🌸仏教の総合大学比叡山の天台宗1
⛳天台宗に注目が集まらない原因(1)
☆最澄が日本の仏教史において果たした役割は極めて重要だが
☆最澄が日本の仏教史において果たした役割は極めて重要だが
*存在感はかえって希薄なのだ
*最澄は、空海ほど注目されることは少ない
*最澄は、空海ほど注目されることは少ない
*中国での事績についても知られていていない
☆日本の仏教宗派の宗祖全体を考えてみたとき
*社会的な注目度が高い人物と
*注目度が高くない人物とに分けられる
☆空海をはじめ、親鸞や日蓮はさまざまな形で注目されてきた
*カリスマ的な人物として扱われてきた
☆最澄、法然、道元、栄西となると、個人としての注目度は低い
⛳天台宗に注目が集まらない原因(2)
☆天台宗が仏教宗派として総合的な性格をもっている
*比叡山では、法華信仰と浄上教信仰がともに実践されている
*比叡山では、法華信仰と浄上教信仰がともに実践されている
*また密教も盛んで、それらと共存している
*比叡山のイメージを曖味なものにしている
☆天台宗の教えは何かと言ったとき
☆天台宗の教えは何かと言ったとき
*端的に説明することができない
*「朝題目に夕念仏」と信仰や信念が定まらない
☆天台宗では、『法華経』が根本経典に定められている
*「朝題目に夕念仏」と信仰や信念が定まらない
☆天台宗では、『法華経』が根本経典に定められている
*しかし、天台宗が日本の仏教史で
*果たした役割は大きくその存在抜きに
*仏教宗派の歴史を跡づけることができないのも事実だ
⛳帰国後、南都六宗と対立した最澄
☆日本の天台宗は中国の天台宗に発している
⛳帰国後、南都六宗と対立した最澄
☆日本の天台宗は中国の天台宗に発している
*その教えを取り入れることで成立した
*中国での天台の教えを日本に伝えたのが最澄である
*そこから最澄は、「伝教大師」とも呼ばれている
☆天台宗関係の仏典は、鑑真によってもたらされた
*最澄はそれを見ることによって
*天台の教えの重要性に気づき
*それを学ぶために唐に渡った
☆日本には、奈良時代に法相宗や三論宗が伝えられた後
☆日本には、奈良時代に法相宗や三論宗が伝えられた後
*平安時代になって天台宗が伝えられた
*中国における成立は、天台宗の方が古く
*法相宗や三論宗の方が新しい
☆奈良時代には唐で最新の仏教が伝えられていた
*しかし、最澄はそれようも古い天台宗の教えに魅力を感じ
*南都六宗とは異なる教えを日本に持ち帰った
☆歴史上の「ねじれ現象」が生じることになる
☆歴史上の「ねじれ現象」が生じることになる
*唐から帰国した最澄は南都六宗の僧侶たちと対立し
*両者のあいだでは激しい論争が展開されることになる
☆人間に悟りの可能性を認めるのが大乗仏教の基本的な立場
☆人間に悟りの可能性を認めるのが大乗仏教の基本的な立場
*最澄はその点を明確にしようとした
*それが、出家して僧侶にならない在家にも
*悟りの可能性を認めることに結びつく
☆日本で「在家仏教」の立場が確立される上で重要な主張だった
*最澄の主張は南都六宗の教えとは相いれないものだったため
*最澄の主張は南都六宗の教えとは相いれないものだったため
*彼は天台宗を独立させることをめざした
☆最澄は具体的な行動
*天台宗独自の僧侶を生むための「大乗戒壇」を
*比叡山に設けることの許可を朝廷から得ようとした
*大乗戒壇は、実際には最澄が生きているあいだは認められず
*彼が56歳の生涯を開じて8日後に許されている
(敬称略)
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⛳出典、『浄土真宗の檀家は多い』
『天台宗』『最澄』『朝題目に夕念仏』『南都六宗との戦い』
(ネットより画像引用)
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