前回の485系に続き、KOUさんのブログに刺激されて今回は583系の思い出ばなしでもしてみようかと。
わたしの583系とのなれそめは昭和40年代初めにさかのぼります。
以前から折に触れて紹介している機関士の親類が、当時幼少だった私を連れて盛岡機関区や車両工場の裏を散歩していていた折「あれが新幹線の電車だよ」と教えてくれた電車がありました。
何のことはない、そこには583系の中間車だけがぽつんとあったのですが当時の0系に似たカラーリングに「シンカンセン臭さ」を感じて感動していた当時のわたしがそこに居たりします(笑)
ですから、わたしにとっての583系の原点は「1両だけ居た中間車」だった訳で今思うとただ事ではありません。
その親類はその少し後にバルサとペーパーで16番スケールのクハネを1両だけ作った事がありましたが、やはり当時の国鉄マンの目から見ても583系というのは特別な存在だったのでしょう。
実際に583系に乗ったのはそれから数年後、確か昼間特急の「はつかり」かなにかで仙台まで往復した時です。
あの頃は寝台に乗る機会自体なかったので583系と言えども「普通の電車」のノリで乗っていたのですが、その時驚かされたのが「ガラス窓が二重になっていて二枚の窓ガラスの間をブラインドがするすると降りてくる」ギミックでした。電車と言うよりまるで飛行機みたいなこの仕掛けの感動は後に乗った200系新幹線よりもインパクトがあったと思います(笑)
確かに普通車だと「座席が回らない」「背もたれが倒れない」といった短所はありましたが、あの頃の故郷の普通列車は軒並みオハ47とかキハ52ばっかりでしたから、それに比べればまだ快適だったと思います。
それに当時は夜行の「ゆうづる」ですら「583系の座席寝台列車」なんてのがあり、ある意味では「何のための寝台電車かわからない」ものだった筈ですが当時の乗客はあまり気にせず利用していた様ですし(たまにこっそり寝台を引っ張り出す剛の者も居たらしいですがw)
後の485系の系譜に繋がるいわゆる「電気釜フェイス」も速そうには見えなかったものの、独特のスペシャル感を感じさせ、当時のわたしには583系のステイタスは485系以上のものがあったのは間違いありません。
そんな訳で新幹線が開業するまで583系は大スター級の電車だったのです。
それから時が流れ、新幹線開業も10年目くらいになった折の事です。
その頃の私も既に社会人で、現住地から故郷まで帰省するときは当然の様に200系の新幹線ばかり使っていました。
ある時、仙台辺りでふと車窓から高架下を眺めると「切妻電車と化した583系」がずらりと並んでいるのを見てびっくり仰天。
格好は583系の中間車のそれなのに、窓は二段化された上に通勤電車臭いカラーリング。
趣味の中断期だったにもかかわらず「これがあの『はつかり』の成れの果てなのか」と妙に哀しい気持ちになったのを記憶しています。
(尤も、この電車が運用された一ノ関辺りの客にとっては「オハ47や50系の客車列車が電車化した」訳ですからグレードアップ感はあったかもしれませんが)
本当にこの583系と言う電車はその出会いから絶頂期、更にはその末路に至るまで、常にわたしの関心の的で居続けた電車だったと思います。
だからこそNゲージでも学研や香港TOMIX、現行HG仕様まで583系を揃える羽目になっている訳で(汗)
こんな事を書いていたら久しぶりに583系を走らせたくなってきました。
わたしの583系とのなれそめは昭和40年代初めにさかのぼります。
以前から折に触れて紹介している機関士の親類が、当時幼少だった私を連れて盛岡機関区や車両工場の裏を散歩していていた折「あれが新幹線の電車だよ」と教えてくれた電車がありました。
何のことはない、そこには583系の中間車だけがぽつんとあったのですが当時の0系に似たカラーリングに「シンカンセン臭さ」を感じて感動していた当時のわたしがそこに居たりします(笑)
ですから、わたしにとっての583系の原点は「1両だけ居た中間車」だった訳で今思うとただ事ではありません。
その親類はその少し後にバルサとペーパーで16番スケールのクハネを1両だけ作った事がありましたが、やはり当時の国鉄マンの目から見ても583系というのは特別な存在だったのでしょう。
実際に583系に乗ったのはそれから数年後、確か昼間特急の「はつかり」かなにかで仙台まで往復した時です。
あの頃は寝台に乗る機会自体なかったので583系と言えども「普通の電車」のノリで乗っていたのですが、その時驚かされたのが「ガラス窓が二重になっていて二枚の窓ガラスの間をブラインドがするすると降りてくる」ギミックでした。電車と言うよりまるで飛行機みたいなこの仕掛けの感動は後に乗った200系新幹線よりもインパクトがあったと思います(笑)
確かに普通車だと「座席が回らない」「背もたれが倒れない」といった短所はありましたが、あの頃の故郷の普通列車は軒並みオハ47とかキハ52ばっかりでしたから、それに比べればまだ快適だったと思います。
それに当時は夜行の「ゆうづる」ですら「583系の座席寝台列車」なんてのがあり、ある意味では「何のための寝台電車かわからない」ものだった筈ですが当時の乗客はあまり気にせず利用していた様ですし(たまにこっそり寝台を引っ張り出す剛の者も居たらしいですがw)
後の485系の系譜に繋がるいわゆる「電気釜フェイス」も速そうには見えなかったものの、独特のスペシャル感を感じさせ、当時のわたしには583系のステイタスは485系以上のものがあったのは間違いありません。
そんな訳で新幹線が開業するまで583系は大スター級の電車だったのです。
それから時が流れ、新幹線開業も10年目くらいになった折の事です。
その頃の私も既に社会人で、現住地から故郷まで帰省するときは当然の様に200系の新幹線ばかり使っていました。
ある時、仙台辺りでふと車窓から高架下を眺めると「切妻電車と化した583系」がずらりと並んでいるのを見てびっくり仰天。
格好は583系の中間車のそれなのに、窓は二段化された上に通勤電車臭いカラーリング。
趣味の中断期だったにもかかわらず「これがあの『はつかり』の成れの果てなのか」と妙に哀しい気持ちになったのを記憶しています。
(尤も、この電車が運用された一ノ関辺りの客にとっては「オハ47や50系の客車列車が電車化した」訳ですからグレードアップ感はあったかもしれませんが)
本当にこの583系と言う電車はその出会いから絶頂期、更にはその末路に至るまで、常にわたしの関心の的で居続けた電車だったと思います。
だからこそNゲージでも学研や香港TOMIX、現行HG仕様まで583系を揃える羽目になっている訳で(汗)
こんな事を書いていたら久しぶりに583系を走らせたくなってきました。