タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

謙虚な気持ちで

2016年08月08日 | 山歩きから
今日も朝から焼けるような太陽。言っても仕方ないけど暑い、暑い、、、、、、暑い。

そのなか、、、盆が近づいてきて、今朝は墓掃除に行きました。タカ長たちの盆行事の始まりです。

それ以外の時間は自宅でのんびり。これだけ暑い日が続くと、エアコンが苦手だと言っておれません。

そのエアコンのきいた部屋でリオ五輪を見たり、本を読んだり、、、、、。

      

その本ですが、このような古い本を読んでいます。

ご存知のように山が好きな作家、田中澄江さんの本、1997年6月の初版です。

何かにつけて忘れることが多いタカ長ですが、忘れることも悪いことばかりではありません。

久しぶりに読むと、初めて読むような感じで読み進むことが出来ます。それに同じ本を読んでもその時その時の関心が違うので、いつ読んでも新しい気持ちで読むことが出来ます。

    

今日こころに止めたのは下記のようなところです。

田中澄江さんは77歳(いまのタカ長と同じ歳)のとき、山頂が岩山の乾徳山に登られています。鎖場の多い裏妙義山を登られたのも70代。

その乾徳山では70代の女たちが岩場を登るというのでフジテレビのカメラマンが撮影し敬老の日に放映したそうです。

そのことを紹介された後の文章です。

裏妙義でも乾徳山でも、私たちが行って間もなく、両方とも六十代の女の人が行って、同じ場所で滑落して死んだのをニュースで知り、胸が痛みました。おそらく田中さんたちが七十七歳で登った。私はまだ六十だという自信があったのでしょう。
でも私は十代から登っていますから、岩場でのからだの使い方が自然に身についています。岩に登るときは手と足だけでなく、肘で支えたり、お尻で支えたり、背中を使ったり、全身をつかうのです。私の仲間も、十年、十五年と登っている。


登山者の遭難事故が問題になっているのは今に始まったことではありませんが、このような文章が心にとまるのは、山の事故に関心を持っているからにほかなりません。

どのような山歴のひとが事故を起こされているのか知りませんが、、、山を安全に歩くためにはそれなりの経験が必要なのです。

それもただ単に誰かに連れられて行ったというのではなく、基本的なトレーニングを受け、そのうえで向学心を持って歩きつづけたという経験が必要なのです。

この文章にふれてタカ長も初心のころを思い出しました。

タカ長の山歴など人前で誇るものは何もないのですが、それでも山岳会に所属したころ足が震えるような岩場に連れて行かれ基本的な指導を受けました。

それほど高度のある岩場ではなかったはずですが、初心のタカ長にはものすごく高いところに思え、体がかたくなり、体を岩に寄せすぎ、、、

そのたびに体を岩から離すよう厳しく指導されました。しかし、それがなかなか出来なかったことを昨日のように思い出したのです。

そのように、基本的な訓練を受けた人が岩場に行くのなら理解できますが、70代の人が登ったのだから60代の自分でも登れると考えるのは短絡的で危険です。

    

岩場ばかりではありませんが、山を歩くには山を歩くための技術があります。そのことを忘れてはいけません。

そして、、、、、具体的にはタカ長も説明できませんが、その技術の習得も若いときのほうが身につきやすいと考えています。

タカ長たちのグループでは岩場の訓練をしていないので、そのような山を登ることは避けていますが、、、、

普通の山を不通に歩くのも技術があり、そのことに関していつも謙虚でありたいと考えています。

    

山は夏の盛り、、、、広島県でもこのようなキレンゲショウマを見ることが出来のですが、、、

そこへ行く足場が良くないので、今年も計画していません。

いつの場合も技術を身につけていて損はないのですが、その技術があっても歳には勝てないところがあるので、、、、

タカ長たちは自分たちの登れる山を探して行くことになります。

そして、いつの場合も謙虚な気持ちで、、、、、、。むかし何とか言ってもダメ、歩くのは今ですから、、、、、、。