🌸幕藩体制での「天皇の権威」2(最終回)
⛳庶民が、天皇を発見した
☆江戸時代の天皇の地位が低かった
☆幕末に天皇の存在感が大きくなった理由
*江戸時代、天皇自体はパッとしない存在だった
*幕末には天皇の存在感が絶大だったことは間違いない
*「庶民が天皇を見つけた」たことが大きな理由
☆江戸時代は平和な時代だった
☆江戸時代は平和な時代だった
*庶民が自分たちの歴史を学び、過去の自分たちを勉強で考えた
*生まれたのが、「国学」という学問
*当時の知識人「歴史」といえば、中国史を指していた
*自分の国である日本の歴史を知らない人圧倒的多数でした
*当時の知識人「歴史」といえば、中国史を指していた
*自分の国である日本の歴史を知らない人圧倒的多数でした
*貴族でも日本史をほとんど知らないという状態だった
☆本居宣長たちが国学を生み出し、神話世界を復活させた
*江戸の後期、日本史が多くの人の興味の対象となった
☆国学を学ぶにつれて、庶民たちが天皇の重要性気が付いた
☆国学を学ぶにつれて、庶民たちが天皇の重要性気が付いた
*庶民が天皇を発見した
☆庶民によって発見された天皇、将軍へのアンチテーゼにもなった
☆庶民によって発見された天皇、将軍へのアンチテーゼにもなった
☆ペリーが来航した際の幕府の対応から
*「将軍ではダメだ」と世間の声が高まった
*天皇の価値が相対的に上昇していった
☆将軍の存在を否定するため、天皇が注目された
⛳天皇の存在感をより高めた、堀田正睦の失態
☆黒船の来航以降
⛳天皇の存在感をより高めた、堀田正睦の失態
☆黒船の来航以降
*「将軍が日本を治めているようではダメだ」との世論が盛り上がった
☆堀田正睦老中の外交面での大失態
☆強面で迫るアメリカに、江戸幕府は開国を要求される
☆堀田正睦老中の外交面での大失態
☆強面で迫るアメリカに、江戸幕府は開国を要求される
*堀田正睦は、ペリーの強圧に耐えかね
*鎖国を破らざるを得ないところまで、追い詰められる
☆堀田正睦は、朝廷の力を利用することを思い立つ
☆堀田正睦は、朝廷の力を利用することを思い立つ
*孝明天皇が、何か励ましの言葉をくださると思いお伺いを立てた
*幕府がやると言つたことに、朝廷は反対できない
*天皇の賛同も多少の役には立つだろうと考えた
☆孝明天皇は、堀田正睦の言葉に接して
☆孝明天皇は、堀田正睦の言葉に接して
*「朕は、外国人は嫌い。日米修好通商条約は駄目」と言い出した
*天皇にお伺いを立てた堀田正睦が悪い
*幕府はこれまで通り、事後報告だけすればよかった
☆反開国派は、「さすが天皇さま」と天皇を持ち上げた
*幕府の権力失墜に大きな働きをすることになる
☆幕末期に天皇の地位が高まったのは
*忘れられていた天皇を、庶民たちが見つけたから
☆江戸時代、天皇の威光が強くなかった根拠
*現代では、皇族の方御用達の神社として知られる伊勢神宮
*江戸時代は今のように神格化された存在ではなかった
*ごく普通の神社のひとつだった
⛳「定説」の重みを、軽んじるべからず
☆本書の全体をまとめ
☆本書の全体をまとめ
*学者も人間「目立ちたい」「偉くなりたい」気持ち持っている
*これは健全な野心で否定するつもりはない
*自分の野心を学問の良心で押さえ、バランスを取るのが必要
☆「自分が目立つためには、極論も厭わない」という研究者もいる
☆「自分が目立つためには、極論も厭わない」という研究者もいる
*長い歴史を通じて、多くの先人たちが積み上げてきた定証
*それなりの重みを持ち、簡単には崩れるものではない
☆『定説の重みを、軽んじるべからず』
☆『定説の重みを、軽んじるべからず』
(敬称略)
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⛳出典、『日本史の論点』
幕藩体制での「天皇の権威」2(最終回)
(ネットより画像引用)
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