慶喜

心意気
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『親鸞伝絵』『六角夢想』『建永の法難』

2024年12月23日 | 宗教
🌸親鸞が開いた浄土真宗(2)

⛳親鸞、謎の生涯1(出生)
 ☆親鸞の生涯を伝えるもっとも古いものが、『親鸞伝絵』
 *文章と絵によって親鸞の生涯を描き出したもの
 *文章の部分だけを取り出したものは『御伝抄』と呼ばれる
 *作ったのは、親鸞の娘である覚信尼の孫にあたる覚如
 *親鸞は、妻帯しており、血筋でその信仰が伝えられていった
 ☆『親鸞伝絵』が成立したのは、親鸞が亡くなって33年後
 *それが事実が証明されていないない
 *親鸞自身は日野家の出身ではないという説もある
 ☆親鸞、貴族の出身であったとしても
 *親鸞の父とされる日野有範、その叔父たちにしても
 *才能はあっても地位が低く、貴族社会のなかで出世しない人間たち
 *親鸞の生まれが、その後の生涯に大きな影響を与えたとは思えない

⛳親鸞、謎の生涯2(夢告の体験)
 ☆親鸞が貴族の出身かどうか『親鸞伝絵』で
 *「六角夢想」と呼ばれる段に記されている
 ☆六角堂は、聖徳太子ゆかりの寺とされている
 *比叡山を下りた親鸞は、そこに100日間こもり
 *来世の安穏について祈ったところ、95日日に聖徳太子があらわれた
 *親鸞は、その意味を教えてくれる人物を求めて、法然のもとに赴く
 ☆「六角夢想」の段では、観音菩薩が白い袈裟を着てあらわれ
 *親鸞に女犯すとも、我、玉女の身となりて犯せられると告げた
 *前世の業で、戒律を破り女性と性的な関係を結ぶ必要があるなら
 *観音菩薩自身がその相手になるというのである
 *僧侶の妻帯が厳しく禁じられるのは近世に入ってからである
 ☆近代の浄土真宗の宗派や、真宗系の知識人のあいだでは
 *親鸞が妻帯したという行為を高く評価しようとする傾向が強い
 *浄土真宗は僧侶の妻帯を認めてきた唯一の宗派なのだ
 *親鸞は性欲の悩みを抱えて六角堂にこもったと解釈される

親鸞、謎の生涯3(法然との師弟関係)
 ☆親鸞は法然のもとに弟子入りした
 *生涯にわたって法然を師と仰いでいた
 *親鸞は法然に絶対的に帰依していた
 ☆比叡山から念仏を停止するよう訴えが出されたとき
 *法然が「七箇条制誠」をあらわして
 *弟子たちに対して軽率な行動をとらないよう呼びかけた
 *そこには弟子たちも署名しており、当時親鸞の名前も含まれている
 *親鸞は、法然の信頼が厚かった
 ☆親鸞は、法然の高弟であったと言えないのでは
 *『親鸞伝絵』で、親鸞は弟子たちの
 *リーダー役であるかのように描かれているが
 *この絵伝を書いた覚如の願望のあらわれだったのでは

親鸞、謎の生涯4(流罪)
 ☆「建永の法難」で、法然やその弟子たち、流罪や死罪に処せられた
 *親鸞もその際に、越後へ流罪になったとされているが
 ☆当時、流罪の対象となる国は、遠流、中流、近流の3つに分類された  
 *遠流の地は、伊豆、安房、常陸、佐渡、隠岐、土佐とされていた
 *法然が土佐に流されたとされたのも
 *土佐が遠流の地と定められていたから
 *佐渡は遠流の地で、日蓮や世阿弥などが流されたことで知られる
 *越後自体は違う、越後は中流でも近流でもない
 ☆親鸞が流罪に処せられたということは
 *親鸞側の歴史資料以外にはまったく記されていない
 *越後に赴いたのは、すでに結婚していた恵信尼の
 *故郷だったからかもしれない
 *叔父の宗業が越後権介に任命されていたからかもしれない
 ☆親鸞は流罪になっていない
                       (敬称略)
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⛳出典、『浄土真宗の檀家は多い』




『親鸞伝絵』『六角夢想』『建永の法難』
(ネットより画像引用)

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