花・昆虫との田舎暮らし暦

田舎暮らしも13年目、木々・草花・鳥・昆虫等々、自然は初めて知ることが多く楽しい。色々な経験を紹介していきたい

秋を告げる花 曼珠沙華 大津谷の彼岸花

2017年09月21日 | 景色

 

 

残暑の陽光が少しづつ弱くなって来た。やっと夏が終わる。春の到来を告げる花は間違く桜だろう。では秋は?と考えると私にはこの花曼珠沙華が浮かぶ。我が地では毎年彼岸に合わせるように咲く。写真2枚は5日程前に散歩道で写した彼岸花である。蕾の状態が楽しい花はモクレン・朴木など木の花では幾つかあるが草花ではこの花は面白い。生命力が高い花でもある。左の写真は砂利道で顔を出しいている。

   

今朝の散歩道の写真である。左側は日陰のためかまだツボミも多い。右側は花が毎年増えて今年はこんな状態になっていた。

      

花の色は真っ赤なものから下のように薄いピンク色のもの、そして右側のように真っ白いものもある

      

最後にこれは近くの大津谷の景色である。何本の花があるのだろうか。一面の彼岸花に圧倒される。

           

大津谷の彼岸花は池田町から依頼されて大津谷を管理している人が2年かけて植えたものである。晩秋から冬にかけて一本一本植えられたようだ。頭が下がる。

    

                

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色変わり 猩々草(ショウジョソウ)ゲンノショウコピンク色、蒲の穂

2017年09月12日 | 出来事

 

暦で上で立秋を過ぎると”残暑”と呼ぶようだが岐阜に住む私には9月に入っても暑い時に”残暑”を思う。でも今年は9月に入ると同時に朝晩の気候が一変した感じがする。ある友が”身体が喜んでいる”とメールで書いて寄こしたがいい得て妙である。

最初の写真はその秋を感じさせてくれる朝の空である。遠く右に見える2つのビルが岐阜市駅前そして2つの山の右側が岐阜城のある稲葉山である。右写真は池で育つ蒲の穂である。真夏から秋の初めにかけて故郷の吉野川べりの湿地帯(池)に沢山生えていた光景が浮かぶ。

   

こちらは先日、紹介したゲンノショウコであるが右のようなピンク色の花も咲き始めた。今年はゲンノショウコの花が多く咲いた。可憐な花が畑か草原かわからないような庭のあちこちで見られる。生い茂った木々・草の中に愛らしい顔を見せる。

  

そして最後は猩々草(ショウジョソウ)である。先ず左写真のように真ん中に白い部分を持つ葉群が段々と大きくなると右写真のように変わる。この後、花が咲くのだが葉の色に押され、あまり目立たない。

   

色が変わる代表的な花はアジサイだろうか。そして月見草・酔芙蓉なども変化する。葉色が変わると言えば半夏生だろう。変わると言えば、若かりし頃は”顔色が変わる”ことに戦々恐々とし、”心変わり”に苦しんだものだが・・・、今は葉色の変化だけでも楽しめる。年を取るのも悪いことではないか。

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高砂百合 ススキの穂

2017年09月07日 | 出来事

 ”友あり 遠方より来たる また楽しからずや”

2泊3日で中学生時代の同級生が来てくれた。卒業してから一度会ったことはあるが、40年ぶりぐらいの再会である。同じバレーボール部に所属していた時期もあった。覚えていたのはこれぐらいで話しているうちに次々と”そんなこともあったな”と思い出が蘇る。

1.同級生3人に彼の高校時代の友達を含め、これも彼らの友達の家のある祖谷(いや)に遊びに行ったことがある。高校2年の時である。当時はまだ”祖谷のかずら橋”は全国的に知られてなく、無料であった。粋がって下駄で渡った思いがある。彼の持って来た写真に仲間5人に加え女性が一人そしてもう一人、もう少し幼い顔をした男の子が写っている。彼女はお世話になった祖谷の住人のお姉さんであることは思い出したがもう一人の男の子は私の近所の子だったと思うが彼がなぜ、そこにいたかは思い出せなかった。

2.初めての飲酒、これも同じころであったことを思い出す。祖谷に行った一人は小学校も同じだった友だ。ある日の夜、彼の両親がいないときに彼の家に祖谷に行った仲間が集まった。この時、コーラでウイスキーを割って飲んだのを思い出させてくれた。高校生が酒を、であるが悪さはまだある。その時に彼の家に飼っていた鶏3羽を絞め、すき焼きにして食べたことも思い出した。鶏は動物に捕られたことで終わったらしい。

3.当然、女の子との話にもなる。多くの女性の名前が出てきたが殆ど、覚えていない。フルネームで覚えていたのは3人しかいなかった。甘酸っぱさにほろ苦さが混じる思い出である。

 中学時代の女性と言えば、歩く姿にも例えられる清純な感じのユリの花だろうか。我が家でも今年最後のユリ”高砂百合”が咲いた。今年は一段と多い。球根ではなく種で増えるのではないかと思う。

   

9月に入り、一気に涼しくなった。このまま秋になって欲しいものである。家の角に左側のようなススキの穂が出ている。名前はわからないが何とも美しい穂である。収穫できる夏野菜もだんだん少なくなる。寒さを感じることなく秋を楽しめるのは10月末ぐらいまでだろうか。さあ、寒い冬に備え”アリとキリギリス”の寓話ではないがせっせと薪の準備しよう、っと。

   



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