★橋下徹。
この人、どういう人なんだろう。
君が代斉唱を公立職員に義務付け、日本人の愛国心を呼び覚まし、サイレント・マジョリティーを味方に付けたかと思えば、それまでの脱原発発言から手の平を返したように、「原発再稼動を容認する」と変節したのは、まことに不可解だ。
しかも橋下徹は、原発政策については何の権限もない一市長にしか過ぎず、そういう意味においては口先番長を貫き通し、「再稼動は認めない」と空念仏のように唱えていれば良かったのだ。
ところが再稼動を容認した理由というのが「停電怖い」とは、一見、もっともらしく聞こえるのだが、喉に引っかかった小骨のように何か違和感を覚える。
そもそも、電気が足りようが足りまいが、企業が海外へ行こうが倒産しようが、原発の再稼動は絶対に許されぬ、というのが拠って立つ錦の御旗だが、しかしながら本当に電気は足りないのか。電力専門家の見解によれば、原発を稼動させなくても、火力、水力その他の発電システムで充分に電気は賄えるという。しかし原発ムラはそういう見解を否定するが、火力、水力は公の施設であるから、受給計算と歩留まり計算は電卓さえあれば、容易に算出できる。
さて、発信力のある橋下徹が再稼動容認を公言したことで、野田佳彦がその楔(くさび)を解き放ち、原発再稼動の演説をぶったモチベーションになったとしたら、橋下徹は日本滅亡の片棒を担いだということになる。
実は、橋下徹のブレーンである飯田哲也も古賀茂明も橋下の「再稼動容認」は寝耳に水の出来事であったという。そして一方で気になるのは、2週間の橋下徹ツイートの空白だ。その空白の時間に何があったのか。
さて、少なからず精気を失ったように見えた橋下は記者会見の場で、問わず語りに次のように述べた、「原発再稼動で民主党政権を打倒するなんて言ったのは申し訳なかった」。
果たして、誰に対する謝罪声明であったのか。
裏で取引された手打ちの儀式であったと見えたのは、私一人だけだったのか。
口は立つが実行しない政治には、うんざり。
口では綺麗ごとを言う詭弁と虚偽の政治はもうドブにでも捨ててくれ。
徹よ、背中(せな)の唐獅子牡丹が泣いている。
(ムラマサ、鋭く斬る)