慶喜

心意気
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13代成務と14代仲哀天皇2

2022年09月27日 | 歴史

🌸13代成務と14代仲哀天皇2

神功皇后新羅遠征

 ☆神功皇后が多くの船を並べて海へ乗り出す

 *船は波に乗ってたちまち新羅の国に着いた

 *皇后の軍は内陸にまで攻め込んだ

 ☆新羅の国王は怖れをなして神功皇后に伝える
 *天皇の命令に従います、貢物を差し上げてお仕えいします

 ☆神功皇后は、新維の国を馬飼である御馬甘(みまかい)と定めた

 *隣国の百済の国を渡屯家(わたのみやけ)と定めた
 *皇后は、新羅の国に杖を突き立て、領有したことを明らかにした
 *住吉神社の三柱の荒御魂を、この国を守る神として祀った

 ☆新羅遠征の仕事が終わらないうちに

 *皇后の身ごもっている子が生まれそうになった

 *皇后は、出産を抑えながら海を渡って筑紫国に戻ってきた
 *皇后はオオトモワケを生んだ

神功皇后、筑紫から大和ヘ

 ☆神功皇后は、大和へ帰るべく筑紫から難波ヘ向けて船を進めた
 ☆皇后は留守を預けている大和の人々の心が疑わしく思えてくる
 *もしや、反逆の心を抱いているのでは
 ☆皇后は、棺を載せる船を1隻用意した

 *その船に幼い皇子を乗せ、皆の者にこう言い触らさせた
 *「御子はすでにお亡くなりになった」と
 *1行は難波へ船を進めた

 ☆大和では、カゴサカ、オシクマ兄弟が、皇后を討とうと画策していた

 *仲哀天皇が別の妻との間にもうけた皇子オオトモワケの異母兄

 *皇位継承をめぐる争いが起きた

 ☆彼らは、自分たちの目論見の成否・吉凶を占う「誓約狩り」をした

 *狩りを行なって神意をうかがう占いで、結果は凶と出た
 ☆弟のオシクマはその凶兆を恐れることもなく軍を起こした

 *皇后軍を待ち受け、攻撃を開始した
 *しかし、オシクマ軍は、皇后の仕掛けた罠(棺船の罠)に引っかかった
 *皇后軍船から下りるや1気に進攻し、オシクマ軍を窮地に陥れた
 *オシクマ軍は山城に入り込むと立ち直り、双方攻防を繰り返した
 ☆神功皇后のタケフルクマ将軍は一計を案ずる
 *「皇后はすでに亡くなられた。戦う理由はない」と言い触らさせた

 *弓の弦を切って偽りの降伏をした
 *オシクマ軍の将軍、それを信じ軍勢に弓の弦を外させた
 *タケフルクマ将軍は喜び、兵士に弓の弦を取り出させた

 *それを弓に張り、矢をつがえて射ちまくった

 *逃げるオシクマ軍を琵琶湖の西迄追撃し全減させた

⛳皇子の禊と成人儀式

 ☆皇位継承をめぐる争いに決着をつけたタケシウチ

 *幼い皇子オオトモワケを連れ、政のために近江、福井県南西部を巡歴した
 ☆皇子の穢れれを祓う必要があった
 *皇子は喪船に乗せられ、死んだと伝えられた

 *つまり死人に見立てられていた
 *死や死者は穢れとされ、忌み嫌われている

 *皇子は、死人に見立てられたので、禊が必要となる

 *その行事を行なう場所を求め福井県中・北部まできたとき

 *そこに仮宮をつくって皇子を住まわせた禊の行事を行なった

 ☆皇子は、禊のあと神の名を自分の名にした

 *祖神から名を与えられたことで、成人式儀礼といわれている
 *成人式儀礼のあと、皇子が都(大和)へ帰ってくる

 *母の神功皇后は息子を祝福し待酒をつくって差し出した

 ☆神功皇后は百歳で亡くなった

                      (敬称略)                                     
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⛳出典、『眠れないほど面白い古事記』

13代成務と14代仲哀天皇2

(ネットより画像引用)


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