歴歩

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浜松市・楠木遺跡 現地見学会開催 4/4

2010年03月29日 | Weblog
 楠木(くすき)遺跡(同市北区三ケ日町)では以前から古代の瓦片が採集されていたが、どのような遺跡なのかはっきりしたことはわかっていなかった。そこで、遺跡の年代や実態をあきらかにするために本年2月に発掘調査が行われた。
 発掘調査では、奈良・平安時代の瓦が大量に出土し、この周辺に古代の寺院があったことがほぼ確実となったほか、文様の施された軒平瓦、軒丸瓦からは三ヶ日地域と東三河地域との交流がうかがえる等、多大な成果が得られという。
 現地見学会が4月4日(日)午前10時と午後1時30分から2回開催される。(集合場所は浜名惣社神明宮境内)
 併せて、近隣の浜名惣社神明宮と初生衣神社の見学も行う。
[参考:浜松市HP→浜松の文化財]

過去の関連ニュース
 2010.2.21楠木遺跡 市内で2番目の廃寺跡 多量の瓦片が出土

[集合場所]


写真は三ケ日桜(ミッカビザクラ、学名 Cerasus serrulata ‘Mitsukabizakura’)
所在地:浜松市北区三ヶ日町下尾奈
 楠木遺跡からは、南西2.5kmほどの乎那(おな)の峯と呼ばれる小高い山の麓に咲きます。この場所は、万葉集にも詠まれています。
 「花散らふ この向つ嶺(お)の 乎那の嶺の 洲(ひじ)につくまで 君が齢(よ)もがも」 (万葉集巻14-3448)
(訳)花の散りつづくこの向かいの嶺の乎那の嶺が洲となって水に漬かるようになるほど遠い後まで、君は生き長らえてほしい。(万葉集 訳・中西進 講談社文庫 1981より)
 八重咲きの桜ですが、里桜に属し、ソメイヨシノより4~5日遅れて咲くそうです。
 今年は、楠木遺跡で現地見学会が開催される日と同じ日に、乎那の峯「三ヶ日桜まつり」(10:00~14:00)が開催されるようです。先着500人には、手作りさくら餅とお茶をサービスするということなので、こちらを先に楠木遺跡は午後の部に参加なんて、ちょうどよいかも。いずれにしても、天気がよいことを願って。
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美馬市・郡里廃寺跡 2009年度調査成果を報告する現地説明会 3/27

2010年03月29日 | Weblog
 再発掘調査が行われている国指定史跡・郡里(こおざと)廃寺跡(美馬市美馬町銀杏木)で27日、本年度の調査成果を報告する現地説明会があった。
 約40年ぶりに掘り返された心礎と四天柱の礎石について、心礎は創建時のもの、四天柱の礎石は再建時のものだとみられとし、瓦の特長などから創建は白鳳時代、再建が奈良時代前半だとされているなどと紹介した。
 寺の敷地の北限とされる場所から多数の瓦が出土していて、塀状のものが建っていたとみられる。
[参考:徳島新聞]

過去の関連ニュース
 2009.1.12 郡里廃寺跡で鴟尾の破片出土 

備考
「郡里廃寺跡」
 郡里廃寺跡は、白鳳時代に創建された県内最古の寺院跡(東西94m、南北120m)として昭和51年に国史跡に指定された。これまでの発掘調査で塔と金堂を東西に並べた法起寺式伽藍配置であることが明らかとなっている。塔跡は、心礎が基壇下におかれる地下式塔心礎を採用し、断面8 角形の心柱をもつ珍しい例である
 郡里廃寺跡と段の塚穴の太鼓塚古墳は、約100年の時期差、約2㎞という近接した立地であり、郡衙を示唆する地名「郡里」や駅屋の存在の存在を示唆する「駅」「馬次」も近隣に存在する。これらのことから郡里廃寺跡は、太鼓塚古墳の被葬者の子孫が一族の氏寺として建立し、郡里廃寺跡を建立した一族が美馬郡を統括した郡司であったことが想像される。[参考:美馬市HPより]
 
「太鼓塚古墳」
 美馬市美馬町字坊僧の河岸段丘先端にあり、古墳時代後期(約1400年前)に造られた。昭和17年に徳島県初の国史跡に指定された。
 東西37m、南北33m、高さ約10mの円墳で、中心部に全長13.1m(玄室長4.8m)、高さ4.3m、幅3.4mの横穴式石室が南に開口する。石室は主に結晶片岩を用いた両袖式で、持ち送り式に積み上げた天井をもつ。6世紀後半から7世紀初頭の年代が考えられる。
[参考:美馬市HP、徳島県立埋蔵文化財総合センターより]



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