タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

早くも次を、、、

2018年03月05日 | 山歩きから
雨になりました。ナウキャストの画像を見ると、ところどころに赤い色が見れれ、警報も出たようです。

天気のことで気をもんでも仕方ないことは分かっていても、、、、、そして、、、、、

当たらない、当たらないと悪口を言いながらも気にするのが天気予報です。

その天気予報のイメージと昨日の実際の天気ではイメージが少し違いましたが、、、

それでも昨日は雨の心配をしないでファミリー登山を無事終えることが出来ました。

この雨が昨日でなくて良かったです。

          

昨日の参加者です。

ここで一番目立っているのがタカ長で、、、、センターはもちろんタカ長の「大後輩」です。

無料公開できるのはここまでですよ。

ファミリー登山をすると何となく疲れます。いつもと違う心づかいをしているのかどうか、タカ長にもわかりませんが、、、

何となく疲れるような気がします。しかし、、、、、

疲れたと言いながら、もう来月のことを考えています。

    

4月は広島の市街地にある小さな山を予定しています。JR利用の登山です。

最寄り駅を下りて、、、、市街地をしばらく歩いて、、、、とある公民館の裏にある巨木を見てから山登り開始。

今回も登り1時間程度の小さな山です。

しかし、山頂からの展望は最高、、、、、

    

その山頂も広いのでたくさんの人と登っても大丈夫です。

ここでのんびりして、それから下山開始ですが、、、、、

        

途中には展望の良い岩があるので、、、、その岩の上でまたまたのんびりするのも良さそうです。

この程度書いておけば4月のファミリー登山の広告になりそうですね。

4月の予定といえばタカ長たちにはまだまだ楽しい予定があります。

    

その一つが民泊クロ兵衛をベースにした長崎の山歩きです。

相棒たちを案内してこの志々伎山に登り、タカ長には初めての佐志岳に行き、そのあと生月島を観光し、、、

というような盛り沢山のプランを考えています。そして、、、

    

もう一つは有田の黒髪山です。

山頂の天童岩に登ってのんびりタイムですが、その岩に登るのはチョッときついので、今度は心の準備もシッカリして登ることにします。

バカと煙は高いところに登る、、、、といいますが、、、

まったくその通りですね。

いつもいつも次の登山ばかり考えています。 

だいこうはい

2018年03月04日 | 山歩きから
    

今月のファミリー登山は山口県岩国市の弥山(435.2m)に登りました。

この登山は、、、、文字通りのファミリー登山で、今日の参加者は、、、、

小学3年生から80歳目前の人まで、、、、、

山歴もほとんど初めて登山される人からエベレストのふもとまでトレッキングしたり、百名山を登った人まで様々です。

様々な人が参加するので、本当の意味の登山とは言えないかもしれませんが、、、、

子どもたちには想い出を、、、、大人の人には新しい出逢いを、、、、という趣旨ですから、、、、

その意味でいえばこのファミリー登山は順調にスタートしたと言えそうです。

    

今日の弥山は標高こそ低いのですが、いきなりの急登の山です。

しかし、道のそばには丁塚の石仏が見られる個性的山なのでファミリー登山の山に選んだわけです。

ガイドブックには登り50分と紹介されている小さな山なので、ファミリー登山でも何とかなるのです。

    

その石仏を追いながら登って行きます。

一番足の弱い人に合わせて登るので、今回は皆さんに遅れることなくついて行きました。というか、、、、

時々は先がつまって立ち休憩、、、、

それが許されるのもファミリー登山のいいところです。



私たちはコースタイムより20分くらい遅れて弥山に到着。この階段の上が弥山です。

    

ガイドブックによると山頂には三等三角点、神社が三社、、、とあります。

この山頂はかつて三つの村境だったので神社が三社、ということになったようですが、このあたりのことは郷土史の分かる人の説明を受けないとうまく書くことが出来ませんね。

    

ところで今日のタイトル「だいこうはい」の意味がすぐに分かりましたか?

今日もタカ長の小学校の後輩が参加してくれました。

その後輩から見たらタカ長は間違いなく「大先輩」です。

ということは、、、その、、、、タカ長のガールフレンド(と言ってもタカ長の片思い???)は「大後輩」と言っても良さそうですが、、

大先輩という言葉はあっても「大後輩」と言う言葉は聞かないようですね。

そだねぇ、、、、、でしょう?

そこでタカ長の造語です。あの子はタカ長の「大後輩」なのです。

    

その大後輩は皆と同じように1万歩を超えるコースを歩ききりました。

さすが大後輩ですね。

          

その大後輩がタカ長の似顔絵をプレゼントしてくれました。よく描けているでしょう。

若々しくて可愛いところなどいまのタカ長そのままです。

ただいまスキャナーの調子が悪いので写真に撮りましたから、画像としてはイマイチですが、、、、

元の絵は立派なものです。

3年生でこのような絵が描けるのですからこの子は絵の才能があるのではないでしょうか?

その才能が大きく開花することを期待しますが、、、その時までタカ長は生きられるかなぁ???

    

おしゃべり登山

2018年03月03日 | 山歩きから
心臓病を経験して自分の体と相談しながら山を歩く気持ちが以前より強くなったような気がします。

と言ってもその変化の幅は大きなものではないような、、、、、そんな気持ちです。

当たり前のことかも分かりませんが、若いころの登山には心身を鍛えるという側面もあり、、、

タカ長はタカ長なりにそのことを意識して、山のトレーニングなどしたものです。

たとえば、、、ボッカ訓練という名目で砂袋などザックに入れたり、、、、、

そのような登山ですが、そのころの登山そのものがタカ長にはきついもので、リーダーから「休憩」のひとことを今か今かと待ちながら歩いたものです。

休憩の声がかかり、重いザックを下ろしたら、体が急に軽くなって、チョットの風で飛ばされそうな、、、、、

あの時の感覚はいまも体のどこかに残っているような気がします。

そのころは黙々と登るだけ、、、、、おしゃべりなんてとんでもない、、、、、。

    

後年、いまのグループを立ち上げてからの登山はおしゃべり登山でした。

本当の意味の登山を志向していたわけではなく、健康のため、地域社会の交流を第一に考えての登山なのでおしゃべり禁止などしたことはありません。

そのころは先頭を歩きながら、後ろから聞こえる仲間のおしゃべりを聞いていました。

そのおしゃべりが聞こえなくなると、、、、、このペースは速いのかなぁ、、、、と思ってスピードを落としていました。

そのころの仲間と今の仲間、、、、その多くは入れ替わっていますが、、、、、

いまではタカ長のほうが足が遅くなった感じで、皆のあとをついて歩くことが多くなっています。

          

最初に書きましたように、心臓病を経験して自分の体と相談することが増えたような気がしています。

というか、、、、それまで以上にわがままをさせてもらって、、、自分なりの歩き方を貫くようにしています。

そのようなことを考えるのは、、、、、たとえば、、、このような本を読んだからです。

冒険家三浦雄一郎が80歳でエベレストに登頂されたことはご存知でしょうが、そのときチームドクターをされたのがこの大城和恵医師です。

「国際山岳医」という、タカ長にはなじみのない肩書をお持ちの大城医師のこの本には教えられることがありました。

そして、この本を通してあらためて教えられたのが三浦雄一郎、、、、、。

          

その縁でこの本を買い求めました。

富士山の直滑降やエベレストのサウスコルからのスキー滑降など、多くの人が知っている実績のある三浦さんですが、、、

60歳の定年のころには164センチの身長で体重85キロ、典型的なメタボ体型だったそうです。そのうえ不整脈が見つかり、、、、

体の状態から言えばゼロからではなく、マイナスからの出発があのエベレスト登山だったのです。

そのような三浦さんの経験はタカ長たちにも参考になります。教えられることも多々あります。

そのような勉強をしながら、自分なりに山とのつきあいを継続してゆくことをそれまで以上マジメに考えています。

その時のキーワードが「おしゃべり登山」だと考えています。

三浦雄一郎はマイナスからスタートしてエベレストに登りました。しかし、それは誰にでも出来ることではありません。

目指す山、目指すところは人それぞれでいいのです。

そこで思い出すのがこの本です。

          

何十年も前に読んだ本ですが、最後の一節は今も頭のどこかに残っています。

担架にゆられながら、ぼくは終わるを告げようとしている今回の冒険のこと、思いがけずに得られた勝利のことを、つくづく考える。人間にとって、理想というものは、達しようとして努めながらも、けっして達しえない目標であるということだ。しかし、隊員一同にとっては、アンナプルナは実現された理想である。(中略)

アンナプルナ、われわれがなにひとつ報酬がなくとも行ったであろうアンナプルナこそ、われわれの生涯の残りを生きる宝なのだ。この実現によって、一ページがめくられ、、、、新しい生活がはじまる。

人間の生活には、他のアンナプルナがある、、、、、、、

三浦雄一郎にとってのアンナプルナはエベレストでした。しかし、登山をする人にもしない人にも「アンナプルナ」はあるということです。

タカ長にとってのアンナプルナは伯耆大山でもいいし、、、場合によってはわが裏山でもいいのです。

高齢になったタカ長がそのアンナプルナに登るためには息せき切った登る登山はNGです。

そのようなことをしたら心臓がパンクします。だからおしゃべり登山、、、、、だと思うのです。


日本も広い

2018年03月02日 | 山歩きから
本日は仲間の写真を使っての更新です。   

    

仲間たちとの裏山歩き、今日は14名が参加しました。

裏山には春の光があふれていました。今日は「春到来」と言ってもいいような天気です。

全国的に見ると、発達した低気圧が東進していて、、、、

北海道の方では車が雪に埋まり、死者もでているようです。

それにひきかえ、、、、

    

瀬戸内の低山は春到来を思わせる陽気、、、、、日本も広いものです。

人間というものは勝手なもので、気候のいい時の北海道にはあこがれますが、このような時の北海道は「ノーサンキュウ」ですね。

瀬戸内地方は間もなく春本番になり、、、、

そのことが分かっている仲間からは、、、、あの山に行きたい、とか、、、、、あのコースを歩いてみたいとか、、、、

そのようなことを話しながら歩きました。

    

さくらの里にも光がいっぱいでした。

そのさくらの里で団地の子どもたちとお花見登山、というプランが急浮上してきたのですが、、、

その世話をする仲間たちは全員忙しくて、1ヶ月以上の時間的な余裕があっても対応できないことがあり、このプランは計画だおれになりそうです。

北の国では雪と強風のために大変な状態なのに、こちらでは花見の相談、、、、、

やはり日本は広いですね。

          

本日の14名の侍たちです。

この中の一番いい男がタカ長、ということにしておきます。

    

植田利彦絵画展

2018年03月01日 | 日々雑感
総領町へ行くのをキャンセルしたタカ長、その埋め合わせというわけではないのですが、、、、、

町内のナカムラ病気のロビーや廊下で行われている「植田利彦絵画展」に行って来ました。

たまには山を忘れて文化的な空気に触れるのも悪くないでしょう?

この植田利彦さんは、、、あの、、、、かの有名なルノアールなども出展したル・サロンにも出展し、入選されているようですが、、、、

本当のことをいうとタカ長にはその「ル・サロン」が何ぼうのものかまったく分からないのです。

    

タカ長たちにとって植田利彦さんは、、、親の代からの「ご近所さん」で、、、、

そう、お互い今の団地に居をかまえる前もご近所さんで、親しくして頂いているのです。

その関係で植田さんの個展には出かけるようにしています。

といっても近所で行われる個展だけです。

聞くところによると東京銀座でも個展を開かれたことがあるようですが、そこまでつきあった記憶はありません。

    

今朝早く出かけたらその植田さんもおられて、、、、

絵画を鑑賞したのか、雑談したのか分からなくなりました。

    

その作品のひとつです。「風景リュ・ダルコル」と題された120号の作品です。

コンデジで撮った写真ですからきれいには撮れていませんが、本人の了解を得ていますので紹介します。

植田さんはパリには何度も何度も出かけられ多くの作品を描かれています。

これはその一部ですが、今回は「モン・パルナスのカフェ」という100号の作品も展示されています。

    

これは「プラハ・マラストラーナ」と題する80号の作品の一部です。

小さなところまで描写されているので、このようなかたちで紹介しました。

この「植田利彦絵画展」は洋画8点、水彩画11点が展示されています。

期間は5月6日まで。時間は9時から18時までです。

ご近所の皆さん、この絵画展にぜひお出かけ下さい。もちろん入場無料ですよ。


とりあえず90歳まで

2018年03月01日 | 日々雑感
天気は回復していますが、、、、まだ風が強いようです。

総領町へ行ってセツブンソウを見るつもりでしたが、ネットで開花状況を確認すると、タカ長たちお気に入りの自生地は公開前でした。

開花しているところは1ヶ所か2ヶ所、、、、これでは面白くないので延期しました。

延期しましたが、、、、いろいろ予定があるので来週行くことが出来るかどうか、それは???です。

    

もうひとつ、、、、言い訳があります。

昨秋心臓病を経験して、、、、しかし、、、命を助けられて、、、その後も山歩きを継続していて、、、、

これからも継続して、、、、とりあえず90歳まで山歩きを継続してゆくことを本気で考えているタカ長の気持ちを文章化する作業を始めているのです。

その作業をもう少し進めておきたい気持ちもあるのです。

    

突然キレンゲショウマの写真を貼りつけていますが、、、、

とりあえず90歳まで歩くとしたらあと11年、、、、、ということで10年くらい前の山や旅のことを回想しているのです。

四国の剣山でこの写真を撮ったのが2008年、あれから10年たったのかぁ、、、、という感覚です。

     

     

アルプス登山では中央アルプスの木曽駒ケ岳に登ったのもこのころです。

マイクロバスをチャーターしての山旅でした。あの頃はバス代が安くて比較的簡単にバス旅行が出来ました。

思い返せばつい先日の山旅のように思えますが、あれから10年の歳月がながれています。

    

海外旅行ではいえばベトナムの旅。

バイクの洪水の中を一定のペースで歩いて横断、、、、そのコツみたいなものを覚えて、、、、多少はスリルを楽しみながら通りを横断したものです。

    

あの時はハロン湾クルーズを楽しみましたが、やって来た英語ガイドの能力が低くて派遣先の旅行社と喧嘩したものです。

日本人をなめるな、、、、という感じでクレームをつけ、ホテルをワングレード上げてもらいました。

そのようなベトナムの旅も10年前です。

     

2007年にはマレーシアに行きました。

クアラルンプールでは突然のスコールにみまわれ、、、、ツインビルに逃げこみ、、、、

雨が上がったらすぐに飛び出してツインビルのまわりで探鳥したものです。

    

何度も撮った伯耆大山の北壁です。

何でもない写真ですが、この写真はある種の感慨をもって撮ったものです。というのは、、、、

その前の冬、、、親交のあった世界的なクライマー、高見和成さんが大山北壁で遭難死していたからです。

相手は世界的なクライマーですから登山能力では月とスッポン以上の差があります。そのことはお互い分かっているので、、

彼から山行きに誘われたことはありませんし、タカ長も一緒に山に行こうというようなことは冗談にも言っていません。

しかし、彼が自ら「文化人もどき」と言っていた活動には少しは協力していました。

亡くなる前、、、県北にある、、、、ある先生の山荘でピアノ演奏会を企画されたとき、彼から手伝いを頼まれました。

快諾して、、、当日早めにその山荘に行ったら「本当に来てくれたの、、、」というような感じで、、、

人懐っこい笑顔で迎えてくれました。あの笑顔はいまもって忘れることが出来ません。      

そのようなことがあった10年前、、、その10年はあっという間に過ぎています。

と言ことは、これから先の10年もあっという間に過ぎて行きます。

考えてみれば10年という時間はあっという間ですから、、、

自分の体と相談しながら慎重に山歩きを継続すれば、、、、90歳まで山歩きを継続することは夢ではなくて現実問題だと思えるのです。

もとより、明日が分からないのが私たちの人生、、、そのことを思い悩んでも何にもなりませんから、、、

能天気なタカ長としては、とりあえず90歳まで山歩きを継続するつもりで日々の山歩きを楽しむつもりです。