先日紹介したこの本を読みながら面白い(?)ことを考えました。以下はタカ長の独断です。
日本には長い登山の歴史がありますが、その歴史を大胆にも二つに分けてみました。
不便な時代の登山と便利な時代の登山の二つです。
いうまでもなく今は便利な時代、多くの高齢者がその「便利な登山」を楽しんでいます。
不便と便利、具体的にはいろいろあります。
登山口へのアプローチもあれば山での生活もあります。山道具もあれば登山道などの問題もあります。
いろいろあって短い紙数では書くことができませんが、あれこれ考えていると、、、、
タカ長が登山を始めたのは「不便な時代」の一番最後、、、、ではないかと思うようになりました。
アブローチでいえばマイカー時代到来前。その頃は広島県北の山は日帰り圏外、一泊二日の登山でした。
宿泊はテントか民宿、無人小屋、、、、。それが普通の登山でした。
小さなものでいえば地図。当時は5万分の1の地図でした。白黒の地図です。
この地図は3月に登った湯来冠山のカシミールの地図です。
同じ地図を2万5千分の1にするとこのようになり、、、
地図からの情報がえやすくなっています。
地形の変化などもこちらのほうが見やすいはずですが、、、、
最近のタカ長は老眼がすすみ、現地で地図を開くことが少なくなっています。
便利な時代になって、多くの人が気軽に山に登ることができるのはいいことかも分かりませんが、、、、
むかしの「不便な時代」の登山者が不幸かといえば、それは違います。
タカ長の独断ではその反対、むかしの登山者のほうは幸せで、今の登山者のほうが不幸ではないかと思うこともあります。
有名な山には多くの登山者がつめかけて、いまはオーバーユースのことが問題になっているようです。
このあたりもおそらくハイマツの海だったはずですが、登山道がいつか広がりこのようになったのでは???
タカ長たちも山に出かけるのですから、ここではオーバーユースのことは話題にしませんが、、、、
今のような便利な時代に登山をしていると、何かあったとき対応できない人が多くなるのではないかと思っています。
言葉を換えれば「打たれ弱い」登山者ばかりが増えているように感じているのです。
昨今問題になっている高齢登山者の遭難事故、どのような経歴の人が事故を起こしているのか、具体的なことは何も知らないのですが、タカ長の独断ではここでいう「打たれ弱い」人が事故を起こしているのではないかと思うのです。
便利なことはいいことばかりではありません。不便なことが不幸なことでもありません。
上記の本を読み、、、、、
東京を夜行で出発して翌朝山梨県の塩山で下車して、、、、というむかしの登山を何となく羨ましく感じているのです。
便利な時代になって無くしたものが多すぎるのでそのように思うのでしょうか?