の商店街
☆「砂場総本家」がある三ノ輪商店街
*日本三大老舗の蕎麦屋といえば、砂場、薮、更科
*江戸時代から続く老舗中の老舗
☆「パンのオオムラ」自家製のコッペパン・サンド美味
*NHKテレビでもよく紹介されている
☆「とりふじ」焼き鳥から各種揚げ物、お総菜店
☆「藤野青果」は、店先に並ぶ大きなポリ樽
*漬け込まれた自家製のぬか漬けが圧巻どれもがコスパ抜群
☆餃子の「さかい食品」三ノ輪のソウルフード
☆「お総菜の店 きく」130円の紅生姜天で有名
⛳浄閑寺(生まれては苦界、死しては浄閑寺)
☆境内の墓地
*吉原で一生を終えた遊女たちを弔う「新吉原總霊塔」がある
*弔われている遊女は、なんと2万5000人!
*少しの香典料とともに、境内に「投げ込まれた」遊女たち
☆基壇に彫り込まれた花又花酔の川柳
*「生まれては苦界、死しては浄閑寺」
*涙無くして読むことはできない
☆慰霊塔の真向かいにある文豪・永井荷風の詩碑と筆塚
*弔われた遊女たちを偲んで足繁く通った荷風
*浄閑寺への埋葬を切に望んでいたものの、結局叶わず
*永井家の墓所である雑司が谷霊園に埋葬された
*故人の意思を想い、他界の4年後に歌碑と筆塚がたてられた
(敬称略)
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