雲南市教委が25日、同市大東町仁和寺の郡垣遺跡(こおりがきいせき)で、L字形に配置された3棟の掘立柱の建物跡が確認されたと発表した。特徴から官衙跡の可能性があるといい、旧大原郡家(おおはらぐうけ)跡との関連が注目されている。
「出雲国風土記」は、奈良時代に同地域を治めていた大原郡の役所である大原郡家の存在を記している。遺跡がある地域は、その所在地の可能性の一つとされている。
市教委は2006~07年、市道拡張工事に伴う発掘調査で15の柱穴跡を発見。09年12月から範囲を広げて調査を続け、新たに20の柱穴跡を発見した。柱穴の列から、平行に並んだ2棟に1棟が直角に隣接するL字形建物跡と推定される。中心となる建物は、長さが東西27m以上、南北幅約4・2mの大規模な建物跡と推定され、柱穴は大半が方形で、中には一辺が1mを超えるものもあるなどの特徴から官衙跡の可能性が高いという。
現地説明会が27日午後2時から開かれる。
[参考:2010.3.25山陰中央新報、2010.3.27中国新聞]
「出雲国風土記」は、奈良時代に同地域を治めていた大原郡の役所である大原郡家の存在を記している。遺跡がある地域は、その所在地の可能性の一つとされている。
市教委は2006~07年、市道拡張工事に伴う発掘調査で15の柱穴跡を発見。09年12月から範囲を広げて調査を続け、新たに20の柱穴跡を発見した。柱穴の列から、平行に並んだ2棟に1棟が直角に隣接するL字形建物跡と推定される。中心となる建物は、長さが東西27m以上、南北幅約4・2mの大規模な建物跡と推定され、柱穴は大半が方形で、中には一辺が1mを超えるものもあるなどの特徴から官衙跡の可能性が高いという。
現地説明会が27日午後2時から開かれる。
[参考:2010.3.25山陰中央新報、2010.3.27中国新聞]