歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

大崎市・天神前遺跡 4世紀後半頃の方墳4基が見つかる

2011年10月06日 | Weblog
 大崎市教委は5日、江合川北岸の「天神前遺跡」(同市古川小林)で、古墳時代前期4世紀後半の築造とみられる方墳4基を見つけたと発表した。 4基とも開削されていたが、方形に巡る周溝の存在から方墳と分かった。
 3基は一辺15m前後、1基は一辺9mの規模。
 2号墳では墳丘の一部と、丸太をくりぬいた木棺(長さ4・4m、幅0・6m)の痕跡を確認した。その周囲には4本の柱を立てたことを示す穴も見つかった。 周溝は幅3m、深さ1m。墳丘の高さは2m以上とみられる。 共伴した土器類から築造時期を判定した。
 この方墳群から4km離れた江合川南岸の全長90mの前方後円墳「青塚古墳」(同市古川塚目)が同時期の築造とされる。
 天神前遺跡はこれまでに、弥生時代から中世にかけての住居や墓の跡が見つかっている。
[参考:毎日新聞、NHK仙台放送局]
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奈良市・東大寺大仏殿 明治期に国宝「金堂鎮壇具」と一緒に出土した歯は聖武天皇の歯?

2011年10月06日 | Weblog
 昨日の読売新聞の朝刊で、この記事が掲載されていた。 1日待って、他新聞社の掲載状況を見てみたが皆無であった。 今月29日から奈良国立博物館で開催される「正倉院展」(10/29~11/14)に読売新聞社が特別協賛している関係であろうか。
 昨年10月25日には、『東大寺・国宝「金堂鎮壇具」のうち、大刀2本が幻の宝剣「陽宝剣」と「陰宝剣」と判明』とするニュースが大きな話題となった。
 今回は、同じ「金堂鎮壇具」の中にあった歯を分析したところ、右下顎の第1大臼歯であり、大きさや摩耗の具合などから、熟年男性の歯の可能性が高いことが判明したとし、「金堂鎮壇具」が聖武天皇ゆかりの品が埋納されたという見方が強まっていることと、聖武天皇自身が56歳で亡くなっていることから、「歯」も聖武天皇のものである可能性が指摘されている。
 東大寺展図録(1980朝日新聞社)の中で、当時の奈良国立博物館倉田文作館長が書かれた「東大寺の美術」を見ると、明治40年に大仏蓮座をめぐって2.5mほどの壺堀を実施した際、その地下化から奈良期の鎮壇具の一部が出土したと。その中には、銀製の小壺(しょうこ)1合とそれに納めた水晶の合子2個あり、水晶の合子にはそれぞれ真珠、水晶、水晶珠を入れたとしている。 残念ながら図録の中には歯のことには何も触れていなかった。 また、読売新聞の記事には、歯は白く風化していないことから、布などに包まれていた可能性もあるとしているため、小壺および水晶の合子には納められていなかったと思われる。
 歯は、奈良市の東大寺ミュージアム開館記念特別展「奈良時代の東大寺」(2012.10.10~2013.1.14)で公開される。

備考:
 756年5月2日、聖武上皇崩御、56歳。(続紀)
 756年6月21日、光明皇太后、聖武先帝の遺愛の珍宝を東大寺に施入せらる。(国家珍宝帳・要録)
 759年12月に刀(宝剣)が倉から取り出された。(「国家珍宝帳」には「除物」の印が付けられ、以後、行方が分からなくなっていた。)
[参考:読売新聞、東大寺展図録(1980朝日新聞社)]


過去の関連ユース・情報
 2010.10.25東大寺・国宝「金堂鎮壇具」のうち、大刀2本が幻の宝剣「陽宝剣」と「陰宝剣」と判明

東大寺に聖武天皇の歯?大仏殿で遺愛品と出土(読売新聞) - goo ニュース
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