松尾大明神(松尾神社、松尾社とも) 盛岡市茶畑1-1-1
盛岡八幡宮を南に降りてゆくと、十六羅漢の道路手前にある。入り口はやや狭く、階段を上ったところに境内があり、さらにその奥の一段高いところに社殿がある。 目立たないので、通り過ぎてしまいそうである。 地図には、松尾大明神と記されていた。
だが、この場所は社殿の北側が、天正年間に城主・中野康実(九戸政実の弟)が築城した中野館(なかのだて)跡なのだそうな。 そんなこととは知らずに、その後、ひょんなきっかけでわかった。 [参考:もりおか歴史散歩(東北堂)]
社殿の扁額には「松尾社」と書かれている。 その扁額を書いたのは新渡戸■岳。 ■は姫と読めそうである。そうすると、新渡戸姫岳(きがく、1760ー1823)。 盛岡馬町(現・清水町)にある、現在は本山修験宗であるがもとは天台宗・峯寿院(ほうじゅいん)の住職で与謝蕪村に俳諧を学び、諸国を漫遊したそうな。 曾孫に、教育者、書家かつ俳人であった新渡戸仙岳(1858-1949) がいる。仙岳は盛岡高等小学校校長時代の教え子に金田一京助、石川啄木らがいる。
盛岡八幡宮を南に降りてゆくと、十六羅漢の道路手前にある。入り口はやや狭く、階段を上ったところに境内があり、さらにその奥の一段高いところに社殿がある。 目立たないので、通り過ぎてしまいそうである。 地図には、松尾大明神と記されていた。
だが、この場所は社殿の北側が、天正年間に城主・中野康実(九戸政実の弟)が築城した中野館(なかのだて)跡なのだそうな。 そんなこととは知らずに、その後、ひょんなきっかけでわかった。 [参考:もりおか歴史散歩(東北堂)]
社殿の扁額には「松尾社」と書かれている。 その扁額を書いたのは新渡戸■岳。 ■は姫と読めそうである。そうすると、新渡戸姫岳(きがく、1760ー1823)。 盛岡馬町(現・清水町)にある、現在は本山修験宗であるがもとは天台宗・峯寿院(ほうじゅいん)の住職で与謝蕪村に俳諧を学び、諸国を漫遊したそうな。 曾孫に、教育者、書家かつ俳人であった新渡戸仙岳(1858-1949) がいる。仙岳は盛岡高等小学校校長時代の教え子に金田一京助、石川啄木らがいる。