同志社大と市埋蔵文化財研究所が9日、1月から行っている相国寺(京都市上京区)西側の発掘調査で、応仁の乱(1467~77年)から戦国時代にかけて造ったとみられる堀の跡や、焼瓦が多数見つかったと発表した。
相国寺は足利義満が1382年に創建したが、応仁の乱では一帯が焼け野原になった。 現地は、同志社大学大烏丸キャンパスの予定地(建設中)で、相国寺の旧境内にあたる。
15世紀の溝跡で、瓦片が多数出土。 応仁の乱(1467-77)で焼けた瓦葺き建物仏堂のものだった可能性が高いという。
16世紀の堀跡が計6本見つかった。 最大のものは南北方向に長さ約70m、幅4m、深さ2m。掘った土を盛り土とし、高さ4mの土塁を築いた。旧境内の塔頭を囲む防御用と考えられるという。
堀跡の東側で、15世紀以前の創建時に近い礫敷(れきじき)道路を長さ16m、幅5mにわたり確認。 これまでの調査と合わせ、総延長は400m以上と推定。
現地説明会が6月11日(土)午後2時から4時まで開かれる。
[参考:共同通信、産経新聞、京都新聞、同志社大学キャンパス整備事業埋蔵文化財発掘調査HP]
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15世紀の溝跡で、瓦片が多数出土。 応仁の乱(1467-77)で焼けた瓦葺き建物仏堂のものだった可能性が高いという。
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堀跡の東側で、15世紀以前の創建時に近い礫敷(れきじき)道路を長さ16m、幅5mにわたり確認。 これまでの調査と合わせ、総延長は400m以上と推定。
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