歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

奈良市・平城京 朱雀門そばに鉄鍛冶工房跡が見つかる

2011年11月17日 | Weblog
 奈良文化財研究所が17日、平城京跡の朱雀門前の南東約130mの場所(左京三条一坊一坪)で、奈良時代前半(8世紀前半)の鉄鍛冶工房跡とみられる3つの建物跡が見つかったと発表した。最大のものは東西約19.5m、南北約6mだった。平城京エリアでは最大規模の工房群という。 710年の遷都に先立って短期間に運営されていた可能性があるという。運営後は粘土で埋められ、広場のように造成されていた。
 工房群跡は、今年3月に出土した六角形の大型井戸跡に隣接している。 周辺から大量の炭を含む、焼け焦げた炉跡が約50基出土した。 炉跡は地面に掘った直径30~40cmの円形で深さ約10cm、鉄くぎや、鍛冶や金属加工に使う金床石(かなとこいし)や砥石、鞴(ふいご)の羽口、鉄滓も確認された。
 井戸からは「天平二年」(730年)と書かれた木簡や「右相撲(みぎのすまい)□」、「□撲司」と記された墨書土器も出土し、井戸は工房が役目を終えた後に掘られたこともわかった。
 続日本紀には聖武天皇が天平6年(734)と同10年(738)に相撲を観た記録(注1)があり、7月7日の宮中行事だった「相撲節会(すまいのせちえ)」が調査地の朱雀門近くで行われた可能性もあるという。
 現地説明会は19日(土)午後1時半から開かれる。
[参考:時事通信、共同通信、産経新聞、毎日新聞、奈良新聞]

(注1)
続日本紀 天平六年(734) 秋庚甲朔七月丙寅(7日)、天皇觀相撲戯。
続日本紀 天平十年(738) 秋丁卯朔七月癸酉(7日)、天皇御大藏省覽相撲。
この後、日本後期にも度々7月7日に「観相撲」との記述が出てくる。
遡って、日本書紀にも相撲の記述が7月の条に現れる。
日本書紀・皇極天皇元年(642)七月乙亥(22日)、饗百濟使人大佐平智積等於朝。乃命健兒相撲於翹岐前。智積等宴畢。而退拜翹岐門。
日本書紀・天武天皇十一年(682) 秋七月壬辰朔甲午(3日)、隼人多來、貢方物。是日。大隅隼人與阿多隼人、相撲於朝廷。大隅隼人勝之。
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高松市・萩前・一本木遺跡 古墳時代から奈良時代にかけての大規模集落跡で、煮炊き用かまど跡を多数発見

2011年11月17日 | Weblog
 高松市教委は16日、香川県高松市仏生山(ぶっしょうざん)町の萩前・一本木遺跡(はぎのまえ・いっぽんぎいせき)の発掘調査で、当時の人が煮炊きに使ったかまど跡が多くの竪穴建物内で新たに見つかった。
 これまでの調査で竪穴建物35棟、掘立柱建物12棟を確認し、うち19棟の竪穴建物でかまどが見つかった。
 現地説明会が19日(土)午後1時から30分毎に計5回開かれる。
[参考:四国新聞、毎日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2011.8.19 高松市・萩前・一本木遺跡 古墳時代から奈良時代にかけての大規模集落跡が見つかる
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安芸高田市・甲立古墳 後円上部から4世紀の埴輪列と石敷遺構が出土

2011年11月17日 | Weblog
 安芸高田市教委は16日、県内で最古級、3番目に大きい4世紀後半の前方後円墳「甲立(こうたち)古墳」(安芸高田市甲田町上甲立)の後円部分から、河原石を長方形に並べた石敷遺構と、周辺を囲むように4世紀代の円筒埴輪、楕円筒埴輪の埴輪列の跡が見つかったと発表した。広島県内で4世紀の埴輪列と石敷遺構が確認されたのは初めてという。
 石敷は後円部の南東墳頂部にあり、拳から手のひら大の石が長さ6・3m、幅2mの長方形に敷かれていた。周辺では崩れたと思われる石が見つかっており、当初の幅は4m近かったとみられる。また、埴輪の列からは円筒埴輪(直径約30cm)15基と楕円筒埴輪9基の土台部分が出土し、石敷付近からは数基の家形埴輪の破片も見つかった。 楕円筒埴輪とともに家形埴輪も県内最古の出土例という。
 石敷の下には、竪穴式石室か粘土槨の「墓壙」があると思われるが、今回も確認されていない模様。
 現地説明会が23日(水・祝)午前10時からと、午後1時半から開かれる。
[参考:中国新聞、読売新聞、安芸高田市HP]

過去の関連ニュース・情報
2010.11.20甲立古墳 県内最古の家形埴輪片?が出土
 前方部頂上付近の中心から1辺10~15cm、厚さ1cmの形象埴輪片10点が見つかった。筋状の模様や形から、県内最古の出土例とされる4世紀後半の家形埴輪の屋根の一部と推定。
 埋葬施設として、棺を入れるために掘られた長方形の穴の中に竪穴式石室か粘土槨の「墓壙」があるか確認中。
2010.10.7甲立古墳 測量と部分発掘調査を実施
2009.11.22甲立古墳 広島県内で3番目に大きい前方後円墳が見つかる
 全長75m、高さ13m、4世紀後半築造の前方後円墳と確認、地名から「甲立古墳」と命名された。
 埴輪を置くテラス状の段築が2段に築かれ、周辺から円筒や舟形埴輪片約20点が出土。
 未盗掘でほぼ原型のまま残っており、後円部中央に竪穴式石室があると見られる。
 前方後円墳の規模は、東広島市の三ツ城古墳(全長92m、5世紀後半)、神石高原町の辰の口古墳(全長77m、4世紀後半)に次ぎ3番目。
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韓国江原道江陵市・崛山寺址 「五台山金剛社」銘文瓦が出土

2011年11月17日 | 韓国の遺跡・古墳など
 国立中原文化財研究所は16日、新羅末~高麗初に韓国仏教界を主導した九山禅門(구산선문)の一つで闍崛山門の宗刹格である江原道江陵市の崛山寺址(굴산사서、史跡448号)に対する発掘調査結果、記録にだけ見える五台山仏教信仰結社体中、南方結社体が構成されたところが・崛山寺であったことを確認したと発表した。
 今回、特に「屈山寺」、「五臺山」という銘文瓦以外に「五臺山金剛社」の文字がある12世紀頃高麗時代の瓦が見つかった。 五台山金剛社は三国遺事塔像篇に「臺山五萬眞身」という題名で記された文に登場する。金剛社は国家の安寧のために五台山東西南北、中央に各々位置する5つの寺院で各々結成されたという信仰結社の中で、南台にあった結社体である。
 また、寺域の確認もされたが面積は約3万1千500㎡に達するとしている。
[参考:聨合ニュースほか]

備考
 韓国語の翻訳は基礎知識がないと、おかしな訳になりかねない時がある。 今回も最初に訳した内容が理解できなかった。そのために、いろいろ調べてようやく理解できた。 そのひとつは、「금강사」である。文全体が寺院のことについての内容だから当然「金剛寺」となるわけであるが、今回は「金剛社」であった。 また、「崛山寺」は「屈山寺」と書いても通じるようだし、銘文瓦にも「屈山寺」と記されている。 ただ、正式には「崛山寺」のようなので、これに統一した。

過去の関連ニュース・情報
 2010-10-06 崛山寺址 川石を敷いた歩道、門跡2基や銘文瓦などが出土
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大田市・市井深田遺跡 奈良時代の集落跡から作り付けの竈が出土

2011年11月17日 | Weblog
 島根県埋蔵文化財調査センターは16日、大田市久手町刺鹿(さつか)の市井深田遺跡(いちいふけだいせき)で奈良時代(8~9世紀)の28棟の建物(竪穴建物10棟、掘立柱建物15棟など)からなる集落の跡と作り付けの竈(かまど)跡4つを発掘したと発表した。
 竈はすすの跡が残っており、周辺から甕、甑(こしき)、土製支脚(どせいしきゃく)、移動式竈など煮炊きの道具が多数出土していることから、煮炊きに使われていたとみられる。
 このような作り付けの竈は、これまで山間部で発見されているが、海岸部ではあまり発見されていない。また、土製支脚と移動式竈は、海岸部で発見されているが、山間部ではあまり発見されていない。海岸部と山間部の遺跡の特徴が混在する遺跡の発見は、海岸部と山間部の交流を考える上で貴重な発見となるとしている。
 11月23日(水・祝)13:30~15:00に、現地説明会が開かれる。
[参考:山陰中央新報、NHK島根、島根県HP]

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