歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

天理市・ノムギ古墳 後方部裾で花崗岩の礫が多数出土

2010年03月16日 | Weblog
 天理市教委は15日、築造時期が3世紀後半までさかのぼる可能性もある天理市佐保庄町の前方後方墳・ノムギ古墳(全長63m)の後方部裾で、花崗岩の礫が多数見つかったと発表した。墳丘の表面に敷かれた葺石が周濠(幅約12m、最深部の深さ約50cm)に転げ落ちた痕跡である可能性が高いという。これまで、土砂流出を防ぎ、威容を示すために墳丘の表面を覆っていた葺石はないとされていた。
 後方部の南側墳丘裾で2カ所、計68㎡を発掘調査した。礫は人のこぶしから顔ぐらいの大きさで、墳丘の上部から流れ落ちてきたような状態で確認された。教委は、葺石が転落してきた可能性以外に、これほど大量の礫が墳丘裾に溜まることは考えられないと判断している。このほか、古墳時代初頭から後期にかけての土師器や須恵器の破片も多数、出土した。
[参考:毎日新聞、奈良新聞]

過去のニュース・情報
 2010.2.23 天理市佐保庄町・ノムギ古墳 発掘調査を開始
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島田市・智満寺 鎌倉時代後期作・木造慈恵大師座像が県有形文化財に指定される

2010年03月16日 | Weblog
 静岡県教育委員会は9日、島田市千葉の千葉山智満寺が所蔵している「木造慈恵大師座像」を県の有形文化財に指定したと発表した。
 慈恵大師・良源(912-985)は平安時代、比叡山延暦寺の僧として活躍し、姿を模した座像などが全国の天台宗の寺院に置かれた。
 智満寺の座像は高さ83・3cm。作者は不詳。寄せ木造りの技法や写実性などの特徴から鎌倉時代後期の作とされている。袈裟が右肩をずらして着けられている姿や両眉をつなげ表情の険しさを印象づけ、目の周りを深く彫り込んだ造りも、慈恵大師の特徴を伝えている。
 県教委によると、県内に残る鎌倉時代の肖像彫刻は希少という。
 智満寺は5月31日までの土日祝日、慈恵大師座像を納めた本堂を一般公開している。
[参考:2010.3.10静岡新聞、2010.3.16毎日新聞]

■天台宗 千葉山 智満寺
開創宝亀2年(771)、開山 廣智菩薩
治承年中、源頼朝は千葉常胤を普請奉行として遣わし諸堂を再建し、その功績から当山が千葉山と呼ばれるようになった。
[参考:千葉山 智満寺HP]


■元三大師信仰
 良源の超人的な活躍は観音菩薩の権化と捉えられています。その一方で人々を救い、仏法を助ける強烈な霊力を持った存在と映ったようです。こうした良源への信仰は、外敵を調伏する力を持つと考えられ、鎌倉時代以降たくさんの良源像(彫刻や絵画)が作らました。
 大津市歴史博物館では慈恵大師1025年御遠忌記念企画展」(平成22年2月27日(土)~4月18日(日))が開催されている。
[参考:大津市歴史博物館]

■鎌倉時代中期~後期作・慈恵大師(良源)像例
 滋賀・求法寺像、延暦寺(本覚院)像、延暦寺(黒谷青龍寺)像、滋賀・金剛輪寺像、滋賀・金剛輪寺像、京都・曼殊院像、東京・深大寺像(注1)など

(注1) 東京・深大寺・元三大師像
 昨年(2009)、9月19日早稲田大学奈良美術研究所主催国際シンポジウム『文化財の解析と保存への新しいアプローチⅥ』に出席した。その中で「深大寺秘仏元三大師像の頭部の分析―CTスキャン装置を用いてー」と題して同大学櫻庭裕介講師が発表を行った。
 等身サイズの元三大師像は、13世紀前半から後半に制作されたものが比較的多く、同様な像は十数体確認されているという。これらの像の共通点は悪魔調状という目的をかなえるため独特の風貌を持ち、像高はほぼ三尺の等身坐形であり、左手に独鈷、右手に数珠を握るのが一般的であるとする。
 本像は、桧の寄木造り。眼は木眼を嵌め込んでいるが、本来は玉眼であったものが破損して置き換えられたと見解を示している。制作年代は特定できないが、14世紀(鎌倉後期)を下ることのないものとしている。

過去の関連ニュース・情報
 2009.12.1 三鷹市・深大寺 厄除元三大師ご開帳



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする