昨日の読売新聞の夕刊に、『「卑弥呼の鏡」コンパスで作った』との記事が掲載されていた。 本日27日に東京・立正大で開かれる日本考古学協会総会で「三次元計測を応用した挽型からみた三角縁神獣鏡の製作技術の研究」と題して発表される中身の一部あるいは簡単なまとめのようである。
関連する記事が出ていないかとインターネットで探したが、日本考古学協会総会に関するもの以外には見当たらなかった。 ところが、5月18日付けの朝日新聞の「ホケノ山古墳の銅鏡」の記事があり、これにも注目を引いた。
前者ともに、奈良県立橿原考古学研究所水野敏典総括研究員がなされた研究の成果である。
前者では、三角縁神獣鏡の製作に、「挽型(ひきがた)」と呼ばれる木型が使われていたとみられるとし、「同じ挽型を使い回していたとみられ、製作工房は比較的小規模で、様々な種類の鏡を短期間にまとめて作っていたのではないか」と話している。
後者では、特に、「(画文帯神獣)鏡片は10点出土したものが接合して2片となり、最大6・3m離れた鏡片が接合していることから、副葬の時に鏡片であったものをさらに砕き、木槨の蓋の上に撒くような祭祀を行ったことを示している。」と「ホケノ山古墳は墳長80mの前方後円形の墳丘を持ちながら、木槨系の埋葬施設と破砕鏡という弥生時代的な要素を併せ持つ。その築造時期は、調査によって埋葬施設や副葬品が判明している古墳の中で古墳時代最古相とみられる天理市中山大塚古墳よりもさらに古くなる可能性が想定され、何をもって古墳とするかという古墳の定義の問題と古墳時代開始年代について、議論の尽きない古墳である。」の2箇所に関心を持った次第である。 いずれにしても、もっと詳細を知りたい。
[参考:2012.5.26読売新聞、2012.5.18朝日新聞]
関連する記事が出ていないかとインターネットで探したが、日本考古学協会総会に関するもの以外には見当たらなかった。 ところが、5月18日付けの朝日新聞の「ホケノ山古墳の銅鏡」の記事があり、これにも注目を引いた。
前者ともに、奈良県立橿原考古学研究所水野敏典総括研究員がなされた研究の成果である。
前者では、三角縁神獣鏡の製作に、「挽型(ひきがた)」と呼ばれる木型が使われていたとみられるとし、「同じ挽型を使い回していたとみられ、製作工房は比較的小規模で、様々な種類の鏡を短期間にまとめて作っていたのではないか」と話している。
後者では、特に、「(画文帯神獣)鏡片は10点出土したものが接合して2片となり、最大6・3m離れた鏡片が接合していることから、副葬の時に鏡片であったものをさらに砕き、木槨の蓋の上に撒くような祭祀を行ったことを示している。」と「ホケノ山古墳は墳長80mの前方後円形の墳丘を持ちながら、木槨系の埋葬施設と破砕鏡という弥生時代的な要素を併せ持つ。その築造時期は、調査によって埋葬施設や副葬品が判明している古墳の中で古墳時代最古相とみられる天理市中山大塚古墳よりもさらに古くなる可能性が想定され、何をもって古墳とするかという古墳の定義の問題と古墳時代開始年代について、議論の尽きない古墳である。」の2箇所に関心を持った次第である。 いずれにしても、もっと詳細を知りたい。
[参考:2012.5.26読売新聞、2012.5.18朝日新聞]