滋賀県文化財保護協会は8日、河川改修に伴う高島市安曇川町三尾里の発掘調査で上御殿遺跡の傾斜地から、弥生時代中期から古墳時代前期(紀元前350~紀元後300年頃)に作られた、「双環柄頭(そうかんつかがしら)短剣」の石製の鋳型2個が上下に重なって出土したと発表した。
(注1)双環柄頭短剣: 柄の頭部にリング状の装飾(環)が二つ施された青銅製の短剣。 中国華北や内モンゴルに分布する春秋戦国時代(前770~前221年)の「オルドス式短剣」に類似する。
銅剣は、弥生時代に朝鮮半島から九州北部を通って近畿に伝わったとされるが、国内で見つかったのは初めてで、オルドス式は朝鮮半島でも確認されていない。 銅剣が国内へ伝わるルートが、朝鮮半島から九州地方経由とは別に、中国から日本海ルートで流入した可能性を初めて示す発見としている。
鋳型は上下2枚出土し、ともに長さ約29・5cm、幅8・8cm。 剣が彫られた面を合わせた状態で見つかった。 石材は、海や湖の堆積泥が固まった泥岩のシルト岩で、九州や朝鮮半島で鋳型に使われた例はないという。 柄頭に直径2.3cmの円環が二つ付く。 剣は全長28・5cm、剣身20・4cm、幅推定2.8cmだが、柄の部分は上が7・9cm、下が8・3cmと長さが違い、実際に鋳造された痕跡もなく、未完成か失敗品の可能性もある。 彫り込み(厚み)が浅く、柄が短いことから、実戦用ではなく、祭祀用とみられる。剣先から青銅を注ぎ込む構造で、二つの鋳型を合わせる目印の線も刻まれていた。
柄には、日本の銅鐸や中国・朝鮮半島の銅鏡にも見られる鋸歯文や三綾杉文などの文様が刻まれており、同協会では、オルドス式をモデルに他の要素を加えて国内で製造したと推測する。
現地説明会が11日午前10時半と午後1時半からの2回行われる。
[参考:時事通信、共同通信、毎日新聞、読売新聞、朝日新聞、NHKニュース]
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中国伝来か、短剣の鋳型出土=流通ルート解明に道―滋賀(時事通信) - goo ニュース
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柄には、日本の銅鐸や中国・朝鮮半島の銅鏡にも見られる鋸歯文や三綾杉文などの文様が刻まれており、同協会では、オルドス式をモデルに他の要素を加えて国内で製造したと推測する。
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