花・昆虫との田舎暮らし暦

田舎暮らしも13年目、木々・草花・鳥・昆虫等々、自然は初めて知ることが多く楽しい。色々な経験を紹介していきたい

カラオケ機器の変遷 曲数の増加 一番好きな歌詞 ピンク・黒のネコヤナギ トサミズキ

2016年03月16日 | 日記

昔と言う程、遠いことではないがそう表現することが正しいような劇的な変化である。カラオケは選曲本を見て、好きな曲を選んでいた。電子目次本に変わり始めてまだ15年もならないのだが遠い昔の気にする。

その前の技術革新である通信カラオケが発売されたのは1991年だったと記憶する。それまでは直径30cmのビデオディスク(VD)に24~30曲前後の曲が収納されているものを使用していた。24曲のためカラオケ店ではVDを200枚近く保有、大変なコスト・スペースである。それでも曲数は5000曲前後ある。曲数が飛躍的に増え始めたのは通信カラオケになってからである。各社間でカラオケ機器で歌える曲数を競い合ったのもこの頃である。

歌が印象に残る・好きになるは色々ある。歌っている歌手が好き・曲が好き・全部好きなどなど・・・。私の場合、曲は言わずもがなだが歌詞あるいは一部のフレーズが好きになることも多い。全体を通し最も好きなのは”♫よこはま たそがれ ホテルの小部屋 くちづけ 残り香 煙草の煙 ブルース 口づけ 女のなみだ あの人は行って行ってしまった あの人は行って行ってしまった もう帰らない”。よこはま・たそがれ、五木ひろし氏の歌である。切れ切れの言葉を並べる積もりだったかどうかはわからないが、歌詞の一語ごとに情景が次々と浮かぶ。。山口洋子さんの詩である(作曲者 平尾昌晃氏)。残念ながら2014年に亡くなられた。直木賞作家でもある。

ピンクのネコヤナギが開き切ろうとしている。そんな傍らで珍しい黒のネコヤナギが出始めた。また、北東の角ではトサミズキ(土佐水木)が満開に近い。

        

      

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入院 前立腺がん PSA検査とは 小線源療法 雪割草

2016年03月11日 | 日記

”別荘で暮らす”と似ているようなものと思い込ませながら3泊4日の病院の旅に行って来た。早く言えば入院である。個室の予約ではなかったが病院の都合で1人部屋での4日間になった。が、隔離状態の部屋で外から鍵で勝手には出られない。別荘ならぬ務所暮らしとなった。

入院すれば1人で静かに物思いに耽る・本を読む、で過ごせる。色々なことを考えられる良い機会と思いながら月曜日の午前中に病院に入った。手術と言うほどのものでもないが施術は明日の午後、今日は少々の検査だけ。持ってきた、今年前半の直木賞作品青山文平氏の”つまをめとらば”とアインシュタイン式論理脳ドリルを楽しむ。病名は前立腺がん、治療は小線源療法である。

PSA、検査と呼ぶ前立腺がんの予備的な血液検査がある。基準値は4以下、この数値が大きくなるほど癌の可能性が増える。私は4を超えてから5年目の昨年、数値10を超えたため2回めの生体検査を受けた。想定外ではない”クロ”の判定となった。PSA検査は癌の可能性を見つける検査と言える。この検査で数値が大きければ次に癌かどうかを判定する検査として生体検査がある。前立腺中の皮膚を10ヶ所程度採取し、がん細胞があるかどうかを診る。私の場合は10ヶ所中1ヶ所だが、がん細胞が見つかった。

がん治療は色々あるが一般的なものではホルモン注射、外部からの放射線照射、前立腺の削除そして近年では小線源療法の4つがある。また、これらを組み合わせて行うこともある。私は先生の勧めもありホルモン注射+小線源療法+放射線外部照射を選んだ。因みに80歳以上の方ではホルモン注射のみで癌を前立腺内に閉じ込める方法をとることが多いようである。小線源療法は放射線を出す物質を前立腺に埋め込み中から治すと言う方法である。これは、小さい管(直径1mm以下、長さ5mm以下)にヨウ素125が入っているものを数十個埋め込む、私の場合は51個を入れた。

前立腺がんは近年、検査する人が増えたからだと思うが2015年にガン発生の部位でトップになったようだ。癌の初期症状は何もないのは御存知の通りである。早期発見・早期治療が確実に出来る病気で、治療後の生存率がとても高い。先ずはPSA検査を!お勧めする。血液検査なので人間ドッグでもオプション検査で直ぐに追加出来る。費用的にも2,000円程度だったと思う。前立腺がんになっても他の部位に転移していない状態なら抑え込むことが可能のようだ。繰り返すが是非PSA検査を!

使い古された感があるが”春は駆け足でやって来る”である。たった4日間の入院だったが梅の花は盛りを過ぎ、ヒガンザクラと思える桜がチラホラと咲き始めている。我が家でも庭が色鮮やかになってきた。写真上段は花の盛りを迎えたクリスマスローズ(正式名レンテンローズ)である。木の根本で囲むように咲いている。下段は雪割草である。小さい可憐な花で毎年、咲くのを待ちわびる。

今日は旧暦2月3日、明日は立春である。本当の春になる。がん治療も重要ポイントを過ぎた。明日からの春を”心身一新”で迎えたい。

    

    

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生老病死 四苦八苦 鷲田清一 森於菟 耄碌

2016年03月07日 | 日記

この歳になると自然と”死”と言うことを意識する。が、イヤなこととしてではなく人生の終盤戦をどう生きるのかの思いである。言い換えればどれだけ残っているのかわからない余生(好きではない言葉だが)に何をするのか、と言うことである。1つではないだろうあれもこれも・・・考えれば面白いものである。

仏語に”生老病死(しょうろうびょうし)”と言う言葉がある。デジタル大辞林によれば”避けることのできないこの世での人間の4種の苦悩。生まれること、老いること、病気をすること、死ぬこと。四苦。”とある。楽しいことも多い人生、生まれるも苦悩(?)と思ったものだが”苦”とは、”苦しみ”のことではなく”思うようにならない”ことを意味するようだ。楽しいことを望み、実行して生きてきた人生だが今になって振り返るとこの言葉の意味がほんの少し、分かる気になる。

辞典の最後にある”四苦(しく)”も仏語で”四苦八苦”の四苦である。八苦は”生老病死”の四苦に、

  ・愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること

  ・怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと

  ・求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと

  ・五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと   ーウィキペディアよりー

を加えたものである。こうしてあらためて考えてみると”思うようにならない”ことは多いもので特に後の四苦はどれも苦しみを伴うものばかりだ。朝日新聞の朝刊に鷲田清一氏選の”折々の言葉”と言うのが連載されている。先日は死に関し森鴎外の長男で医者の森於菟(おと)氏の言葉が紹介されていた。 

明瞭な意識の中に突如訪れる死は悲惨だ。だから“完全なる暗闇に入る前に薄明の中に身を置き”、現実の“あくどさとなまぐささ”をいったん失うことが寛容。“現実を忘れるどころか、この調子では死ですら越えて夢見そうである”という境地に入れば死は“夢のつづき”であるばかりか“望みうる唯一の生”かもしれない。

鷲田清一氏の文章では最初に”耄碌寸前  人生を模糊たる霞の中にぼかし去るには耄碌状態が一番よい”と書かれていた。死を迎える状態に至った時、心身ともこの境地に至りたいものである。

知り合いの木工家具会社から”倉庫の整理”と言うことで”薪ストーブで燃やして”と色々な木材を頂いた。燃やすには”もったいない”でボチボチと制作に取り組んだ。先ずは庭の片隅にベンチを、そして食卓テーブル上に物が散乱するのを避けるための小物入れである。下段はソファ前のテーブル横に置く本立て兼物入れ棚である。右側の写真に写るスマホ・メガネ置きは後から付け加えた。この工作中、メガネを置いて見るために製作場所に現物を持って行った。測った後、メガネを落としたのを知らず、踏んでしまった。メガネ置きを作ったのは良いが置くメガネを壊す。大きな声では言えぬオチである。

   

   

 

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齢を重ねてからの誕生日 散歩道の神社での願い事

2016年03月01日 | 日記

何時の頃からだろうか。誕生日を迎えた時の気持ちが変わって来ていることに気がついた。現役で働いていた頃は素直に喜んでいたように思うのだが、還暦を過ぎた頃からだろうかだんだん変化したと感じる。

”誕生日を祝う”、生まれた月日を記念日として祝うのだろう。が、この歳になり誕生日になると”過去1年間、何とか過ごせた”と感謝しながら続いて”今年も平穏無事”にと願いたくなる。思い返してみると現役の頃は”今年はこうなって欲しい”と次の1年のことしか考えていなかったように思う。私の誕生日は3月1日、都合が良いと思っていたのは新年を迎えた時に今年の七大目標となどと大きく構え、誕生日で見直しをすると言うことが出来た。まるで国の修正予算みたいだが。

話は変わるが60歳になった頃に名古屋でうなぎをご馳走になったお店のおばさんに”毎朝、散歩している”ことを話すと”近くに神社があるなら廻ってお参りを”と言われた。なるほどと思い散歩は先ず近くの熊野神社に詣ることからのスタートになった。その後、ある人から”何をお願いする?”と聞かれ”今日も元気にに加え、株が上がりますように・競馬に勝ちますように”と言ったら”不純!”の一言、”昨日、無事過ごせたことのお礼から”と言われ、素直な私はそうしている。誕生日の話に戻るがこちらも同じように”66歳1年無事のお礼”に加え”67歳1年のお願い事”をした。何を願ったかって?”株が戻りますように・競馬の負けが戻りますように”・・・。

例年の誕生日ならまだこの地域では梅は早咲きしか咲いていない。我が家にある3本は3月10日前後である。今年は我が家の3本に加え、隣の茶畑のおじさんが門脇の茶畑に植えてくれた梅が祝ってくれている。”この1年”と、元旦の思いの焼き直しだが願わずにはおられない。今日3月1日、朝日新聞朝刊鷲田清一氏”折々のことば”に現代俳句人坪内稔典氏の句が紹介されていた。”三月の甘納豆のうふふふふ”ーーー良い1年になりそうだ。

   

玄関先の白梅 引っ越した際に近所から頂いた。                  プラムの木の横に植えている南高梅、まだ数個しか収穫したことがない。

   

枝垂れ梅 咲くには咲くがまだ花数が少ない。                    門脇の茶畑に植えられた紅梅。

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