慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

『天台宗』『最澄』『朝題目に夕念仏』『南都六宗との戦い』

2024年12月17日 | 宗教
🌸仏教の総合大学比叡山の天台宗1

⛳天台宗に注目が集まらない原因(1)
 ☆最澄が日本の仏教史において果たした役割は極めて重要だが
 *存在感はかえって希薄なのだ
 *最澄は、空海ほど注目されることは少ない
 *中国での事績についても知られていていない
 ☆日本の仏教宗派の宗祖全体を考えてみたとき
 *社会的な注目度が高い人物と
 *注目度が高くない人物とに分けられる
 ☆空海をはじめ、親鸞や日蓮はさまざまな形で注目されてきた
 *カリスマ的な人物として扱われてきた
 ☆最澄、法然、道元、栄西となると、個人としての注目度は低い

⛳天台宗に注目が集まらない原因(2)
 ☆天台宗が仏教宗派として総合的な性格をもっている
 *比叡山では、法華信仰と浄上教信仰がともに実践されている
 *また密教も盛んで、それらと共存している
 *比叡山のイメージを曖味なものにしている
 ☆天台宗の教えは何かと言ったとき
 *端的に説明することができない
 *「朝題目に夕念仏」と信仰や信念が定まらない

 ☆天台宗では、『法華経』が根本経典に定められている
 *しかし、天台宗が日本の仏教史で
 *果たした役割は大きくその存在抜きに
 *仏教宗派の歴史を跡づけることができないのも事実だ

⛳帰国後、南都六宗と対立した最澄
 ☆日本の天台宗は中国の天台宗に発している
 *その教えを取り入れることで成立した
 *中国での天台の教えを日本に伝えたのが最澄である
 *そこから最澄は、「伝教大師」とも呼ばれている
 ☆天台宗関係の仏典は、鑑真によってもたらされた
 *最澄はそれを見ることによって
 *天台の教えの重要性に気づき
 *それを学ぶために唐に渡った
 ☆日本には、奈良時代に法相宗や三論宗が伝えられた後
 *平安時代になって天台宗が伝えられた
 *中国における成立は、天台宗の方が古く
 *法相宗や三論宗の方が新しい
 ☆奈良時代には唐で最新の仏教が伝えられていた
 *しかし、最澄はそれようも古い天台宗の教えに魅力を感じ
 *南都六宗とは異なる教えを日本に持ち帰った
 ☆歴史上の「ねじれ現象」が生じることになる
 *唐から帰国した最澄は南都六宗の僧侶たちと対立し
 *両者のあいだでは激しい論争が展開されることになる
 ☆人間に悟りの可能性を認めるのが大乗仏教の基本的な立場
 *最澄はその点を明確にしようとした
 *それが、出家して僧侶にならない在家にも
 *悟りの可能性を認めることに結びつく
 ☆日本で「在家仏教」の立場が確立される上で重要な主張だった
 *最澄の主張は南都六宗の教えとは相いれないものだったため
 *彼は天台宗を独立させることをめざした
 ☆最澄は具体的な行動
 *天台宗独自の僧侶を生むための「大乗戒壇」を
 *比叡山に設けることの許可を朝廷から得ようとした
 *大乗戒壇は、実際には最澄が生きているあいだは認められず
 *彼が56歳の生涯を開じて8日後に許されている
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください  
⛳出典、『浄土真宗の檀家は多い』





『天台宗』『最澄』『朝題目に夕念仏』『南都六宗との戦い』
(ネットより画像引用)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『150円台の円安』『米ド... | トップ | 『ワクチン何回も接種』『T... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

宗教」カテゴリの最新記事