平塚市教育委員会は20日、平成22年度に調査した真田・北金目遺跡群の北金目塚越遺跡(同市真田)の方形周溝墓からの出土品を整理する過程で、弥生時代中期(約2100年前)の壺に、4頭の鹿の絵が描かれていたと発表した。
土器は破片で高さ15.5cmが残存している。鹿は土器のくびれた部分にヘラで描かれており、長い首の上に頭部が三角で表現され2本の角があり左を向いている。
弥生時代の西日本では土器や銅鐸などに鹿が多く描かれている。角が毎年生え変わることから、再生の象徴と考えられ特別な動物として信仰されていた。
弥生時代中期に、西日本の文化が神奈川に入っていたことが分かる貴重な資料としている。
この時代に鹿の絵が描かれている土器は、県内ではこれまでに5つ確認されているが、4頭は初めてという。
発掘された絵土器は平塚市博物館(同市浅間町)で、1月21日~2月5日(月曜日休館)に展示される。
[参考:毎日新聞、平塚市HP]
土器は破片で高さ15.5cmが残存している。鹿は土器のくびれた部分にヘラで描かれており、長い首の上に頭部が三角で表現され2本の角があり左を向いている。
弥生時代の西日本では土器や銅鐸などに鹿が多く描かれている。角が毎年生え変わることから、再生の象徴と考えられ特別な動物として信仰されていた。
弥生時代中期に、西日本の文化が神奈川に入っていたことが分かる貴重な資料としている。
この時代に鹿の絵が描かれている土器は、県内ではこれまでに5つ確認されているが、4頭は初めてという。
発掘された絵土器は平塚市博物館(同市浅間町)で、1月21日~2月5日(月曜日休館)に展示される。
[参考:毎日新聞、平塚市HP]