🌸『源氏物語」の時代は恋愛至上主義(2)
『要旨』
☆日本と中国に見る「血統」に対するこだわりの違い
*皇室の典侍をはじめとする女官
*皇室の典侍をはじめとする女官
*簡単に天皇以外の男たちと、関係を持っていた
*「万世一系の天皇家?」との疑問もでてくる
*中国の皇帝の場合とにかく血筋を大切にした
*美女3千人がいる後宮は男子禁制
*勤務する男子の場合、生殖器を切られた宦官として仕えた
☆日本の場合は血統のこだわりは中国ほど強くなかった
*『源氏物語』では一般人である光源氏と中宮である藤壺の官
*密通してできた子、後の天皇・冷泉帝になる様子が描かれている
☆「源氏物語」での天皇の妻の身分
*皇后⇔中宮→女御→更衣
☆『源氏物語』その主たる題材は「愛憎」
*男性と女性の間での恋愛や憎しみや悲しみが、赤裸々に描かれた作品
*平安時代は、男女関係が政治関係を大きく左右した
☆一条天皇時代「天皇の子どもを誰が生むかで」権力構造決まった時代
*摂関政治の特徴
*どんな人が天皇であっても構わないし、お飾りでも構わない
☆それを体現したのが、江戸時代の徳川幕府
*徳川家康は「将軍はバカで良い」と割り切り
*三代将軍の家光以降は、無才で問題のある人間でも
*長子が跡を継ぐと決めてしまった
⛳日本と中国に見る「血統」に対するこだわりの違い
☆典侍をはじめとする女官
☆典侍をはじめとする女官
*簡単に天皇以外の男たちと、関係を持っていた
*子どもが生まれた場合は、その子は誰の子なのか?
*「万世一系の天皇家?」との疑問もでてくる
*平安時代の日本、野暮なことを言わないのが原則だった
☆中国の皇帝の場合とにかく血筋を大切にした
*美女3千人がいる後宮は男子禁制です
*勤務する男子の場合、生殖器を切られた宦官として仕えた
*「史記」を記載した司馬遷も、男性根を宮刑で切り落とされている
*司馬遷も男性根を切り落とされた事をバネに
*『史記』という大作を書き残したと言われている
*明の鄭和、七つの海を渡り歩いた提督でが、彼も宦官でした
*自ら男根を切り、皇帝に忠誠を誓い出世を目指す人もいた
*明の鄭和、七つの海を渡り歩いた提督でが、彼も宦官でした
*自ら男根を切り、皇帝に忠誠を誓い出世を目指す人もいた
⛳日本の場合は血統のこだわりは中国ほど強くなかった
☆宦官制度のようなものはなく
*天皇の周囲に侍る女性たちはかなリオープンなもの
☆『源氏物語』では一般人である光源氏と中宮である藤壺の官
☆『源氏物語』では一般人である光源氏と中宮である藤壺の官
*密通してできた子、後の天皇・冷泉帝になる様子が描かれている
☆光源氏は、天皇には非常に愛された息子であるが
☆光源氏は、天皇には非常に愛された息子であるが
*源氏という姓を与えられ、臣籍降下している
*一般人であり、源頼朝や平清盛と立場は同じです
☆一般人の子が天皇になるなどという話
☆一般人の子が天皇になるなどという話
*本来ならば不敬であると文句を言われてもおかしくない
☆当時の人々は「万世一系」などという考え方
*あまり重視していなかったのかもしれない
⛳「源氏物語」での天皇の妻の身分
☆天皇の妻には序列がある
*正妻となるのが皇后、もしくは中官
⛳「源氏物語」での天皇の妻の身分
☆天皇の妻には序列がある
*正妻となるのが皇后、もしくは中官
(なぜ、二つも呼び方があるのか?)
*中官を復活させたのが、藤原道長
☆当時の天皇である一条天皇には、藤原定子という皇后がいた
*中官を復活させたのが、藤原道長
☆当時の天皇である一条天皇には、藤原定子という皇后がいた
*藤原道長は自分の娘の彰子を一条天皇の元に入内させた
*その際、天皇の正妻を表す身分として使い始めた
☆皇后、中官の次に高い身分
*摂政関白や太政大臣の娘から選ばれるのが女御
*実家の身分が大納言以下の女性たち、更衣という身分が与えらた
☆『源氏物語』の光源氏の母である桐壺の官は、更衣でした
☆『源氏物語』の光源氏の母である桐壺の官は、更衣でした
*更衣はあまり身分が高くはなかったので
*彼女は天皇の籠愛を受けたせいで周囲のいじめに遭い、死んでしまう
☆源氏の君は、父の天皇に愛されながらも
*母の身分が低かったがゆえに皇族から外れ、臣籍降下された
☆成長した源氏が、母の面影を追って出会ったのが藤壷の宮
☆成長した源氏が、母の面影を追って出会ったのが藤壷の宮
*彼女は先帝の娘という非常に身分の高い女性
*女御という立場で後官に入り、桐壺帝の妃になる
☆天皇の正妻である皇后が子どもを産み
☆天皇の正妻である皇后が子どもを産み
*その子が天皇になると皇太后となる
*祖母になると大皇太后と呼ばれる
☆今上上皇の奥様であられる美聟子様も
*本来は皇太后と呼ばれるべきなのだが
*現代、皇太后の名称を使わないので、上皇后と呼ばれる
⛳『源氏物語』の時代に、恋愛が重視され
☆『源氏物語』その主たる題材は、「愛憎」
☆『源氏物語』その主たる題材は、「愛憎」
*男性と女性の間での恋愛や憎しみや悲しみが、赤裸々に描かれた作品
☆平安時代にこの物語が生まれたのは
*男女の恋愛が大きく政治に影響を与える時代だったから
☆政治は、基本的にはシステムで動くもの
☆政治は、基本的にはシステムで動くもの
*「ドロドロとした人間関係が影響するわけがない」
*「恋愛で政治が変わるわけがない」などと言われているが
☆平安時代は男女関係が政治関係を大きく左右した
☆平安時代は男女関係が政治関係を大きく左右した
⛳『源氏物語』が生まれた一条天皇の時代
☆藤原氏の内部で大きな権力闘争が起こっていた
*対立は、藤原定子の兄藤原伊周と藤原彰子の父藤原道長
*決め手は、どちらの女性が天皇により多く愛してもらい
*早く子をなすことができるのかだった
☆「天皇の子どもを誰が生むかで」権力構造決まった時代
☆「天皇の子どもを誰が生むかで」権力構造決まった時代
*摂関政治の特徴
*どんな人が天皇であっても本来は構わないし、お飾りでも構わない
☆それを体現したのが、江戸時代の徳川幕府
*徳川家康は「将軍はバカで良い」と割り切り
*三代将軍の家光以降は、無才で問題のある人間であっても
*長子が跡を継ぐと決めてしまった
☆実際、徳川家の家臣たちがしっかりとトップを支えていたので
*将軍はお飾りでも全く構いませんでした
☆藤原氏の摂関政治においては
☆藤原氏の摂関政治においては
*誰が天皇の寵愛を受けるか、そして誰が天皇の子どもを先に産むか
*男女の交わりが、政治の行方を決める最大の比重を占めていた
☆藤原氏で「自分がナンバーワンになりたい」権力欲が強い人
*天皇の妻にするにする年ごろの娘がいることが、最大の武器
*その家に娘が生まれると、息子より、一族は喜んだ
(敬称略)
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⛳出典、『愛憎の日本史』
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「血統」「宦官」「万世一系の天皇家?」「妻の身分」
(ネットより画像引用)
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