武田じゅうめい 愛と誠と正義

色即是空とは、すべての存在は虚無であると知る。
旗印は日本愛、 日本人には日の丸が足りない

バージニア工科大学の惨劇

2007年04月19日 | 人生の意味
自ら克ち取る生き方を放棄してしまったとき、アメリカ社会において生きていくことはできない。 
アメリカン・ドリームとは、貧しさから這い上がり、鍛錬の中から頭角を現し、そして運命の前髪をひっつかまえて、のし上がっていくものだという口上は、このバージニア工科大学大量虐殺事件には当てはまらないだろう。
ただ、言える事は、人間の心の闇が狂気の形を持って現れてくるとき、こういう惨劇は起こりうるものだ。
米国の大学史上最も残酷な銃乱射惨劇を起こした犯人は、すでに2005年初めに大学の注意対象になっていたという。
大学構内の寄宿舎に居住していた犯人は女性たちのストーカーから寄宿舎の放火に至るまで行なっていたことが明らかになりつつある。
また、最近、爆破するぞという脅しが続いていたことについても、犯人が関わっていたと見られる。
授業中の態度は、机の下に携帯電話をしのばせ女性の下半身を撮っていたり、惨劇を思わせるスクリプトも犯人によって書かれていたという。 
担当教授は大学警護に犯人の文章を見せたが、警護室は、脅迫の言葉がないとして介入しなかったそうだ。 その代わり、犯人はクラスから締め出されたが、担当教授の個人指導を受けていた。 授業の際、黒ぶちのメガネをかけ、顔が見えないくらい深々と帽子をかぶっていたそうな。
犯人は1984年にソウルの貧しい家庭に生まれ、安アパートに住んでいたという、
貧しさから逃れるために、8歳の時、両親とアメリカに渡ったとされるが、アメリカはバブルを経た、成熟社会であったから、カネも無く、言葉も分からず、ナイナイずくしで、どのような生活をアメリカで送らなければならなかったか、想像に余りある。
可哀想なのは、キャンパスでの授業中に突然、恐怖の中で殺されていった教師と学生達である。
アメリカの銃社会が、今のようにあり続ける限りは、このような血の惨劇は何度でも繰り返されるだろう。
(ムラマサ、シンとして鳴かず)
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