花・昆虫との田舎暮らし暦

田舎暮らしも13年目、木々・草花・鳥・昆虫等々、自然は初めて知ることが多く楽しい。色々な経験を紹介していきたい

形あるものは壊れる ビニールハウス、チェンソー 冬の楽しみシモバシラに出来た霜柱

2017年12月24日 | 田舎生活

当地に移り住んで9回目の冬を迎えた。当初に作った塀、小屋・薪置き場の屋根などがボチボチと傷んできた。”形あるものは壊れる”と言うが近年、実感している。先ずはチェーンソーである。最初は電気式の物を使用していた。が、馬力が足らず3年目にエンジン式に変えた。今年で7年目だが遂に壊れた。修理依頼をしたが見積もりが高額だったので新規に購入した。写真2枚がそれである。リョービ社の製品である。6年間殆ど故障なし。良く働いてくれたと感謝し、後継機種にした。また、頑張ってな。 

   

3年前に材料をもらってきて建てたビニールハウスを建てた。幅4m長さ10mある。今年の秋、2度の台風来襲でビニールがズタズタに破れた。自分で直すつもりで色々なところに当たったが諸事情で今回は業者にビニールの製作・工事を依頼した。ビニールハウスのビニールの寿命は長いものでも5年ぐらいのようだ。私は一度作れば、まあこの歳だから死ぬまで大丈夫だろうとガチガチに作ったのだが・・・やっぱり”形あるものは壊れる”のだ。

   

先週、5cmぐらいだが積雪があった。雪が積もると”冬の到来”を実感する。雪景色は見ていて気持ちが良い。”心が洗われる”と言うが”それはない”。

しっかり霜が降りる寒い日の朝に起こる現象でもう一つ楽しみがある。シモバシラと言う植物の茎に出来るシモバシラである。

   

シモバシラの花が初秋に咲いた後、それを放置しておくと霜が降りる朝に、こんな光景が拝める。シモバシラの茎には小さな穴が沢山あるようで、根っこから吸い上げた水分がその穴から出るときに出来るようだ。今年初めてのプレゼントである。

 昔、テレビで樹木希林さんが網膜剥離(?)を患ったときに言っていた言葉を思い出す。”人の体も年を取るとだんだん壊れてくる。それを友として上手に付き合っていくしかない”。私も色々なものが壊れてきている。下から行くと膝の関節症、逆流性食道炎更には気管支拡張・喘息、極めつけは頭内の髄膜腫である。多くの友がここ数年で出来た。

 

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朝陽と雪 狂い咲き 帰り花 男と女では?

2017年12月16日 | 出来事

 日中時間の短いピークは当時より少し早く12月初めごろの10日間ぐらいのようだ。我が地での日の出は6時半を過ぎる。同期するように目覚めも遅くなる。真夏であれば6時前後に目覚めるが今は6時半前後である。が、日の出が早い時期に比べ1時間以上遅いのに比して目覚めは30分のズレ、今の時期は日の出を拝める。写真左は日の出5分前の風景である。南東の空がだんだん朱く染まり始める。左側に見える扇風機は春先の遅霜でお茶の葉が痛むのを防ぐ防霜扇である。写真右はその朝陽に映える雪山である。右側に渋柿が残る。木守柿には多過ぎる。今は鳥の貴重な餌になっている。

   

そんな12月の中旬でも季節外れの花・実を見かける。写真左は木苺そして右の花はユキヤナギである。この地へ引越前までは花の”狂い咲き”は桜でしか知らなかった。が、色々な花が季節を無視して咲く。梨・プラム・忍冬そしてユキヤナギ等々・・・。が、今回のイチゴのように実りに至るのは珍しい。

   

”狂い咲き”は本来は初冬の小春日和の頃に季節外れに花が咲くことを言うようで俳句では冬の季語として使われる。”返り花”、”帰り花”とも言うようだ。この言葉が風流と感じるのは私だけではないだろう。

死語に近いのだろうか。私の若いころに人に対して”狂い咲き”と揶揄する言葉を時々聞いた。辞書で調べてみるともう一つの意味で”盛りを過ぎたものが、ある一時期、勢いを盛りかえすこと”とある。齢を重ねた男あるいは女がもう一花咲かせるときに多く聞いた気がする。もう死後、なぜ? 考えてみると、近年男も女も年齢のを感じさせないほどに若い。年齢を離れた男女が付き合う、俗な言葉のひっつくことがあっても今では全く違和感を感じなく、”それもいいんじゃないの”と称賛さえしたくなる。羨ましい?いや私は年齢以上に身体は歳をとっている、ちょっぴりだけだ。

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似ている山茶花と椿の花 春を待つか椿の蕾 待ち人、何分待てる?

2017年12月10日 | 出来事

雪の便りが届き始めた。嬉しくもあるが恐れもある。雪景色の美しさは何事にも代えがたい。水墨画によく形容されるがすべての物が白いキャンバスに浮かぶように見える。寒くないならその変化を長時間、楽しめる。一方、寒さに弱い私には冬はキツイ。耐え忍ぶか・・・温泉でゆらりゆらりか。

冬の代表的な花山茶花が盛りである(写真左)。2本あるがどちらも八重の花弁である。似たような花が近くに咲いていた。こちらは椿である。こちらも八重である。よく見ると微妙に違う雰囲気を漂わす。

   

ツバキは早いものでは秋口から咲き始める。木編に春と書くのだから春の花だろうと考える。が、早い種では9月終わりごろから咲き始めるようだ。下の写真は膨らみつつある椿の蕾である。寒い時に咲く花弁は傷みやすい。ゆっくりで良い、まだ寒い、暖かい春の来るのを待とうと言いたくなる。

   

”待つ”と言うことでは今も覚えている出来事がある。大阪に住んでいた20歳の頃に女性と戎橋で待ち合わせた。何時に待ち合わせたかは覚えていないが15分ほど過ぎた。携帯電話のない時代、何かあったかと考えながら帰った。その夜、電話が来た。50分後ぐらいに来られたようだ。そして曰く”女性を1時間ぐらい待てへんの?”。今なら携帯電話が通じなくとももう少し待てそうな気がする。30分ぐらいかなー。また言われるかなー、”1時間くらい待てる広い心を持とう!”。ハイ、1時間を目途にします。あなたは何分待てますか?

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ムベとフェイジョアの花から果実まで ”むべなるかな”の語源となった果実

2017年12月06日 | 田舎生活

ムベを知って初めて食してから5年になる。家の周りに設置した動物(シカ・イノシシ)除けの柵を無限に伸びるのではないかと心配するぐらいにどこまでもゆく。蔓性の植物は至る所から伸びる蔓との戦いと言っても過言ではない。生来のめんどくさがりで放置したら手に負えない状態になり一昨年にかなり切り込んだ。それから2年目、良い具合の蔓になったか今年は多くの実を付けた。今回はこのムベと南米地区原産と聞くフェイジョアを花から果実そして味を紹介する。左列がムベである。 

       

ムベの花である。釣り鐘型とでも言おうか細長い花である。写真は白っぽい花弁だが、もう一本の花は少しピンクがかった色である。雄花と雌花があるようだがまだ、私では判別できない。非常に多くの花を付けるがごく一部が実を付ける。写真右はフェイジョアの花である。尖ったような美しさとも言おうか、南の国原産らしい花とも言える。今年の初め、雪で幹が2つに割れたが骨折医(私の事)の添え木を用いての手当で生き延びてくれ、こちらも多くの花が咲いた。春先4月の話である。

       

11月中旬ごろから熟し始めた。ムベの実はアケビを丸くした感じである。アケビは熟すると縦に割れるがムベは割れることはなく、青い実がピンク色のなりだんだん赤みが増す。写真の実も食べごろだが実り過ぎで食べるのが追いつかない。鳥類そしてイタチなどが喜んでくれるだろう。右はフェイジョアの実である。こちらは下部からだんだん色づいてくるがこちらはこれぐらいが色づきの限度でこれぐらいになると自然に落下する。落ちてもまだ少し硬く、収穫して2,3日寝かせる。

   

収穫した実である。ムベは少し収穫が遅かったか皮が黒ずんでいるがこれぐらいが完熟で美味い。フェイジョアは毎日の見回りで落ちたものを集めた。

   

食べ方は2つに切ってスプーンで食べると言うのが良い。

   

どちらも少し食べたところで映している。表現が難しいがムベはトロッとした甘みがある。種が多いのには閉口する。口の中でもぐもぐしながら種の周りの果肉をはぎ取るようにして食べる。果肉がなくなると種を出すのだが”ペッ!”である。女性には出来かねる芸当だろう、色っぽく映るのは難しいだろう。お勧めは出来ない。その点、フェイジョアは食べ易い。こちらも味の表現は難しいがほんのりとした甘みで食後のデザートならこちらが合う。種があるが殆ど気にならず私は食べてしまう。子供だった頃に食べたなら”フェイジョアの木が口から生えたらどうしよう”と心配しただろう。そんな純な頃もあったなーと郷愁に浸りながら秋の味覚を味わっている。今日は初雪が降り、朝はうっすらと雪化粧だった。間もなく冬眠したくなる季節になる。

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