タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

さすがだなぁ

2015年01月31日 | 日々雑感
今朝もハッキリしない天気、雨とも雪ともいえないものが降っていました。

昨日は、今月最後の山歩きを考えていたのですが、この天気を見てあえなく挫折、今日もまた読書の一日になりました。

午後には天気も回復しましたが、万事朝型のタカ長は、午後から山に行く気にはなれないのです。

というようなことで、読み残していた「崩れ」(幸田文著、講談社文庫)を読み終えました。



「崩れ」といえば、私たちが登る山らしい山は「崩れ」ばかりなのかも分かりません。少なくとも登山者には見なれた風景のはずですが、、、、、

たとえばこの画像、私たちには一番身近な伯耆大山の北壁ですが、この山は毎日崩壊を続けていて、、、、



大山に行けばこのような風景は普通の風景になります。崩壊、崩落、崩れ、、、、それらのあいだに意味の違いがあるのかどうか、勉強不足のタカ長には分かりませんが、、、

伯耆大山に何十回も行き、このような風景を何度も見てきましたが、、、、、、幸田文が「崩れ」のなかで見せている目線でこの風景を見た記憶がありません。

当たり前のことといえば当たり前のことですが、タカ長には幸田文のような感性も持っていませんし、豊富な語彙もまた持ちあわせていないのです。

    

この「崩れ」も山の文章といえるのでしょうが、私がこれまで読んできた山の文章とは違っているようです。

その違いに触れ、そのうえ幸田文の豊富な語彙に触れ、日本語の美しさを思い、、、、、

何となく得をしたような気分になりました。

というようなことを書いてもこの本の紹介にはなりませんが、タカ長のへたな紹介を待つまでもなく、、、、

一味違った山の文章を読みたい人にはお勧めの1冊であることは間違いありません。

    

歳も歳になり、足にも問題が出始めているタカ長がこのような、アルペン的な風貌の山に行く機会は多くはないでしょうが、、、、

今度行くことがあったら、山の一部である「崩れ」そのものに注目したいと考えています。

登山者でもない足弱の、72歳の作家が思い立って日本各地に出かけ、、、、そこで見た「崩れ」を文章にしたため、、、、、

それを読んだ人のこころにずしりとしたものを残すのですから、、、、、、さすがプロの作家ですね。