花・昆虫との田舎暮らし暦

田舎暮らしも13年目、木々・草花・鳥・昆虫等々、自然は初めて知ることが多く楽しい。色々な経験を紹介していきたい

パイナップルセージ 霜柱の花

2013年10月31日 | 果実・花

      

 めっきり寒くなった。日の入りも早くなり一昨日の名古屋で17時01分。今日はもう16時台に入っているのだろう。日毎、寒くなるこの季節は咲く花も少ない。そんな中、以前から咲いていたと思うが新しい花を2つ見つけた▼写真1、2はセージの仲間、パイナップルセージである。10月19日に長く咲いている花としてチェリーセージを紹介したがその傍で咲いている。何故、パイナップルセージと思ったら葉の匂いがパイナップルに似ているようだ。どれどれと嗅いでみたが鼻の悪い私にはよくわからなかった▼写真3、4は霜柱の花である。今年まであまり花を意識しなかった。花の後、切り株を残しておくと、霜が降りた朝に茎の水分が霜柱状態になる。花の名の語源になっている現象だがこれを見るのは楽しい。また、その状態が見られたら紹介したい▼燗酒が恋しい時期になって来た。年をとると日本酒が美味しくなると言っていた親父の言葉を思い出す。確かにここ3年余り、暖かい時は冷酒で冬は燗酒が多い。でも考えてみると、親父は若い時から日本酒を飲んでいたように思うが・・・親父の命日、12月19日が近くなった。

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スダチとシークワーサーの実 焼酎割り

2013年10月30日 | 果実・花

      

近年、歳をとった兆候として感覚で感じるのは何と言っても物覚えが悪くなったことだろうか。カラオケの曲でも若い時に覚えた歌は忘れないが50歳を過ぎて覚えた曲で今は歌えない曲がたくさんある。味覚も同じことが言えるのだろうか、イヤ味覚はちょと違うか。子供の時に覚えた味は忘れない、と言うやつだ▼先日のブログでスダチは焼き魚、お漬物などにかけると美味しいことを紹介した。大人になり、と言うよりここ10年ぐらいの話と思うが焼酎割りも美味しいことを知った。それにもう一種、強敵が現れた。シークワーサーである▼写真1、2はまだ青い実がなるシークワーサーである。この地に植えて5年ぐらいになるだろうか、毎年たくさん実る。写真3はスダチと比べたものである。シークワーサーは黄色く熟れると甘みが強くなる。今年は青いうちにと焼酎割りを試してみた。う~ん、どちらも捨てがたい味だがこの時の比較ではシークワーサーの方が美味しく感じた。まだ熟れる前が味を良くしたのかも知れない▼シークワーサーの産地は勿論、沖縄県。スダチは徳島県そしてカボスは大分県が多い。もう一つ、ユズがある。ユズは私は高知県だと思っていた。が、京都府も多いようだ。”桃栗3年、柿8年”と言う実るまでの年数はよく知られている。この後に”・・・柚子の大バカ18年”と続くのは余り知られていないようだ。

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大樹寺多宝塔 松平家菩提寺大樹寺 廟所

2013年10月29日 | 旅行

    

先日に記した岡崎城の続きである。その時に書き忘れたが岡崎城に”家康館”なるものがあった。家康及びその家臣に関する資料などが展示されていた。その中で”決戦!関ヶ原”なる朝から島津の中央突破までの説明付きシミュレーション盤があった。これが実に良く出来ていて慶長5年(1600年)9月15日の関ヶ原合戦の様子を頷きながら見ることが出来た▼さて松平家の菩提寺大樹寺の話に戻る。写真1は国の重要文化財に指定されている多宝塔である。1535年の建立である。多宝塔は檀家のお墓が並ぶ端にある。これを左後ろに置きながら進むと松平家の廟所に行き当たる。写真2は廟所に入って左端から写したものである。一番奥が初代の墓で一番手前(左端)に徳川家康の墓があるがこれは後に建てられたものと思われる。写真6の左端が8代広忠(家康の父)のものである。墓の形が時代により変わって来ているのがよくわかる▼ところで、この大樹寺は家康が桶狭間の戦いに今川義元方として参加して逃げ帰ったところである。そして、先祖の墓前で自害しようとしたが、住職の登誉上人に”厭離穢土欣求浄土”(おんりえど ごんぐじょうど)と諭されて思い留まった寺としても知られている。”厭離穢土欣求浄土”は浄土教の用語のようだがその後、家康の馬印として用いられている。

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自由に伸びたお茶の木の花 茶畑の景色

2013年10月28日 | 果実・花

      

毎年のことだと思うが今年は特に多量の雨による被害が多い気がする。その中でも奄美大島の土砂崩れは”あり得ない”の感じさえする。あんなところが崩れたら逃げようがない。お悔やみ申し上げます。幸いにも岐阜県は今週の台風による風水害はなかったようだ▼雨上がりの中、お茶の緑が一段と綺麗に見える。写真1、2は路端で刈り込みもされずに伸びたお茶の木の花である。栽培されているお茶は栄養素が取られないよう花は少ないほうがいいようだ。が、この木はたくさんの花が咲いている。花の大きさは直径で通常、よく見る椿の半分ぐらいだろうか▼写真3、4は大津谷の南側に広がる茶畑である。これらはもう最期の刈り込みを終わり春を待つのみのようだ。霜防扇がたくさん見えるがこれは新芽が出始める春先に活用され晩秋とかは回らない。これから雪の季節、雪景色の美しさも楽しみである▼一昨日は元の会社の飲み会が夕方からサウナであり行って来た。毎月1度の開催で先月から加えてもらっている。会社の昔を偲び、今を憂う話題が多いがやはり健康関連になると賑わしい。何の会?さあ・・・・・まあ、飲んで今の健康を確かめ合えば良しの集まりのような気がする。

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岡崎城 大樹寺 ビスタライン

2013年10月27日 | 旅行

      

近くに行くことがあり、ついでと言っては何だが岡崎市まで足を伸ばした。先日、BS放送のテレビ番組”城下町へ行こう”で紹介されていたのが刺激にもなって岡崎城、大樹寺を訪れた▼写真1、2は昭和34年(1959年)に再建された岡崎城天守閣である。写真を元に忠実に再現されているようだ。岡崎城は徳川家康の出生の城として知られている、祖父である7代松平清康が現在の形に広げたようだ。家康は8代松平広忠の子として1542年に生まれている▼1549年、松平広忠死去で城主となり1570年に浜松城に移るまで続く。が、家康自身は城主になる前も含め、2年余り織田信長、12年程今川義元へ人質として預けられている。義元が死ぬ”桶狭間の戦い”は今川方として参戦している▼ここから数キロのところに松平家の菩提寺大樹寺がある。写真3、4は大樹寺の山門とその外周にある外門(?)である。写真4の門の向こうに岡崎城が見える。菩提寺から岡崎城を見守るように建造されたもので今も”ビスタライン”と称し眺望を遮るものの建物は禁止されている▼ところで家康の祖父清康、父広忠とも家臣の謀反で亡くなっている。徳川家康で始まる徳川幕府、16神将と言われるまでに結束が強くなった武将を持つまでになったのは家康の力か?考えるだけで歴史は面白く、楽しい。

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