🌸13代成務と14代仲哀天皇2
⛳神功皇后新羅遠征
☆神功皇后が多くの船を並べて海へ乗り出す
*船は波に乗ってたちまち新羅の国に着いた
*皇后の軍は内陸にまで攻め込んだ
☆新羅の国王は怖れをなして神功皇后に伝える
*天皇の命令に従います、貢物を差し上げてお仕えいします
☆神功皇后は、新維の国を馬飼である御馬甘(みまかい)と定めた
*隣国の百済の国を渡屯家(わたのみやけ)と定めた
*皇后は、新羅の国に杖を突き立て、領有したことを明らかにした
*住吉神社の三柱の荒御魂を、この国を守る神として祀った
☆新羅遠征の仕事が終わらないうちに
*皇后の身ごもっている子が生まれそうになった
*皇后は、出産を抑えながら海を渡って筑紫国に戻ってきた
*皇后はオオトモワケを生んだ
⛳神功皇后、筑紫から大和ヘ
☆神功皇后は、大和へ帰るべく筑紫から難波ヘ向けて船を進めた
☆皇后は留守を預けている大和の人々の心が疑わしく思えてくる
*もしや、反逆の心を抱いているのでは
☆皇后は、棺を載せる船を1隻用意した
*その船に幼い皇子を乗せ、皆の者にこう言い触らさせた
*「御子はすでにお亡くなりになった」と
*1行は難波へ船を進めた
☆大和では、カゴサカ、オシクマ兄弟が、皇后を討とうと画策していた
*仲哀天皇が別の妻との間にもうけた皇子オオトモワケの異母兄
*皇位継承をめぐる争いが起きた
☆彼らは、自分たちの目論見の成否・吉凶を占う「誓約狩り」をした
*狩りを行なって神意をうかがう占いで、結果は凶と出た
☆弟のオシクマはその凶兆を恐れることもなく軍を起こした
*皇后軍を待ち受け、攻撃を開始した
*しかし、オシクマ軍は、皇后の仕掛けた罠(棺船の罠)に引っかかった
*皇后軍船から下りるや1気に進攻し、オシクマ軍を窮地に陥れた
*オシクマ軍は山城に入り込むと立ち直り、双方攻防を繰り返した
☆神功皇后のタケフルクマ将軍は一計を案ずる
*「皇后はすでに亡くなられた。戦う理由はない」と言い触らさせた
*弓の弦を切って偽りの降伏をした
*オシクマ軍の将軍、それを信じ軍勢に弓の弦を外させた
*タケフルクマ将軍は喜び、兵士に弓の弦を取り出させた
*それを弓に張り、矢をつがえて射ちまくった
*逃げるオシクマ軍を琵琶湖の西迄追撃し全減させた
⛳皇子の禊と成人儀式
☆皇位継承をめぐる争いに決着をつけたタケシウチ
*幼い皇子オオトモワケを連れ、政のために近江、福井県南西部を巡歴した
☆皇子の穢れれを祓う必要があった
*皇子は喪船に乗せられ、死んだと伝えられた
*つまり死人に見立てられていた
*死や死者は穢れとされ、忌み嫌われている
*皇子は、死人に見立てられたので、禊が必要となる
*その行事を行なう場所を求め福井県中・北部まできたとき
*そこに仮宮をつくって皇子を住まわせた禊の行事を行なった
☆皇子は、禊のあと神の名を自分の名にした
*祖神から名を与えられたことで、成人式儀礼といわれている
*成人式儀礼のあと、皇子が都(大和)へ帰ってくる
*母の神功皇后は息子を祝福し待酒をつくって差し出した
☆神功皇后は百歳で亡くなった
(敬称略)
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13代成務と14代仲哀天皇2
(ネットより画像引用)
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